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プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

多岐篤司

2025-08-27 07:48:19 | 日記
1986年
「意外だけれども、うれしい」と、多岐投手。広島以外の他球団からの打診はあったが、一番熱心だったのは近鉄。だが、創立四年目の神戸弘陵から初のドラフト。「投手としてならプロ入りでもいいと思う」と、高木監督は、早くも賛成?バッティングがよくて、通算・350(7ホーマー)打撃に関しての(プロの)調査が多かったそうだ。投球フォームは「近藤(享栄)よりきれいで、元巨人の新浦投手にそっくり」ストレートは最高132㌔。今夏、県予選で投打に活躍、ベスト8。「前向きに考えます」目標は新浦投手という。

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高橋顕法

2025-08-27 07:35:59 | 日記
1998年
投壊に悩む阪神の入れ替え人事で、思わぬドタバタ劇が生まれた。八日、一軍昇格が決まった左腕・高橋だが、つい先日、サイドスローへの転向を言い渡されたばかり。一軍昇格と言われても「上から投げるんでしょうか、それても横からでしょうか」と本人は真剣に戸惑ってしまったのだ。遠征先の福岡から鳴尾浜への合宿へ帰って来た高橋。前日の深夜に聞かされた一軍昇格に喜び爆発かと思ったらとんでもなかった。「うれしいというのもありますけど、昨日(七日)からサイドスローの練習を始めたばかりなんです。上から投げるか、横から投げるか、どうしようかな」六年目の春も頭の中はパニック寸前?高橋のサイドスロー転向は六日に決まったばかり。二軍が福岡遠征へ出発する直前、鳴尾浜を訪れた一枝ヘッドが古沢二軍投手コーチと協議。左肩痛でいまだに投球を再開出来ない田村に代わる左のワンポイントをどうするかという中で、元来のクセ球の威力を最大限に生かして代役にという意味での転向決定だった。昨年のオープン戦でサイドスローを試みたことのある高橋だが、その後は封印。オーバースローで通してきた。「サイド転向には納得してますし、最終的にはそうしたい」と高橋。前日、福岡・鷹の巣でサイドから50球の投球練習を開始した。「自分ではずいぶん下から投げているつもりでも結構上から出ているんです」これからジックリ形をつくっていこうと考えてた矢先の朗報も「えっ、自分が」が正直な気持ちだった。「明日(九日)相談してから決めます」と高橋は、室内練習場で中谷を相手にキャッチボールでは横から、投球では上からの快速球を披露。首脳陣はサイドスローでの登板を狙っているが、それにしても練習一日の急造投手の昇格。図らずも一軍投手陣の苦しさを露呈した昇格劇だった。

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源五郎丸洋

2025-08-27 07:24:54 | 日記
1986年
白組の先発・源五郎丸が3回を1安打に抑え切った。球威はさほどないが、ストレート、カーブともコントロールに進歩。新しく身につけた小さく曲がるスライダーがよく決まった。「僕ももう五年目。何とかきっかけをつかみたい。スライダーをうまく使えるようになって、ピッチングの組み立てに変化をつけられるようになりました」と源五郎丸。投球に緩急をつけ岡田を外のカーブでひっかけさせた。一軍へあと一歩だ。

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多岐篤司

2025-08-22 21:09:26 | 日記
1988年
遠山よりエエやないか…。15日の紅白戦、3回を投げて2安打1失点(自責0)の成績だったが、村山監督は「速球は遠山にヒケは取らんし、ピッチングのうまさはそれ以上や。それに器用なところがいい」とベタボメ。神戸弘陵高からドラフト4位で入団、2年目の今季は米国A級のカリフォルニア・リーグに野球留学、帰国したあとも教育リーグに参加するなど、ほとんど本場でプレー。その財産を安芸で披露したわけで、この紅白戦でもけん制で二つアウトを取る器用さも見せた。「まだまだ、課題はたくさんあります」と本人はいたって控えめだが、首脳陣の評価はウナギ上り。ヤング左腕の成長が楽しみだ。

