365日の空

空を見ていると会いたくなる人は居ませんか?空は その人の所まで繋がっています。
そう思って私は今日も空を見上げています

水鉄砲の季節

2008年05月29日 | 竹富島



本日の竹富島、晴れ曇り 気温31度。



ご飯の匂いで、丘ヤドカリが続々と集まってきます。
ヤドカリって鼻があるの??



仕事後、片付けをしているカイジのお店に邪魔者登場。
一向に片付きやしないっ、、、 ○| ̄|_
終いには、立ち入り禁止の浮看板は海の中。∑(ノ ̄□ ̄|||)ノ
水鉄砲はくらいまくるし、、、ビショビショだなや。
それでも、もぉ水鉄砲の水は冷たいどころか気持ちが良くて
小学校の時に遊んだ日の事をお思い出し楽しかった。

本当に、子供のようなバスの運転手さんだよっ。(笑)


今夜も8時半から、運動会の踊りの練習です。
3日間の最終日。
配置と、入退場のやり方も決めました。
最終的に、今年も教徒先生の隣だっ!!(笑)
面白いんだぁ、教頭先生。(^m^*)
でも、3列目から2列目に変わり、進行方向も変わってしまったよ
本番大丈夫かなぁ・・・。
しかも、真ん中だしっ・・・。A--;)

運動会への招待状

2008年05月28日 | 竹富島

本日の竹富島、曇り晴れ 気温30度。

朝のカイジ道から見た空は、何だか不思議なブルーな色をしていた。
絵の具で作った作り物のような、ちょっと白絵の具を混ぜたような曇った青だった。









人で賑わうコンドイ浜には、パラソルを立てる棒が最初から用意されている。
夏休みには、ここに全てパラソルが立てられるんですね。

道にホウキ目を付けた後、見えないであろう夕日に手を合わせにコンドイ浜へ向かう事にした。

いつものように歩いて出かけると、同じ並びに住む家の女の子が家の窓から声をかけてきた。
“らん姉ちゃん”
兄が一人居るだけの私を、“お姉ちゃん”と呼ぶ子は居なかった。
けれど、竹富島に来てからは あの子も この子も “らん姉ちゃん”と呼んでくれる。
こう言う呼び方も、八重山もしくは沖縄の習慣なんだと思う。

その女の子が、私に手渡してくれた。
「運動会の招待状。来てもいいよっ。」って。(笑)
その子がくれたのは、31日に行われる運動会のプログラムだった。
とても嬉しかった。
この島に来て、子供たちから招待状を貰うのは初めてだったから。
ありがとぉ。ホントに嬉しいです。
島に住むって、こぉ言う事なんだなって感じた。
貰ったプログラム、風で飛ばされたりしないように、帽子の間に挟んで大事に両手で持っていった。


コンドイ浜に着くと、予想通り 夕日は厚い雲に隠れて見えそうにない。
遠くに2人、泳いでる人が居る。
私は手前の流木に腰を下ろして父に電話をかけた。
祖母のお葬式が無事に済んだかを確認したかった。
勿論、御通夜も御葬式も無事に済んだとの事だった。
そして、納骨の日を私の帰省に合わせてくれたというのも聞いた。
こんな話の他に、代わる代わる受話器を変える父と母と 久し振りに楽しい話もした。
最後に父が私に言った。
“ありがとう”って。
御葬式にも行かなかった娘に、“ありがとう”と父は言った。
急な、ありがとう に私はドギマギして、不釣合いな返事を慌てて返してしまった。

全く ありがとう じゃないのに。

電話を切った後、厚い雲の隙間から ほんの少し見えた赤い光に手を合わせた。

天国の、お祖父ちゃん お祖母ちゃんへ。
雲の上で、出会えましたか。
どうか、その場所から父と母を見守っていて下さい。



運動会で踊るにはっ。

2008年05月27日 | 竹富島

本日の竹富島、曇り晴れ 気温30度。



今夜から3日間、校庭で運動会の踊りの練習が始まった。
去年よりも大分来ているメンバーは少ない。
もしやっ、私の他は全員 ぶなる会(ようするに婦人会)の方々ではっ!?∑( ̄д ̄;)
居ていいのだろうか自分

