冬の柔らかな日差しが、南面したガラス戸からたっぷりと居間に差し込んでいる。
おばあちゃんは、どてらを羽織り座椅子に座って居間のこたつに入っている。
いや、その「もこもこ」とした様子は、こたつ布団にまみれていると言った方が良いのかもしれない。
あたしは、台所を片付けながら、そんなおばあちゃんの方を見て、思わず涙がこぼれそうになる。
そう、明日になれば、おばあちゃんは、ここを出て行くのだから。
たきばあちゃんは、今年で96。
55の時におじいちゃんを脳溢血で亡くしてから、ずっとこの家に一人暮らしだ。
おばあちゃんには、8人の子供がいて、うちの母は二女。
3人の叔父は東京へ出て、叔母も、一人は鹿児島、もう一人は群馬に嫁いでしまったのだが、近所に残ったのは3人のうちで、一番足繁くおばあちゃんの所に通っていたのが、うちの母だった。
だから。
母が事故で死んだとき、おばあちゃんの落胆ぶりは酷かった。
その時のあたしは高校生だったのだが、打ちひしがれたおばあちゃんを見て以来、時間があれば、母に代わっておばあちゃんの家を訪ねるようになった。
それは、あたしが地元の大学を出て、少し離れた地方都市に勤めるようになった今でも続いていたが、学生の頃のように頻繁に通うことは出来なくなっていた。
それでも、元々、一人で出歩くのが好きだったおばあちゃんは、耳が遠くなった他はさして老け込む様子もなく、あたしが訪ねる度に、
「ヤヨイちゃんは、鶏が好きやったネェ。」
と言っては、近所のスーパーで鶏を買い込み、食べ切れぬほどの量の「から揚げ」を作ってくれたものである。
しかし、丁度、2年前。
庭で足と腰を痛めてしまい、それからは、好きだった外出が出来なくなってしまった。
それ以来、急に老け込んでしまったのである。
物忘れが酷くなり、部屋も散らかすようになった。
近所の伯母が、週一回買出しして冷凍した材料で、自分の食事は作っていたが、賞味期限切れのものを食べる事もあったし、何よりだんだん、一人で火を使わせる事が危なくなってきていた。
そこで、困った叔父叔母が集まって相談し、近所の入居型のケアセンターに入所することにしたのである。
その入居日が明日なのだ。
なので今日は、家の片付けと明日の準備をしようと、あたしは仕事を休んでおばあちゃんの家に寄った、という訳だ。
本当は、そんな事は叔父叔母がやってくれるのだと思っていた。
ところが、
「要るものがあれば、その度取りに行けばいいとやけん、別に前の日に何かせんでもいいよ。
別に誰か他の人に家を貸すわけや無いとやし。」
というつれない返事。
あたしは呆れたが、もともと、孫とはいえ他家の人間であるあたしが、おばあちゃんの所に通うことを、叔父伯母があまり快く思って居ないのは知っていたので、もうそれ以上は叔父叔母に何か言うのは止めた。
片付け始めると、昔はあんなにきれい好きだったおばあちゃんの家のあちこちが散らかっていて、改めておばあちゃんの「老い」を思い知らされ、あたしはその都度、涙をこらえるのに必死だった。
箪笥、押入れを整理し、最後に一番散らかっている台所の片付けに取り掛かったその時、ふっとおばあちゃんの方を見た光景が最初の光景だったのである。
兎に角、めそめそしていても、片付けは終わらない。
そう思って、こたつに入っているおばあちゃんから目を戻したその時。
「にゃぁぁご」
かすれた猫の声がした。
慌てて声の方を見ると、でっぷりと太った老猫が一匹、勝手口の所に立っていた。
「おお、コジロー。久しぶりやね。
お前も、生きとったんね。」
あたしは、思わず声をかけた。
コジローは、あたしが大学の頃からここに寄ってきている野良猫だった。
もう、10年位も前のことだから、てっきり死んだモノと思っていたのだが。
しかし、コジローは、あたしを見向きもせず、のそりのそりと歩き始めると、勝手に家に上がり込み、こたつで眠っているおばあちゃんの横に、どっかりと座り込んだ。
「はぁ、あんた。
相変わらず、我が物顔やネェ。」
あたしはちょっと、苦笑した。
そこへ。
「なーご」
今度は、玄関から声がする。
立ち上がって見に行くと、真っ黒な老猫が居る。
この猫は、あたしの知らない猫だ。
いや、実は。
ここは猫のたまり場でもある。
猫好きのおばあちゃんは、いつでも猫たちが出入りできるよう、玄関も木戸もいつでも開けっ放しにしている。
そのお陰で、おばあちゃんの家には入れ替わり立ち代り、何がしかの猫がいるのが普通だった。
彼等にしてみれば、殆どおばあちゃんの所に通えないあたしの方が、よほど他所者だと言うだろう。
そう言えば、今日に限っては一匹もいないなぁと思っていたのだが、連続で御到着のようだ。
「なんね。
あんたも、ばあちゃんに用があるとね?」
そう話しかけたが、黒猫はちょっとあたしを見ただけで、すたすたと歩き出し、これまた、家に上がり込んだ。