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多岐篤司

2025-08-22 20:25:51 | 日記
1988年
来季は左カルテットー。阪神の紅白戦で秘密兵器が登場した。今季米国へ野球留学していた多岐。3回を2安打1失点。左からの本格派で、スクリューボールとカーブの配球でなかなかの威力。「米国でそこそこやれたのもうなずける。遠山と同じぐらいの力はある。来季が楽しみだ」と村山監督を喜ばせた。中日でも米国帰りの山本が頭角を現した。阪神でも多岐が一軍スタッフに加われば、遠山、猪俣、仲田とで左カルテットの誕生となるのだが…。


1989年


昨秋の米教育リーグでチェンジアップをマスター。一気にヤング左腕トリオに割って入りそうな期待の大型サウスポー。

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阿井英二郎

2025-08-17 13:35:06 | 日記
1986年
オープン戦初登場のヤクルトは先発宮本と抑え候補としてテスト登板した阿井の好投が収穫。阿井は荒れ気味ながら2回を被安打0、2奪三振。球威のある直球、スライダーで抑え込んだ。

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中田良弘

2025-08-17 13:31:48 | 日記
1981年
阪神の中田は二回、先頭のマニエルに中前打されたほかは、十一人の打者を迎え、紅白試合とは見違えるピッチング。カーブが低めに決まったので、直球が生きた。大矢と岩下に2球投げたフォークボールもいいコースに落ちた。さほど球威があるわけではないが、練習より実戦向きだ。


1983年


キャンプ最後の紅白戦に中田と赤松が好投した。中田は3回を無安打、無四球に封じ、真っすぐが大分よくなってきた。カーブ、フォークボール、シュートも自分のものになりつつある」と満足そう。

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伊藤宏光

2025-08-15 09:52:32 | 日記
1982年
スコアボードに「伊藤」のプレートが現れた。スタンドからドッと声があがった。「ウム、きょうも勝てるッ」と、そんな声である。それは何よりも伊藤が勝ち星を計算できる投手として、首脳陣に、ナインに、ファンに「信頼感を与えている」という証拠以外の何ものでもなかった。中三日の登板で果たしてどうか?という危ぐは、しかし当の本人にはみじんもなかった。「(中四日の方が)日があきすぎて肩が軽すぎる。中三日の方がワン、ツー、スリーの感じで、この間隔の方がいいみたい」(本人)「ヤツ、中三日でウズウズしとるヨ」(加納コーチ)・完封ー完投…と乗っているからこそ答えるのかもしれないが、例えば7回、基への初球を谷球審にボールと判定され「いまの球のどこがボール?」とツカツカとホームプレートに近づいての主張は、これまでの彼にはなかった。一度、打たれずに止まらないというかつての性癖も影をひそめた。若菜の好リード、バックの好守と、力投すれば周囲もこたえる最高の連鎖反応が、伊藤を勝てる投手に仕立てあげているのだろう。「こっち(阪神)が点をとってくれるまで絶対1点もやらん。そんな気持ちで投げているのがいいのかなあ」4回まで二塁を踏ませないピッチング。5回と7回、いずれも高木嘉に痛打され、救援エースにあと2イニングはゆだねたが、ここ3試合の登板は25イニングで自責点が3。いま、だれがこの男に後ろ指をさせよう。広島で何点も何点もとられても野ざらしにされたのが、彼には楽になったのか。「監督サンがよく声をかけてくれるし、期待にこたえなイカンと思うし…オレにも責任感が出てきたのかな」8連勝と…波に乗る中で投げてそのプレッシャーをも押しのけた好投は自らの5勝目だった。負け数が七つ。チームは貯金ができたが自分は借金2。「その話、また今度に…」ニヤリと笑った顔に、もう風格がある。


