ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングや訪問カウンセリングなどをやっています。

西園昌久『精神分析技法の要諦』1999・金剛出版-精神分析の基本と実践に学ぶ

2024年04月16日 | 精神分析に学ぶ

 2019年春のブログです

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 西園昌久さんの『精神分析技法の要諦』(1999・金剛出版)を再読しました。

 これもすごく、というか、ものすごく久しぶりの再読です。 

 真面目そうな、堅実そうな印象の本でしたので、再読がつい遅くなってしまいました(西園さん、ごめんなさい)。

 西園さんには思い出があり、今から20年以上前、新潟で家族療法学会があった時に、初めて講演をお聞きして、すごいな、と感心した記憶があります。

 それまで学会などには背を向けていたのですが、本当にすごい人がいるんだな、と思い、その後、いくつかの学会に顔を出すきっかけをつくってくださいました(西園さん、ありがとうございます)。

 それから何度かお話をお聞きしたり、本を読ませていただいて、勉強をさせてもらっていますが、その堅実な理論と豊富な症例には本当に感心させられます。

 それは本書でも同様で、症例の豊富さには本当に驚かされますし、多少の失敗場面をもきちんとご紹介してくださる正直さには頭が下がります。

 この点は土居健郎さんや藤山直樹さんなどにも共通をしますが、失敗場面をきちんと提示して、そこから学ぶ姿勢は、みなさんすごいと思いますし、見習いたい点です。

 その他に印象に残った点としては、やはり、心理療法においては、いま、ここでのやりとりを、感情をこもった体験として行なうことの大切さということ。

 その際に、できればユーモアを伴うことができればないよい、ということなどが述べられていて、いつも思っていることではありますが、再確認をしました。

 さらに、今回気づいたのが、作業療法の大切さに触れている点。

 頭だけでなく、手を使い、足を運び、体を動かすことの重要さを述べられていて、精神科デイケアでの実践や援助の学びになります。

 大家からいろいろと大切なことを再び学び直し、少し勇気をいただいて、さらに学んでいきたいと思いました。     (2019.4 記)

 

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藤山直樹『続・精神分析という営み』2010・岩崎学術出版社-その2・「甘え」と秘密をめぐって

2024年03月26日 | 精神分析に学ぶ

 2022年夏のブログです

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 藤山直樹さんの『続・精神分析という営み』(2010・岩崎学術出版社)を久しぶりに再読しました。

 今回もいろいろなことが勉強になりました。

 特に今回、じーじが参考になったことは、「甘え」と秘密の関係と、自由連想についての考察。

 いずれも鋭いです。

 秘密の問題については、精神分析でいろいろな方が論じていますが、今回、藤山さんは、「はにかみ」と「甘え」いう現象を取り上げて説明をします。

 そして、おとなになるためには秘密が必要であり、それが「甘え」や「はにかみ」の世界に包まれるような関係が大切といいます(それで合っていると思うのですが、間違っていたら、ごめんなさい)。

 一方、自由連想。

 藤山さんは、自由連想は、単に自由に連想をすること、ではなく、自由に連想をしたことを語ること、に意味があるといいます。

 そして、患者さんが治療者に連想を語ることの一方、治療者は連想したことのすべてを語らず、もの想いすることの重要性を説きます。

 改めて、そう指摘をされると、本当に大事な点だな、と思います。

 まだまだ勉強不足で拙い理解だとは思いますが、さらに勉強を深めていきたいと思います。     (2022.8 記)

 

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藤山直樹『続・精神分析という営み』2010・岩崎学術出版社-その1・投影同一化と正直さをめぐって

2024年03月25日 | 精神分析に学ぶ

 たぶん2012年ころのブログです

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 藤山直樹さんの『続・精神分析という営み』(2010・岩崎学術出版社)を再読しました。

 この本も何回か読んでいるのですが、じーじの理解不足もあって、リポートをするのがなかなか難しい本で、結局、読んでみてください、いい本ですし、すごい本です、としか言えないような感じもします。

 しかし、それではブログになりませんので、とりあえず、今回、じーじが印象に残ったことを一つ、二つ、書いてみます。

 この本の中では、解釈や自由連想、遊び、反復強迫、物語など、精神分析におけるいろいろな技法や現象の問題が論じられているのですが、じーじが一番印象に残ったのは、投影同一化の問題です。

