プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

スミス

2018-01-18 00:52:53 | 日記
1972年

右手の先発メンバー表をヒラヒラさせながら、上田ヘッド・コーチは「スミスや、スミスや」とまるでオニの首でもとったようにベンチにとんで帰ってきた。これなら勝てるという感じが、その動作にあふれている。その直後に約十分間のミーティングが行われたが、西本監督はただ一言。こういっただけだった。「どんなピッチングをやるかわからん。しかし相手(南海)は二位やからここらでたたいてやろうやないか」先発を江本とにらんで福本、ソレール、加藤と左打者を並べたこのオーダー。野村監督は逆にその裏をかいたのかもしれない。だが「なんや、スミスじゃ遊びやないか。意表をつかれた気持ちはまるでなかったな」(福本)という阪急ベンチのリラックス・ムードまでは計算していなかったようだ。福本四球、ソレール死球、加藤三振、長池四球と打者四人に3四死球というみじめな内容。たった十八球投げただけで一塁ベースに小さくなって戻っていくスミスの先発はいろんな疑問を残す結果になった。「テスト・ケースだった。どれだけやれるかを見たかったんや」という野村監督。しかし阪急を2・5ゲーム差で迫っていることを知らないはずはなかろう。ここで一気にたたけば、1・5ゲーム差。チームをグッと上昇ムードにのせられたはずだ。西本監督の疑問もここからはじまる。「首位攻防戦のしょっぱな。この一番大事な試合に、スミスを先発させるとはな。それなりの確信があったんやろうか。それともあとの投手が信頼できなかったのやろうか」そして、もう一つ首をかしげるのは一死一、二塁、長池のところでなおもスミスに続投させたことだ。長池も「ノムさん(野村)もブルペンを見て相当考えていたようや。だからぼくはてっきり江本がくると思っていた」という。その長池に四球を出してますます傷口は広がっていった。試合開始一時間前まで先発予定だった江本は、このあとにリリーフして打たれている。なにも左打者恐怖症にかかっているわけではない。今シーズン阪急戦に二試合に登板して福本、ソレール、加藤には二十三打数で五安打だけ。「右より左の方が投げやすい」という自信をもっていたほどだ。しかしピンチでのリリーフを苦手にしている。「ウチは勝たしてもらったんやからぜいたくはいえない。しらけた?勝つのにしらけるもなにもあるかいな」と笑う西本監督。大リーグで二十九試合登板。2勝4敗、防御率3.05というスミスの成績は八年前の話で、前日は大阪球場で三十球ほどのピッチングしかしていない。「肩が堅くなって、コントロールがもうひとつだった。大リーグで先発したかどうかは覚えていない」とマウンドでニヤニヤと白い歯を出していたが、たった十八球のKOではいいわけもできないだろう。五月三日の対ロッテ戦四回戦(東京)では六回無死からリリーフしてアルトマンに初球を右前安打されている。左打者用の投手なら、昨年阪急から2勝(2敗)をかせぎ、中八日休養の村上雅もいたのに・・・。

「右打者が並んできても、一イニング投げさすつもりだった。そのへんの理由はいえない」と口をとざす野村監督。スミスの3四死球で歯車が狂い、あとは五投手で13四死球のパ・リーグ・タイ記録までつくってしまった。奇襲作戦が完全に裏目となって、阪急と南海のゲーム差は3・5と広がった。
コメント
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