どうもすんなりといかない。必ず自分で見せ場を作ってしまう。「柴田さんがいたら、また怒られているところです」自己最多タイの8勝目を挙げた伊藤は、そう言って頭をかくのだ。5回まではほぼ完ぺきの内容。それに呼応する形で味方打線が苦手の中日・郭を攻略し、実に7点の大量援護をくれた。本来なら左ウチワの完投、というより一人で試合をまかなって当たり前なのに、三塁側を埋めた中日ファンにも入場料分のサービスをしてしまう。実に人がいいのだ。場面は6回。コンコンと3安打を喫して1点を献上。この別人のピッチングに業を煮やした安藤監督が、小山コーチの霧払いを省略してマウンドへすっ飛んできた。「大量リードしたからといって気を抜くな!」えらい剣幕だ。そのペナルティーというわけか完投の栄誉は与えられず、8回から福間と交代させられて「勝っても喜べません」と試合後に頭をかくことになったわけ。試合前は一応、四日の巨人23回戦に2回1/3でKOされた屈辱を晴らそうと心に決め、また「きょう勝っとかんと念願の10勝到達が苦しくなる」と緊張していたそうだが…。右肩の故障を克服し、以前に比べれば安定性が増してはきているが、来季以降のスタッフを考えると、いつまでも№3や№4の立場に甘んじず、心技とも柱になってもらいたい。この日のように「一度は危ない場面がある」と首脳やバックに思わせるのは、自分にとっても損だ。


ふだん、あまり表に感情を出さない伊藤が救援で最後を締めくくってくれた山本と握手のとき、両ホオを無意識のウチに緩ませている。ついに手中にした「10勝」の金看板ー。「完投で疲れなかった」悔いはあろうが、とりあえず「2ケタ勝ったピッチャー」に仲間入りして来期以降の楽しみもふくらませた。9勝達成から二度足踏みして三度目の正直で念願の大台到達。「きょうの登板が(10勝マークの)最後の機会やと思うて…」と口を開いて「来年のこと思うたら絶対に10勝しとくべきだと僕なりに考えてたんです」と。隠し続けていた胸の内をも見せる。好敵手工藤に先に10勝を越され、昨年は新人中田の出現でかすみかけていた。今季五月、あまりのふがいなさに安藤監督の逆鱗に触れ、打たれても打たれても降板指令をもらえず「こんちくしょう!」と思ってから、彼はひと皮むけた。実の親でもこんなに責めない、という感じで伊藤の精神力を鍛えあげた柴田バッテリーコーチも、謹慎中の和歌山の実家で「やりおったか」と言っていよう。伊藤の10勝に「あれで完投できんとは…」と安藤監督は依然厳しい評価だがそこはこの10勝であぐらをかいてしまっては、という辛抱遠慮に違いない。とまれ、伊藤の10勝で安藤阪神に10勝以上達成の投手が四人(山本15、小林11、工藤、伊藤格10勝)がそろった。五十一年の江本(15)古沢(10)谷村、上田(各12)安仁屋(10勝)以来のそろい踏み。シーズン当初の「弱投」という酷評から脱皮できる日は近いのかもしれない。

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伊藤宏光

2025-08-15 09:16:29 | 日記
1982年
極道息子が鮮やかなまでに親孝行に変身する。9回二死を取ったところで池内にマウンドを譲ったが、伊藤はヤクルト打線をわずか2安打に抑え切り、チームに今季初の連勝と初完封をやってのけた。「勝負どころでインコースへ思い切って投げられた。カウントをどんどん積極的に取りにいったのが良かったです。とにかく勝てて良かった。一つも勝てんというのはほんとにつらいものですから」あと一歩で完封は逃したものの、5試合目の登板でやっと初白星をつかんで伊藤は会心の笑顔だ。工藤と並んで小林、山本に続く第3の投手と首脳陣から期待をかけられながら開幕以来3連敗。いわば投壊を招いた張本人という不名誉な立場に追い込まれていた。「今は先発だけじゃなく、抑えに回るケースもある。調整は難しいし、先発だけならいいんだけど自分たちで招いた結果だし…。とにかくいい投球をするのが先決。気持ちの切り替えを工夫して、早くいい投球をしたいとだけ心掛けていた」この夜の快投は、胸の内で燃やしていた意地が一気に表面に噴出したものだった。「完封したかったけど仕方ないです。まあ、これで自信が…」と伊藤が本来の姿を取り戻し、苦しかった投手陣にも明るい灯がのぞく。「球が8回ごろからうわずっていたね。9回杉浦が出れば次が長打の渡辺だし交代は予定していた。しかし、いいピッチングだった。後は伊藤に聞いてやって」これまでは苦虫をかみつぶしたような表情を続けていた小山投手コーチにも笑顔が戻り、阪神は投壊脱出へようやく一歩ステップを踏んだ。