 投影同一化は精神分析では重要なテーマですが、説明がなかなか難しい現象です。

 じーじの理解も十分ではありませんが、簡単にいうと、患者さんが治療者に自己の問題を無意識に投影して、治療者が動きの取れないような心理的状態になることを言います(これで合っているのかな?)。

 そして、その困難な状況に治療者がなんとか耐えているうちに、事態が打開するというふうに、現在の精神分析では論じられています。

 そして、この本の藤山さんの論文では、いろいろな技法や現象の説明のところにかなり投影同一化が顔を出しているような気がします。

 この理論的にも、技法的にもとても難しい現象を、藤山さんは相当に苦労しつつも、しかし、なんとか打開をして、そのうえで、そこでの転移・逆転移を説明されています。

 これは初学者にはとても勉強になります。

 初学者の場合、何が起こっているのか、よくわからないままに事態が推移してしまうことが多いと思います。

 それをわかりやすく説明してもらえるのは、すごく勉強になります。

 さらに、藤山さんの、事例での正直さはすごいです。

 それは、プロセスノートについての論文でも明確ですが、わからないものをわからない、と言う正直さと勇気が、やはり大切なんだな、と考えさせられます。

 ともすると、わたしたちは格好よくしたがりがちですが、臨床では他の大家もそうですが、正直さが勝負のようです。

 さらに謙虚に学び、実践をしていこうと思います。     (2012?記)

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 2023年秋の追記です

 わからないものをわからない、と言う正直さと勇気、というところは、わからないことに耐えることの大切さ、に通じそうですね。   (2023.10 記)

 

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松木邦裕『こころに出会う-臨床精神分析 その学びと学び方』2016・創元社-精神分析に深く学ぶ

2024年03月23日 | 精神分析に学ぶ

 2016年のブログです

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 松木邦裕さんの『こころに出会う-臨床精神分析 その学びと学び方』(2016・創元社)を読みました。

 松木さんの研究会での講義や学会誌の論文などを集めた本ですが、充実した内容です。

 総論的な論文もありますが(少し難しいですが、とても勉強になります)、じーじが今回、特に勉強になったのが、「喪失ということ」と「不毛ということ」という文章。

 いろいろと考えさせられました。

 このところ、なぜか「対象喪失」のことを考えることが多いのですが(老人になったせいでしょうか)、やはり精神分析の中心テーマの一つだろうと改めて思います。

 老人だけでなく、若い人や子どもさんであっても、新しい出会いとともに対象喪失が常にあるんだろうなと思います。 

 そうして、うまく対象喪失をしていくこと、さらには、それを周囲からうまく支えてもらうことが、「育てられること-育つこと」なんだろうなと思います。

 まだまだ考えが深まっていませんが、そういったことを臨床をふまえながら、さらに考えていきたいなと思っています。

 また、「不毛ということ」については、松木さんがその反対のことを語っているこの文章を引用したいと思います。

 「こころは、こころで感知することしかできない。感知した痛みを通して“生きづらさ”を抱えたこころの本性を知るのである」

 こころの営みの大切さとすごさを語っていると思います。

 全編に松木さんの強い思いが感じられるいい本です。       (2016 記)

     *

 2023年3月の追記です

 最後の、こころで感知する、というところは、普通は、共感、という言葉が浮かびますが、ここではもっと深い営みである、投影同一化という言葉が思い浮かびます。

 治療者からの一方的な働きかけではなく、治療者と患者さんの双方による無意識の相互作用をいかに意識化して、コンテインしていくかということを述べておられるように感じます(合っているといいのですが…)。

 もっともっと勉強しなければなりません。    (2023.3 記)

 

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藤山直樹『落語の国の精神分析』2012・みすず書房-藤山直樹さん版・精神分析入門を読む

2024年03月22日 | 精神分析に学ぶ

 2016年ころのブログです

     *     

 藤山直樹さんの『落語の国の精神分析』(2012・みすず書房)を再読しました。

 2012年に一度読んでブログを書いていますから(すみません、なぜか(?)消えてしまいました)、おそらく今回が2回目の再読です(たぶん?)。

 実はこの間に1回読んだような気もするのですが、記憶があいまいではっきりしません(藤山さん、ごめんなさい)。

 しかし、やはりとても面白かったです。

 そして、いい本です。

 前回のブログで、

 「藤山さんの精神分析の概念の説明がとてもすばらしいです。

  特に、エディプスコンプレックスの説明は、じーじがこれまでにいろいろ読んだり、聞いたりした中で、一番わかりやすい説明だと思いました。

  ほかの概念の説明も、とてもわかりやすく、しかも、レベルは高い水準をキープしているところがすごいと思いました。

  藤山さんには『集中講義・精神分析』(上・下、岩崎学術出版社)という本がすでにありますが(ブログがありますので、よかったら読んでみてください)、この『落語の国の精神分析』は藤山直樹さん版・精神分析入門と言ってもいいのではないかと思いました」

