日頃、着ぐるみだのゼンタイだの騒いでいるけれど、当然、そういう嗜好に目覚めるのには、何らかのきっかけがある。
ふぇちの我が師、マーシー氏が、「マグマ大使の人間モドキ」だったように、何かある日、スコーンと頭を殴られたような衝撃を受ける「もの」に出会うのである。
例えば、私のキッカケのひとつは、この扉の画像だった。
これは、「高速エスパー」という番組の、主人公の両親の姿である。
この両親は、実は「エスパー星人」であり、その本当の姿は、真っ白けののっぺらぼうだったのである。
多分、それは、もう何度目かの再放送の時に見た奴で、一番「悶々」していた中坊時代の話である。
も、何かと言うと「そゆ事」しか考えていなかったその頃の私にとっては、この微かな胸のふくらみでも、かなりの衝撃だったのだろう。^^;
今でこそ、「えっ?何?」と思うものに出会ったら、ネットで検索したり、何かの専門誌を読むと、
「あ、これなんだ!」
という記事に出会える可能性が非常に高いし、上手くいけば、「画像」だって手に入り、もっとしげしげと見ることが出来るのだが、当時はそんなことは夢の夢である。
しかし、当時はビデオも無ければ、特撮の専門誌も無い。
ましてや、インターネットなどは、まだ生まれてさえいない。
結局、あれはなんだったのだろう、という思いとともに、「妄想」の世界に浸るしかなかったのである。
そして、その「妄想」に浸る時間が長かったからこそ、実際にそういうものを作って、手に入れている人がいる、と知ったときの衝撃も大きかったし、実際に、モノを手にしたときの感動も、ひとしおだった。
しかるに、現在は、ネットもあるしビデオもある。
専門誌にいろんな画像も出ているし、昔は特殊な業界にいる人しか手に入らなかったものが、結構、簡単に手に入る。
ある意味、いい時代になったものだ。
だけど、なんだか、そうしてさっさと手に入れている人たちは、なんだかその手に入れたものに対しての思いいれも、さっさと薄れているような気がするのである。
手に入れるまでの、悶々とした時間が短い分、手に入れた後もさっさと次に興味が移っているような気がするのである。
そう考えると、「手に入らず、悶々としていた時間」こそ、その「モノ」への想いを育む時間なのではないかなぁ、などと思ったりした。
で、ふと思ったのだが、それは人に対する想いも同じで、
「会えない時があるからこそ、その人への想いが育まれる」
ような気もするのである。
いや、まあ、莫迦なふぇち話の後でとってつけたような話で、説得力無いけれどね。^^
と、いう事で、みなさんも、たまには、欲しいものをぐっと我慢して、そのものへの「想い」を高めてみては、如何でしょう?
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当時の網膜記録のみで画像も無く中々言い出せませんでした。
ので、この事お話したこと無かったですけど流石ぷよぱぱさんです。
ちなみにご紹介の本の別の巻に
赤影に出てきた黒タイツ被って顔を書いた「くぐつ何とか」さんの写真がありましたね。
FCさんとは、何だか逐一、ツボが一緒で恐ろしいくらいです。^^;
でも、わたしも当時の記憶では、完全にのっぺらぼうだと思っていたのですが、この画像をみて、ああ、目の穴が空いていると思って、ちょっとショックでした。
赤影の本も見ましたよ。
わたしの場合、男だったので、迷わず却下でした。(爆
また、ネタを見つけたらアップしますね。