151球目で最後の打者・小川を三邪飛に仕留めてプロ入り初の2試合連続完投で4勝目を飾った伊藤は、ガッツポーズもなく、マウンドの上で「あ、しんど」1回から9回まで、まさに波乱万丈のピッチングだった。初回、いきなり6点の大量援護をもらったものの前半は青息吐息。「四球だけは出したくないのでストライクを取りにいった」ところを狙い打たれてダウン寸前。しかし最近、めっきり成長した精神面の粘りを見せて、いずれもピンチを切りぬけた。ピッチングの方は百点満点とはいかなかったが、代わりに打席で大暴れ。初回の攻撃では今季24打数目の初ヒットでプロ入り初打点をマーク。3回には苦手のバントもうまく決め、4回にも右前打を放ち、1試合2安打もプロ入り初と初ものづくし。「いろんなことをやってるんですね。でもボクは何も…。大量点をもらってるし、絶対完投と、それだけを考えてました。とにかく完投できてよかった」悪いながらも要所を締める粘投での完投劇は一本立ちへの何よりの証明。新しい境地を開いた伊藤は白星街道を突っ走るチームに、さらに明るい材料を積み上げた。


六月三十日以来、月が二度変わった。その間に8連敗もあった。エース小林までが戦列を離れ、チームが最も苦しかったときに、二軍で汗を流すことしかできなかったもどかしさ。白星から遠ざかっていた47日間に、伊藤はプロとして、人間として、ひと回りもふた回りも成長したはず。いや、そうでなければならなかったはず。周囲の祈るような視線の中で、出された答えは見事なものだった。「小山さんに最初から飛ばせと言われてた」というだけあって、初回から全力投球。ストレートは球速141㌔を記録した。ただし力みすぎのおかげで、ボールは高く浮き、一死一、二塁のピンチ。「初回に3点もらっただけに、なんとか打線にこたえようと必死だったですよ」ここで幸いしたのは、皮肉にも定まらないコントロールだった。打者の頭のあたりを通るボールが幾つも。新ルールの適用されたパ・リーグなら、とっくの昔に退場ものである。「あれで大洋は的が絞れなかったみたい」(笠間)ボールをよけて、グラウンドに転んだ大洋の打者は、凡打の山を築くばかり。完投も…期待された矢先に代打ジョンストンと交代した。「100球は超えていたし、故障後間もないのに、無理はさせられんからね」と安藤監督。結局、山本に助けられて、48日ぶりの6勝目を記録する結果になった。「飛ばしすぎて、最後はへばってしまった。でも二度目の登板がここまで投げられたのがうれしい。肩?中日戦はこわごわだったけど、もうなんの心配もありません」すっかり汗のひいたその右手が、汗ビッショリの山本の右手に重ねられる。「カズさん、どうもすみませんでした」おそらく次の登板では、こんな光景を見ることもないだろう。

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関口朋幸

2025-08-15 08:48:19 | 日記
1981年
1.86メートルの長身から投げ落ろす140キロ超速球にシュート、カーブが得意球。今年はそれに「関口流スライダー」を加え投球の幅も増した。


「今年どうしても活躍してもらいたい投手」と上田監督はいう。ストレート、カーブ、シュート、チェンジアップが持ち球だが、この期待に応えようと新しい球種に挑戦中。「完成するまでいえません。たいしたボールじゃないんです…」と謙虚だが、内に秘めた闘志は十分。「何勝するという目標はいえません。ボクはまだ3勝しか実績がない投手なんです」あくまで控えめに語るが、目指す山田に向かって今年はピッチを上げることは間違いない。

