不条理み○きー

当面、きまぐれ一言法師です

我が家の「ライナスの毛布」

2005年01月23日 23時29分24秒 | Life
 うちの子供の「ライナスの毛布」である。

 かれこれ10数年、わが子のお供をしている。
 縁の方はぼろぼろになっていて、知らない人は雑巾と見紛うような代物であるが、子供にとっては大切なものである。
 眠る時は、片時も離さない。
 ここ数年は、外泊する時には流石に持ち歩かなくなったが、それまではひっそりと忍ばせて持って回っていた。
 それだけに、マジでわが子の汗も涙もゲロさえも(!)知っている毛布である。
 いやいや、物理的なものだけではない。
 長い間、嬉しい気持ち、哀しい気持ち、悔しい気持ちなども全て知り尽くしているのだと思う。

 そう考えると、子供がそれを手放したくない気持ちもちょっとわかる。

 しかし、考えてみれば、こんな風に具体的なものでなくても、人は何らかの「ライナスの毛布」を抱えているのだ。
 それを抱きしめると、あるいはそれを思うと、「ホッ」と安心する、そういう物がその人にとっての「ライナスの毛布」だと思う。
 
 いやいや、たまたま、それが「毛布」とか「人形」だと、ついつい「莫迦にして」しまうけれど、実際にはそれは、人だったりする。
 つらく落ち込んでいた時、家族や友人、それに大好きな人なんかの「一言」を聞くと、ホッとする。
 それだってある意味、「ライナスの毛布」だと思うのだ。
 そんな経験は、誰にでも有るのではないだろうか?

 人は、あまり「頑張れ」と言われて「頑張りすぎる」と、弾けてしまうものらしい。
 なので、人知れずそっと、自分だけの「ライナスの毛布」を抱きしめて、それから「よしっ!」ともう一度頑張っているとのだと思う。
 そう考えると、私だって「ライナスの毛布」がゴロゴロしている。
 このblogの「看板娘」だって、その一つに違いない。
 そう、大人は「ライナスの毛布」を巧妙に隠し持つようになるのである。
 
 ところで、以前は「その毛布、何時まで持っている気なの?」と問いかけると、「いや、もうちょっとしたら」と答えを濁していたわが子は、最近、
「ん?どこまででも持っているよ。
 ボロボロになって、消えてなくなるまで。」
と答えるようになった。

 まあ、それも一歩、大人に近づいた印だ、と勝手に「バカ親」は思っている。

 さくらさんちの記事を見て、そんな事をふと考えたりした。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
さくらは (さくら)
2005-01-24 10:15:30
やっぱり 大人げないんでしょうか…(笑)



安心タオルだけでなく「心の中だけの安心毛布」も取り出して来ては

ブログの記事でその不安感などを吐き出したりします。



>大人は「ライナスの毛布」を巧妙に隠し持つようになるのである。



まだまだなんですね さくらは(笑)



トラバありがとうございます。この記事は実際のタオルのお話だけじゃなくて

心の中の安心感のお話も含めて書いたつもりだったので

その胸の内を汲み取って下さった ぷよっちのこの記事をとても嬉しく思います。
返信する
大丈夫でしょう^^ (ぷよぱぱ)
2005-01-24 10:34:37
★さくらさん

 超素早いコメントとTB有難うございます。

>まだまだなんですね さくらは(笑)

 いやぁ、全然、真っ当ですよ。

 私の方が、多分「危ない」です。^^

 他にも隠し持った毛布が多々・・・。



 まあ、うちも「愚痴の塊」のようなblogなので、いつでも寄って、ぶちまけていってくださいね。

 濃すぎて引く内容も多いかもですけど。

 
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