曲は『ミルクムナリ』だった。
大好きな曲だっ。
エイサーじゃないけれど、それでもちょっと嬉しかった。
ストレッチ風の踊り。
踊れてないけど、楽しんじゃおう☆



練習の後のお楽しみは、ドデカなプッチンプリン♪
すんごい大きいです。
携帯と同じ位あるんです☆
ペロリと食べちゃったけどね。

イイ事とワルイ事でクタクタですねっ。

2008年05月26日 | 竹富島

本日の竹富島、晴れ曇り雨 気温29度。

週に一度の歯医者Day。
家のグックを出たら、目の前にモクモクとした羊雲が大きく大きく広がっていた。
こんなに綺麗な雲が浮かんでいたなんて。
嬉しくなった。



桟橋までの道のりは、久し振りに着た半袖から出ている腕をジリジリと焼く暑い道のりだった。
でも、入道雲のようなくもが幾つも重なり合う、見ていて厭きない大好きな空だった。



石垣に着いたら、新しく書き直した求人広告を差し替えて貰わないと。魚にしたのです。



竹富に戻ってから、先日紛失した自転車を探した。
レンタサイクルのお兄さん2人が教えてくれたとおり。西桟橋へ探しに行ったら、一台ポツンと残ってたんだ!
良かった、、、ホント。
無くしたくてなくしたわけじゃないんだ・・・ホントだよ。
これでも頑張って探したんだ・・・ホントだよ。
嫌な事続きで、凹んでしまいそうだったよ。

雨降りの夕方からは、クマーリャオン?うたきの掃除に行った。
クタクタだ、、、
心身共にクタクタで、傘をさしながら お祖母ちゃんのお葬式の事を考えていた。
口を「へ」の字にして堪えなければ、また泣いてしまいそうだった。


星砂の浜に独り

2008年05月25日 | 竹富島
本日の竹富島、晴れ 気温29度。

石垣島では、運動会が行われており 竹富島からも沢山の人が参加しに行っている。

朝一番のお客さんは、竹交の運転手さんの御家族・御親戚の皆様。
とても大変な時なのに、こんな時でも いつもと変わらない優しい笑顔で頑張っている運転手さん。
祖母を亡くしたばかりの私には、この運転手さんの心情が人事とは思えなかった。




とても暇で、そんな静かな星砂の浜には、とても心地よい風がそよそよと吹いている。
こんな風が吹いているのは、今この島ではココだけ。



独りで居ると、余計なことを考えてしまう。

だから、なるべく遠くを見ていた。
お店に座りながら、綺麗過ぎるくらいに眩しい海をずっと眺めていた。

父の母

2008年05月23日 | 今日な日々

ここは竹富島。
東京まで約2,258km。
遠い。
どんなに大きな声で叫んでも、
どんなに大きな声で泣きじゃくっても、
私の声は、この海を越えていく事はない。



朝からシトシトと降っていた雨が止み、
仕事帰りには、うすい空色に引き伸ばしたような筋雲が沢山浮かんだ空が見えた。

私は、自転車を止めて“綺麗”っと呟いた。

丁度その頃なのかなっ。

父を生んでくれた、祖母が空へと旅立ったのは。


私の目に今も涙は滲んでいない。
少し前から覚悟していたせいなのか、
まだ実感がないせいなのか、
冷たい人間だからなのか。

笑えるだろうか。
明日の私は、ちゃんと笑顔作れるだろうか。




その手を翳して

2008年05月20日 | 竹富島


本日の竹富島、小雨・曇り 気温27度。

先日まで行っていた歯医者をやめ、評判の良い違う歯医者に変えてみた。
立地も、サンエーの向かい側と滅法便利である。
歯医者だけの為に石垣に出るだけでグッタリしてしまう。
このせいもあって、家に帰ってきてから少し昼寝をしていた。
あの手が来るまでは。



本当は最後に聞きたかった。

“何を信じて生きていますか。 貴方の守りたいものって何ですか。”って。

でも私は、いつものように何も聞く事はしなかった。
勿論、相手にも何も伝わるはずもなく、
お互いに何も通い合う事なく、その時は過ぎていった。



西桟橋を下りて、その波打ち際を歩いてニーラン石へ向かい、コンドイ浜へ辿りつく。




私の手は、さほど大きくもなく強そうでもない。
時々、本当に生きているのかと思えるほど冷たくなる私の手には、
何の力もない。

そんな自分の手を、夕日と呼ぶにはまだ早い太陽に翳した。




やっぱり
私の手は、私の手でしかなかった。



この時空に見た雲は、優しいと言う言葉がぴったりだった。



こんな綺麗な空を見ても、私の中の錘は抜けなかった。



この時私が見た雲は、キャンバスに塗られた水彩絵の具のようだった。
間違ってしまった事を隠そうとしているような、そんな絵に見えた。

そのまま砂浜の上でしばらく仰向けになって 広い空を見ていた。

起き上がった私の前には、もぉあの絵はなかった。