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相川英明

2025-08-15 08:34:30 | 日記
1986年
一年前には、いや半年前には想像もできなかった姿だ。九回二死二塁、相川は代打・若松を二ゴロに仕留めて初めて顔を緩めた。ナインに握手で迎えられる。横浜高からドラフト5位入団、高校卒のルーキーの初完投の瞬間だ。「今日は立ち上がりから直球が走っていましたから。でも最後の最後まで、完投できるなんて思っていなかった」「ブルペンではリリーフエースの斎藤が時折、投球準備をしているのが視野に入っていたに違いない。でもひょうひょうと投げ切った。これでプロ入り4勝目。「今までは勝ちをもらってましたから。ローテーション入りしたし、一度ぐらいは自分の力で取りたかった」との願いも達成した。「最後までマウンドにいられる、というのは気持ちいいですねえ。できれば完封したかったけど」と改めて勝利の味をかみしめていた。孫のような相川の白星に、近藤監督も久しぶりに会心の笑み。「相川は球の切れがいいから。高校卒のルーキーが完投勝利したんですよ。最後までスピードが落ちなかったし。二、三年後にはウチの投手陣の柱になってもらうんだから」と手放しだった。


1987年


今季初勝利は99%手中にしていたものの、プロ入り二年目の初完封がピンチだった。九回二死満塁、打者永尾。「ものすごく意識しましたよ。その分、力が入りすぎて…。最後は捕ってくれ、と祈りました」その最後の打球は三邪飛、山下が慎重に捕球して相川に思わずガッツポーズが出た。計5イニングも無死から走者を許している。が、ホームは最後まで踏ませなかった。「きょうはコースより、力のあるボールを真ん中に投げようと思った。市川さんにも、追い込むまでコースに構えないでくれ、と言ったんです」言ってみれば、走者を背負っても逃げない大胆な攻めが活路を開いたといったところか。「ものすごくうれしい」の言葉にも当然、実感がこもっていた。六十一年のドラフト5位で地元横浜高から大洋入り。昨年、ルーキーの年に4勝を稼ぎ将来に期待がかかる十九歳だ。「六回真弓さんから始まったところがヤマ。完封はその時まだ意識してなかったけど、六回を乗り切ってよし完投だと思いました」札幌で大洋の若い有望株が芽を一つ出した。


相川が六月十三日の阪神戦(甲子園)以来の白星を挙げた。「久々の勝ちでしょ。九回は緊張しましたよ」強心臓の相川にしてはおとなしい発言。「杉浦さんに本塁打を打たれてからは五回までのつもりで。その後は何も考えずに投げていた」と言う。散発3安打ながら8与四死球とコントロールは荒れ気味だったが「一発長打を警戒しすぎて。逆に荒れていたのが良かったのかも」昨季の勝ち星「4」まであと一つ。「何とか勝ちたいですね。投げさせてくれるかな」

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相川英明

2025-08-14 21:53:48 | 日記
1986年

「桑田君、オレだって横浜高のエースだった」逆転のピンチに相川は出てきた。四回一死一、二塁。打者は篠塚、クロマティと続く。「欠端から、十八歳の高卒ルーキーに任せるには、勇気と決断がいる場面だったけどね」と近藤監督。しかし、相川は監督の胸中にこたえた。「どうしようかな、と思いましたヨ。ボールがコースに決まらないし…」999試合目の若菜は度胸一番、真ん中にミットを構える。「真ん中へ投げてみて、球が左右に散ってくれたらいいと思って投げました」「篠塚は抜いたシュートで空振り三振。クロマティも遊ゴロに仕留めた。監督からのアドバイス、「受け身に回ったらダメだ」の一言そのままのマウンドだった。今季高卒のルーキーとしては遠山(阪神)桑田(巨人)に続く勝利。「ボクとは格も違うし、向こうは先発だから。でも中山にはちょっと悪いナー」前日(十三日)、母校・横浜高を訪ねた際、渡辺監督と初勝利の時は祝電をもらう約束をしていたそうで、早くもそれが実現した。門田、堀井とともに、大洋中継ぎ投手の一角を担っている。「いい場面で使ってくれるし、投げるのが楽しい。またヒジを壊さないよう強化に努めています」「まだ若いからボークをやったり、見ていられないが、打者の手元で球が切れるのがいい。試合に出るごとに力を付けているネ」と、近藤監督。Aクラスにかける監督の腹のくくり方が、十八歳の少年にジンと伝わったような相川のピッチングだった。

