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モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

主の幸い

2020-09-10 06:03:31 | 旧約聖書
「イスラエルよ、聞いて、それを守り行え、そうすればあなたは幸いを得…」申命6:3

「主に従うことで得られる幸い」とはどのようなものでしょうか。

福音に”この世での問題の解決”を求めることがあります。
ジョセフ・スミスの模範を見てください。
彼は主に従いましたが、問題は解決したでしょうか。

主を信頼する方法、原則は”主に委ねる”ことです。
主に委ねるなら主から導きと助けが与えられ、そこに答えを見出すことができます。

その答えが”問題の解決”になるとは言いません。
「主の与える幸い」は永遠の救いであり、”この世での問題の解決ではない”ようです。
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裁き

2020-07-24 06:20:53 | 旧約聖書
「主は・・・慈しみに富み、罪とがを赦す者、しかし罰すべき者は決してゆるさず」民数14:18

”裁き”と聞くと恐れの心を抱く人が多いようです。
一般的に言われる裁きは罪に対して”罰を与えるため”のものだからです。

主の裁きとは”行いに対する報いを与える”ことが目的であり、
それは良いことには良い報い、悪いことには悪い報いを与えることです。

義人にとって主の裁きは”すべての苦労が報われる喜びの場”となり、
悔い改めることをせず罪の残る人にとっては”恐れて主の前から隠れたいと感じる場”となります。

「わたしは勝利を得て・・・エホバの楽しい法廷であなたがたに合うことになる」モロナイ10:34
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柔和

2020-07-23 06:11:25 | 旧約聖書
「モーセはその人となり柔和なこと、地上の全ての人に勝っていた」民数12:3

柔和さについては”生まれついての性質”が大きいように思えますが、
柔和であるためにもう一つの特質、方法(?)があります。
それは”すべてを主に委ねる心”です。

謙遜であるために必要なことの一つは”主の前にへりくだる心”を持つことです。
主の前にへりくだるとは”主を信頼してすべてを主に委ねる”ことです。

人は問題にぶつかるときにイライラしたり、腹を立てることがありますが、
その問題をすべて主に委ねることができるなら、心に平安を保つことができます。

親を信頼している幼い子どもが色々な問題があっても、
それを親に打ち明けて”親が受け入れてくれたと感じると安心できる”のとよく似ています。

その安心、心の平安が柔和さをもたらしてくれます。
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預言の霊

2020-07-22 06:24:23 | 旧約聖書
「主の民がみな預言者とな・・・るのは願わしいことだ」民数11:29

英語を理解するためには”英語という言葉”だけでなく、
英語圏の人々の”文化や考え方”を知らなければ、正しく理解することはできないようです。

預言者は”預言の霊”によって主の言葉を受け、それを人々に伝えます。
その教えを理解するためには”預言者の語る言葉”だけではなく、
”主の御心”を知らなければ正しく理解することはできません。

モーセはイスラエルの民が主の御心を理解できず、従えなうことに悩んでいました。
預言者も人間であり、人の語る言葉を人の考えで理解しようするだけでは十分ではないようです。

預言者の言葉を理解するためには、預言者と同じ”預言の霊”、すなわち聖霊の助けが必要です。
それは聖典を読むときにも、福音を学ぶときにも、祈るときにも必要です。
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この世的なもの

2020-07-21 06:14:54 | 旧約聖書
「主の命に従って道に進み・・・主が命じられた通りに・・・言いつけを守った」民数9:23

主の命じられる通りに行動できるとしたらそれは祝福です。
エジプトから出てきたイスラエルの民はなぜそれができたのでしょうか。

モーセという力ある指導者があったことも大きいでしょうが、
”荒れ野”というこの世の誘惑がほとんど何もない場所であったことも大きく影響したことでしょう。

彼らがこの世的な思いを抱くごとに、それは不満となったようです。
この世的に便利で楽しみが多い環境にあるほどに、この世的な思いは強くなります。

イスラエルの民は”奴隷として苦しんだはずのエジプトに帰りたい”と何度も願いました。
霊的な自由よりも、奴隷であってもこの世的なものを得たいと願ったのです。

「主の道に進む」ためには、この世の楽しみ、喜びが妨げになることが多いようです。
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