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モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

試練

2020-09-17 05:44:40 | 旧約聖書
「あなたを苦しめて…試み…心の内を知り…命令を守るかどうかを知るため」申命8:2

平安の中では誰でも穏やかに善い人でいることができます。
苦難が訪れ、混乱した状態のときにはどうでしょうか。

”人目を気にして覆い隠している心の内”が人前に現れるときがあります。
それは混乱の中で我を忘れたときに多いようです。

そのようなときに自分自身の本当の姿に気付くこともあります。
それは福音に従う信仰を証明するものであったり、その逆であったりもするようです。
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命令

2020-09-15 05:56:33 | 旧約聖書
「すべての命令を…主の前に守って行うならば、それは我々の義となる」申命6:25

人が神の御心を理解できないことはよくあります。
イエス・キリストはなぜ十字架に付けられなければならなかったのでしょうか。
ジョセフはなぜ迫害を受けなければならなかったのでしょうか。
主に従順に従う人々がこの世で苦しまなければならないのはなぜでしょうか。

「清めのため」と教えられていますが、実際にそのような試練の中にあるとき、
この疑問について悩まないでいられる人があるのでしょうか。

「主の訓練を軽んじてはいけない、主に責められるとき弱り果ててはならない」へブル12:5

この世での苦難が主の訓練であることに気付くことができるなら、
そして主の訓練として受け入れることができるなら、祝福だと思います。

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価値観

2020-09-13 11:37:05 | 旧約聖書
「あなたがたは主が見て正しいとし、良いとされることを行わなければならない」申命6:18

人から見て正しいことと、神の目に正しいことには違いがあるようです。

人から見て正しいことには人それぞれに違いがあり、
それが原因となって混乱や争いが引き起こされることさえあります。
その根底には価値観の違いがあるようです。

神の目に正しいことは明確に定められていますが、
その価値観は人に理解できないことも多いようです。

神の価値観を信頼して、従い、考え、選び、行動するときに、
人はその結果によって、神の価値観、真理を理解できるようになります。

それによって人は真の幸福と神と一致することの喜びを知ることができます。
それが福音の目的です。
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慎み

2020-09-12 05:49:14 | 旧約聖書
「自らを慎み…主を忘れてはならない」申命6:12

軽はずみな行いによって「主を忘れて」しまうことがよくあります。
度を過ぎた笑い、度を過ぎたジョーク、度を過ぎた行動によって、
心は簡単に御霊を見失ってしまうようです。

日本人の国民性として”慎み深い態度”が知られています。
おかげで表面上は平和で穏やかな国に見えるようです。
慎み深い態度は何の役に立つのでしょうか。

「幸せ度ランキング」というものがあります。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/world-happiness-ranking-2019_jp_5c906a19e4b071a25a85e44c
子供の幸せ度についての調査結果がこちらです。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5f5056e6c5b62b3add3bbdac
特に注目していただきたいのは”子どもの精神的幸福度”です。
この調査結果を見ての思いは人それぞれにあるでしょう。

わたしたちが慎み深くあろうとするのは何のためでしょうか。
「神が…下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである」1コリント1:7
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主を愛する

2020-09-11 05:54:08 | 旧約聖書
「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神…を愛さなければならない」申命6:5

「神を愛するとは…その戒めを守ることである」1ヨハネ5:3
それは神の教えを守り、従うこと解釈してよいのでしょうが、その一方でこうも記されています。
「律法によって義とされようとする(なら)…キリストから離れてしまっている」ガラテヤ5:4

モーセの律法は外形的なものでした。
”外形的なものだけで満足してしまい、その心は主から離れてしまっている”という意味でしょうか。

「バプテスマを受け、聖典を読み、祈り、教会に集い、聖餐を受けているから大丈夫」
と聞くことがありますが、それが”外形的なもので充分”という思いでであるとしたら…

心を伴わないとしたら、そこにはどれほどの愛があるのでしょうか。
わたしたちの主への愛は”心と精神、力を尽くしたもの”でしょうか。

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