相川投手の母親・道子さん(41)の話 英明がプロ野球で1勝、それもこんなに早く勝てるなんて、夢みたいです。兄の光明(22)と一緒にテレビを見ていたんですが、見ているうちに自分の体が固くなってきてしまって…。見ていられない気持ちと、本人はちゃんと投げてほしいという願いが一緒になりまして、今月上旬の北海道遠征の前に、一度顔を見せました。グラウンドで投げている姿は、まだ見たことないんです。顔を合わせたら、おめでとう、と言ってやりますけど、まだキツネにつつまれたみたいで…。出来過ぎです。

今季初の5連勝、五十四年以来、七年ぶりの対阪神戦勝ち超しーとこの1勝、横浜大洋にとっては「大きな白星」だった。前夜に続く平田の2ラン、ポンセ、ローマンの適時打、そして若菜のソロアーチと早々5点のリードを得た相川が、プロ2勝目をマークした。140㌔台の直球、カーブがポンポンと決まる。五回まで猛打の阪神を零点に抑えた。前回、六月十九日、広島13回戦(横浜)で先発したときは一死しか取れず初回、3失点KOされたのに比べ格段の成長ぶりだ。「この前、先発したときにいい恥をかいてしまいましたからね。(勝利投手の権利が生まれる)五回は特に気合が入りました」試合前、硬い表情だった相川はニッコリ。「六回は一番からだったので気を付けすぎて変化球が外れ、真弓さんに四球を出してしまいました。長いイニングは久しぶりなので少しバテてましたし」降板のもととなった真弓の四球には悔しそうだった。六日からの巨人戦(後楽園)に向け、エースの遠藤、木田を温存できた近藤監督は笑いをこらえ切れない。「投手が苦しい中、相川がよくやってくれた。破れなかった壁が敗れたね。阪神にV2をさせない、というボクの今年の仕事の半分近い部分だったからね」と、話すそばから白い歯がこぼれてしまう。十八歳の若者がつかんでくれた勝利とあっては、余計にうれしかったろう。
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伊藤剛

2025-08-04 20:31:45 | 日記
2000年 
日本ハムの二年目右腕、伊藤がプロ初完投勝利を飾った。140㌔台の直球を軸に、本塁付近に吹く向かい風を利用してフォーク、カーブなど。変化球を駆使。七回二死から代打石井に適時打されて初完封こそ逃したが、ロッテ打線を6安打2失点に抑えた。
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小橋正佳

2025-08-03 17:09:02 | 日記
1997年


昨年ファーム初勝利。長身から投げおろすタマには角度があり、楽しみな存在。

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増田政行

2025-08-03 17:07:08 | 日記
1994年


疲労性肋骨骨折も完治。政行から改名もした。カウント稼ぎの変化球を会得して一軍定着を目指す。


1995年
1年目には一軍で先発のマウンドも踏んだ。素質はあるだけに昇格のきっかけをつかみたいところ。


1997年


92年以来の先発マウンドを踏んだ昨年、6月29日阪神戦で念願のプロ初勝利。22試合に登板した成長株。145㌔前後の速球を生かせば勝ち星も増える。


1998年


140㌔級の速球で昨年開幕一軍。ファーム防御率2位。背番号変更で一念発起。


1999年


威力あふれるストレート。きっかけ次第で結果を残せる。まず登板数を増やしたい。

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