重合的合意の重なり合う部分が正義の政治的構想によってしっかりと繋ぎ止められてかろうじて部分たり得ているのか、それともその逆なのか、つまり正義の政治的構想なるものが、包括的教説が重合することにより生み出されるのか、ロールズははっきりと述べていない。
この事態はどうでもいいというようなものではなく、後期ロールズを確立するうえで試金石となっている。
仮に政治的構想がa partを作り出しているのならば、どの程度なのかというa partの大きさと深みが問われることになる。
そして仮に後者だとすれば、包括的教説が政治的構想を樹立しているということになりこの思考は落第なのである。
いずれにせよ、後期も社会契約論の構図を前面に打ち出せばよかったのではないか。
この事態はどうでもいいというようなものではなく、後期ロールズを確立するうえで試金石となっている。
仮に政治的構想がa partを作り出しているのならば、どの程度なのかというa partの大きさと深みが問われることになる。
そして仮に後者だとすれば、包括的教説が政治的構想を樹立しているということになりこの思考は落第なのである。
いずれにせよ、後期も社会契約論の構図を前面に打ち出せばよかったのではないか。