と書いたのですが、この印象は今回も変わりません。

 精神分析の考え方をおさらいし、さらには、最新の精神分析の考え方を藤山直樹さん流にわかりやすく、かつ、深く展開しているように思われます。 

 そんな中で今回、じーじが学んだのは、エディプスコンプレックスが死と密接な関係にあるという点。 

 ここは前回、まったくつかめていなかったのですが、とても大切なことと感じました。

 子どもが父親を認めることは、父親がいずれ死んでしまう存在であるということに気づくことだという考え、ここは斬新な印象を受けました。

 もう少し考えてみたいと思っています。

 他にも、自分は自分でいい、とか、今言ってもわからないことは言わない、とか、好きなものに打ち込めることだけでいい、とか、大切な言葉が出てきていました。

 今後も、もっともっと、読み込んでいこうと思いました。    (2016?記)

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 2022年2月の追記です

 今言ってもわからないことは言わない、というところは、わからないことに耐える、ことと関係しそうですね。    (2022.2 記)

 

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小此木啓吾『精神分析のおはなし』2016・創元こころ文庫-人と人との関係をていねいに見る視点

2024年03月19日 | 精神分析に学ぶ

 2016年のブログです

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 小此木啓吾さんの『精神分析のおはなし』(2016・創元こころ文庫)を読みました。

 単行本は1999年に出ていたらしいのですが、読みそびれていて、今回、文庫本で初めて読ませていただきました。

 研究会などでの講演をまとめたものですが、人生全般の心理的な課題を、いくつかのテーマに分けて、細かく、ていねいに解説をされています。

 甘えと自立、対象喪失と喪、さらには、懐かしい、シゾイド人間や自己愛人間のお話なども出てきました。

 シゾイド人間と自己愛人間が裏表の関係にある、という指摘は、今回、初めて、気がついて、なるほどと思いました。

 このところ、気になっていた対象喪失と喪の問題もさらに考えることができました。

 学ぶところの多い本ですが、今回、個人的に一番印象に残ったのは、親が生き残るというテーマ。

 幼年期や思春期、青年期をとおして、親子関係において、子どもと親はいろいろと大変なことに遭遇をするものですが、その時に、親がボロボロになりながらも、たいしたことはしなくても、とにかくつぶれずに生き残ること、これが一番大切なことだと力説をされています。

 生き残ることの大切さは精神分析で大事なテーマで、たとえば、ウィニコットさんなども、治療者や親がその関係の中で生き残ることの重要性を述べています。  

 また、ウィニコットさんの場合は、ほどよい親、ほどよい治療者が大切といい、適度の失敗の大切さについても述べていると思います。

 もちろん、人間ですから、完璧なことは無理な話で、時々の失敗が当然あるわけですが、それが子どもや患者さんの幻想をやぶり、ほどよい現実感覚をもたらすのだろうと思われます。

 このあたりの議論は、とても刺激的で、大切だと思われるので、さらに考えを深めていきたいと思っています。

 とてもいい本に出会えたことに感謝します。    (2016 記)

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 2023年3月の追記です

 ウィニコットさんのいう、親が生き残ること、については、子どもからの理不尽な攻撃に親が報復をしないことが大切、と述べられています。

 子どもの攻撃に親が報復をしてしまうと、それは虐待になってしまいます。

 そうではなく、親がボロボロになりながらも、子どもの世話をすることで、子どもは親を攻撃したことに償いの気持ちを持ち、それが罪悪感に繋がる、と述べているように思います。    (2023.3 記)

 

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ボラス(館直彦訳)『終わりのない質問-臨床における無意識の作業』2011・誠信書房-自由連想の大切さを学ぶ

