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1309 樂美術館 利休/少庵/元伯/千家の時代

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樂美術館

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秋期特別展 利休/少庵/元伯/千家の時代
期間:9月6日(金)~12月23日(月)

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赤樂茶碗 銘 道成寺 長次郎作
口部が外に端反り胴は丸く高台付近は土見せとなっている。利休形の茶碗とはかなり形が異なり高麗の熊川茶碗に似ている。長次郎の茶碗としては異色の存在。その姿が道成寺の鐘を連想させるところから千宗旦が銘を付けた。
黒樂筒茶碗 銘 杵ヲレ 長次郎作
腰が張り胴がくびれた姿で口部もうねりを見せる。カセた肌に茶褐色の釉調がみられる長次郎筒茶碗の優品。
赤樂井戸形茶碗 常慶作
井戸茶碗の形を楽焼で再現した茶碗。楽家の伝えでは二条城内で使用する為に作られたとされる。
長次郎の作品に捉われない、常慶の試行錯誤が窺える。
赤樂筒茶碗 銘 山人 道入作
高くすんなりとした姿で実際11.5cmと高い。ノンコウの若い時代の意欲作。
瀨戸雁口花入
古銅柑子口花入を模した瀬戸焼の花入。この花入を以前から気に入っていた下間頼廉は、入手するや家来に命じて利休のところへ持って行かせた。予てから頼廉が気に入っていた事を知っていた利休は、入手した事を喜び花入に在判を記したそう。
下間頼廉は本願寺顕如に仕えた坊官で、石山合戦では織田信長の軍勢と戦った人物。雑賀孫一と並んで大坂(石山本願寺)の左右の大将と呼ばれた。
町長門守傳符状
会津へ向かう常慶の為に出された通行書。用向きは蒲生氏郷を見舞う為と記されているが、一説では利休の死後に氏郷に預けられて会津に居た千少庵が赦免され、それを常慶が迎えに行った時に出された書面だとされている。
千家と楽家の関係を考える意味でも重要な文書のひとつ。

千家が利休・少庵・宗旦の時代、楽家は長次郎・常慶・道入の代で共に黄金時代だったと思います。この後は凡庸な事になってしまいますが、それは両家三代が凄すぎなので仕方ないのでしょうねぇ。
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