驚いたことに、その後にもっと若い黒猫が2匹とブチ猫が3匹続いて、やはりすたすたと家に上がり込む。
そうして、それまではお互いじゃれ合っていた若い猫も、最初の老黒猫がだまって、おばあちゃんの向かいのこたつ布団の上にどっかと座ると、並んで静かに座り込んだ。
「いやぁ、珍しいことも有るもんやねぇ。」
自由に猫が出入りしているとは言え、やはり猫にも順列やグループがあるようで、あまりたくさんの猫が一度に介する事は殆ど無いのだ。
あたしは、暫くその光景に見とれていたが、やがて、まだ台所の片づけが済んでいない事を思い出し、慌てて台所に戻る。
やがて、痛んでいる調味料の類を全部捨てて、鍋食器の類も、あまりに欠けやひびの目立つものはとりわけ、台所の片づけが一段落して、あとは衣類を整理して、明日もって行くものを詰めるだけ、となった。
そこで、一服しようとあたしは、お茶を入れ、買ってきたおばあちゃんの好きな最中を皿に盛って、居間に向かった。
「おばあちゃん、ちょっと、お茶に・・・。」
あたしの声はそこで止まった。
なぜなら・・・そこには・・・。
どこから集まったのか、居間中に猫が溢れていた。
猫たちはみな、おばあちゃんを取り囲むようにして座っていた。
しかも、猫たちは、おとなしく目を閉じて、差し込む日差しを一杯に浴びながら、おばあちゃんと一緒に静かに眠っているのだった。
その時。
あたしは気付いたのだ。
猫たちは、わかっていたのである。
今日で、おばあちゃんがここから居なくなる事を。
そして、最後の時を一緒に過ごそうと、皆でここを尋ねてきたのだという事を。
気づけば、あたしはお茶とお菓子を持って立ち尽くしたまま、ほろほろと泣いていた。
それは、これまで押さえつけていた自分の寂しさがこれ以上押さえつけられなくなったからでもあり、こうして着てくれた猫たちの気持ちに感謝しての涙でも有った。
どのくらい、そうしていたのだろう。
陽が西日に傾いて、居間の中に差す光が、夕焼けの赤い陽射しに変わった頃、静かに猫たちは立ち上がり、そうして入ってきたときと同じように、静かに去って行った。
すっかり猫がいなくなった頃、おばあちゃんがはっと目を覚ました。
そして、立ち尽くしているあたしを見つけて、呆れたように言った。
「あれ、ヤヨイちゃん、そげなところで、何しようとね。
寒いけん、こっちきてコタツに入れ。」
あたしは、その声にハッとして、慌てて涙を拭くと言った。
「ん、今行く。
お茶、入れるけん、まっとって。
ばあちゃんのすきな、最中もあるきね。」
そうあたしが言うと、おばあちゃんは真っ赤な夕陽の中でにっこり笑った。
「にゃー」
どこかで、猫が鳴いた。
※この話は、フィクションです。
【TB】野良猫と、雨粒と、わたし。 じいたんばあたん観察記
私には実祖母はもう二人とも居ません。そのかわりツレアイの母方の祖母は未だ健在の明治生まれの女性です。そういういのちの存在に,私はなんとも言いようのない憧れを持っている と,コドモが大きくなるに連れて意識するようになりました・・・
ねこって不思議とニンゲンの淋しさを関知できるイキモノのような気がします。
ということで,ながなが書いてしまったのですが,要は,泣けてしまった とお伝えしたかったのでした・・・
素敵なお話。ありがとうございます
拙い文章をお読みいただき、感謝です。
うちの祖母も、明治45年生まれ(大正元年と言うと叱られます^^;)の明治女なので、もうすっかり耳も遠くなり、同じは無しを良く繰り返すようになったのですが、下手な返事をすると一喝されます。
確かに一本筋の通った人間の重みを感じますね。
福岡にいるので、なかなか会えないのですけどね。
ぷよさん、ありがとう。
うちの祖父母もきっと、喜んでくれると思います。
あたしの立場は…そうなんです、この物語に出てくる主人公の女性と、ほぼ、同じ。
祖父母への愛情は誰にも負けていないつもりなんです。どんなひどい症状になったって、受け入れる覚悟があります。
でもそんな「思い」は、血族には通用しない。私が、子供ではなく、孫だからです(立場が違うってこういうことなのだと思います)。
苦しくて、苦しくて、苦しくて。
ここ数日、ブログの更新がなかったのは、その辺の葛藤があったからです。
ぷよさんの物語のなかで、わたしのこころが、こんな心情が、存在することを、優しく認めてもらえたような気がして、慰められる想いがいたしました。
本当にありがとう、ぷよさん。
これからも、どうぞよろしくおねがいします
ありがとうございます。
そう言っていただけると、書いて良かったと思います。
子細は書きませんが、正月にすこし落ち込んで祖母の宅を訪れたときに見た光景が下敷きになって居るんです。
もちろん、こんなに沢山の猫は居ませんでしたが。^^;
しばらく見とれていたら、落ち込んでいた原因を忘れてしまいましたよ。^^
やっぱり、猫の力なんですかねぇ?