2024年03月18日 | 精神分析に学ぶ

 2012年のブログです

     *  

 ボラスさんの『終わりのない質問-臨床における無意識の作業』(館直彦訳・2011・誠信書房)を読みました。

 精神分析の初心者のじーじにとってはなかなか難しい本でしたが、著者が精神分析において解釈よりも自由連想を大切にしたいという思いは(それで間違っていないと思っているのですが…)、ひしひしと伝わってきました。

 これはひよっとすると全く的外れの感想かもしれませんが、じーじなりには、最近の精神分析が解釈よりも「もの想い」を大切にしていることとどこかでつながるのではないかなとも思いました(当たっているといいのですが…)。

 とはいえ、まだまだ理解できていない面も多いと思います。

 二度 三度と読み込んでいきたい本だと思いました。   (2012 記)

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 2018年の追記です

 久しぶりに再読をしました。

 なんと6年ぶりです。

 しかし、やっぱりなかなか難しい本だと思いました。

 このような本は、臨床経験をていねいに重ねながら、何度も読み込んでいく必要があるようです。

 それでも、今回、気がついたことを一つだけあげると、自由連想は解釈と一体である、ということでしょうか。

 よい解釈、よい理解をするためには、フロイトさんがいったように無意識に開かれていなければならず、そのために自由連想やもの想いが大切になってくるのだろうということ。

 つまり、クライエントさんにより添いながらも、クライエントさんの論理、物語に流されずに、無意識に耳を傾けることが大切になるようです。

 ボラスさんは、ジャズの即興性との類似を指摘されていますが、確かにそんな感じがします。

 ケース検討などでも、つい、論理的な解釈に走りがちですが、無意識を大切にして、じっくりとそこにとどまり、わからないことに気づくことが大事になるのではないかなと思いました。

 さらに学んでいきたいと思います。    (2018 記)

     *

 2020年5月の追記です  

 今、ボラスさんの『対象の影-対象関係論の最前線』(館直彦監訳・2009・岩崎学術出版社)を再読しています。

 この本もなかなか刺激的で、いい本です。   (2020.5 記)

     *

 2023年3月の追記です

 今ごろ気づきましたが、ここでも、わからないことに耐えること、がテーマの一つになっているようです。    (2023.3 記)

 

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ベティ・ジョゼフ(小川豊昭訳)『心的平衡と心的変化』2005・岩崎学術出版社-こころにていねいにより添うこと

2024年03月10日 | 精神分析に学ぶ

 たぶん2016年ころのブログです

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 イギリスの精神分析家ベティ・ジョゼフさんの『心的平衡と心的変化(2005・岩崎学術出版社)を再読しました。

 この本も10年ぶりくらいの再読で、今回がようやく2回目です。

 なかなか難しい内容の本で、10年間の経験で以前よりどれくらい理解が進んだのかな、と思いながら読んだのですが、やっぱりとても難しくて、正直なところ2割くらい理解できているのかな、といった感じですが、あまり自信はありません。

 こういう本は、精神分析的心理療法をきちんと実践して、スーパーヴィジョンを受けて、少しずつ、ここがそうか、と理解できるようなものなのかもしれません。

 しかし、初学者のじーじでも、できるところから、わかるところから、少しずつでも勉強をしていきたいと思っています。

 もっとも、ジョセフさんの本は、症例の紹介がとてもていねいなので、それを読んでいるだけでも、とても参考になりますし、症例のまとめかたについても学べると思います。

 さて、つたないながらも今回、じーじなりに学べたところは、早くわかりすぎないことの大切さとわからないことに耐えることの大切さ、自分の中にも厳然とある負の感情を意識化すること、そして、全ては転移の中に姿を現わす、ということなどなど。

 わからないことに耐えることの大切さは、心理療法だけでなく、人生や子育てにも通じることだと思います。

 また、じーじは、昔から、指導者に、早わかりしすぎている、と指摘をされることが多かったのですが、自分の理解ではなく、クライエントさんの理解に添っていくことの大切さを改めて学びました。

 さらに、負の感情に振り回されることはいつものことですので、本当に注意が必要だと感じました。

 そして、面接の現場で目と耳とこころの全体でクライエントさんのお話を聞いていれば、そこにすべての課題、すべてのことがらが展開されて、そこでの対応が大切になるんだな、と改めて感じました。

 まだまだ紹介すべきことは多いと思いますが、いずれまた少しずつでもわかりやすくご紹介できればと思っています。          (2016?記)

       *   

 2019年1月の追記です

 読み返してみると、この頃から、わからないことに耐えること、がじーじのテーマの一つになっていたようです。          (2019.1 記)

     *

 2022年1月の追記です

 シェイクスピアさんの『ハムレット』を引用して、わからないことに耐えることの大切さを述べたのが、精神科医の中井久夫さん。

 一方、シェイクスピアさんの中に、あいまいさに耐える能力の大切さを見出したのが、詩人キーツさん。それを引用したのが、精神分析のビオンさんやメルツァーさんです。 

 ジョセフさんも精神分析経由だと思いますが、中井さんと同じようなことを述べているのが面白いです。         (2022.1 記)

 

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小此木啓吾『対象喪失-悲しむということ』1979・中公新書-悲しみをこころから悲しむことの大切さ

2024年03月08日 | 精神分析に学ぶ

 2015年のブログです

     *

 小此木さんの『対象喪失』を久しぶりに読みました。

 たぶん10年ぶりくらいだと思うのですが…。

 なかなか勉強になりました。

 最近,「うらみ」やその解消などについて考えていて,ふと「対象喪失」や「喪」の作業との関係に思い当たって読んでみたのですが,当たり!でした。

 「対象」を喪失するのは人生では当然のことですが,その時に「断念」や「諦め」,「喪」の作業が十分でないと辛いことになりそうです。

 逆説的ですが,「対象喪失」を時間をかけて十分に「悲しむ」ことが大切になります。

 きちんと悲しめないと,うらんだり,すねたり,ねたんだりすることになるようです。

 また,今回,小此木さんが,対象喪失とウィニコットの移行対象との関連を指摘していることに今さらながら初めて気づきました。

 言われてみればもっともなのですが,さらに勉強が必要だと思いました。

 頑張りたいと思います。   (2015.6 記)

     *

 2022年6月の追記です

 移行対象というのは、ご存じのかたもいらっしゃると思いますが、幼児がいつも大切にしている古い毛布やぬいぐるみのことで、これは心理学的には母親がわりの存在です。

 幼児はさまざまな対象喪失の時に、移行対象の助けを得て、対象喪失の苦痛を乗り越える、と小此木さんは述べています。   (2022.6 記)

 

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藤山直樹『集中講義・精神分析(上)』2008・岩崎学術出版社-上智大学の学生さんと精神分析を学ぶ

2024年02月29日 | 精神分析に学ぶ

 たぶん2016年ころのブログです

     *   

 藤山直樹さんの『集中講義・精神分析(上)』(2008・岩崎学術出版社)を再読しました。

 なぜか下巻の感想は2011年に書いているのですが、上巻の感想は初めてです。

 おそらく3回目の勉強だと思うのですが、3種類の付箋とたくさんのアンダーラインで本の中がとてもにぎやかになってしまいました。

 藤山さんの本は、読めば読むほど勉強になるところが多くて、いつも刺激的に読めます。

 ましてや、フロイトさんが相手ですから、こちらの経験に応じて、読みも深まってくるのだろうと思います。

 本書は藤山さんの上智大学での2006年の講義が元になっていますが、レベルはかなり高いと思います。

 こういう講義が学べる上智大学の学生さんがちょっとうらやましくなりました。

 さて、今回、印象に残ったことを二つ、三つ書きます。

 一つめは、精神分析のあり方。

 やはり、治療者が投影同一化で揺さぶられながらも、なんとか生き残ることが重要なようです。

 その時に、もの想いをしながらボーとしていることも大切なようです。

 たいていの人は患者さんの攻撃に生き残ることができずに、患者さんの傷つきをさらに深めているので、ここはぼろぼろになりながらも生き残ることに意味があるようです。

 そして、このことは親子関係にも通じるのではないかと思いました。

 二つめは、エディプス・コンプレックスが世代間境界をつくり、それが道徳などにつながっていくということ。

 世代間境界のことは、家庭内暴力の家族でその不十分さが指摘される点ですが、エディプス・コンプレックスや道徳との関係で考えたことはなかったので、新鮮でした。

 三つめは、精神分析を転移の場にしていくということ。

 反復強迫は患者さんなりの努力の結果ですが、その反復強迫を転移の場で、遊びにできると治療につながる、というお話は魅力的です。

 フロイトさんからウィニコットさんにつながる点を指摘してもらって、勉強になりました。

 まだまだ学ぶところが多い本で、今後も読みを深めていきたいと思いました。     (2016?記)

 

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