1986年
「桑田君、オレだって横浜高のエースだった」逆転のピンチに相川は出てきた。四回一死一、二塁。打者は篠塚、クロマティと続く。「欠端から、十八歳の高卒ルーキーに任せるには、勇気と決断がいる場面だったけどね」と近藤監督。しかし、相川は監督の胸中にこたえた。「どうしようかな、と思いましたヨ。ボールがコースに決まらないし…」999試合目の若菜は度胸一番、真ん中にミットを構える。「真ん中へ投げてみて、球が左右に散ってくれたらいいと思って投げました」「篠塚は抜いたシュートで空振り三振。クロマティも遊ゴロに仕留めた。監督からのアドバイス、「受け身に回ったらダメだ」の一言そのままのマウンドだった。今季高卒のルーキーとしては遠山(阪神)桑田(巨人)に続く勝利。「ボクとは格も違うし、向こうは先発だから。でも中山にはちょっと悪いナー」前日(十三日)、母校・横浜高を訪ねた際、渡辺監督と初勝利の時は祝電をもらう約束をしていたそうで、早くもそれが実現した。門田、堀井とともに、大洋中継ぎ投手の一角を担っている。「いい場面で使ってくれるし、投げるのが楽しい。またヒジを壊さないよう強化に努めています」「まだ若いからボークをやったり、見ていられないが、打者の手元で球が切れるのがいい。試合に出るごとに力を付けているネ」と、近藤監督。Aクラスにかける監督の腹のくくり方が、十八歳の少年にジンと伝わったような相川のピッチングだった。
相川投手の母親・道子さん(41)の話 英明がプロ野球で1勝、それもこんなに早く勝てるなんて、夢みたいです。兄の光明(22)と一緒にテレビを見ていたんですが、見ているうちに自分の体が固くなってきてしまって…。見ていられない気持ちと、本人はちゃんと投げてほしいという願いが一緒になりまして、今月上旬の北海道遠征の前に、一度顔を見せました。グラウンドで投げている姿は、まだ見たことないんです。顔を合わせたら、おめでとう、と言ってやりますけど、まだキツネにつつまれたみたいで…。出来過ぎです。
今季初の5連勝、五十四年以来、七年ぶりの対阪神戦勝ち超しーとこの1勝、横浜大洋にとっては「大きな白星」だった。前夜に続く平田の2ラン、ポンセ、ローマンの適時打、そして若菜のソロアーチと早々5点のリードを得た相川が、プロ2勝目をマークした。140㌔台の直球、カーブがポンポンと決まる。五回まで猛打の阪神を零点に抑えた。前回、六月十九日、広島13回戦(横浜)で先発したときは一死しか取れず初回、3失点KOされたのに比べ格段の成長ぶりだ。「この前、先発したときにいい恥をかいてしまいましたからね。(勝利投手の権利が生まれる)五回は特に気合が入りました」試合前、硬い表情だった相川はニッコリ。「六回は一番からだったので気を付けすぎて変化球が外れ、真弓さんに四球を出してしまいました。長いイニングは久しぶりなので少しバテてましたし」降板のもととなった真弓の四球には悔しそうだった。六日からの巨人戦(後楽園)に向け、エースの遠藤、木田を温存できた近藤監督は笑いをこらえ切れない。「投手が苦しい中、相川がよくやってくれた。破れなかった壁が敗れたね。阪神にV2をさせない、というボクの今年の仕事の半分近い部分だったからね」と、話すそばから白い歯がこぼれてしまう。十八歳の若者がつかんでくれた勝利とあっては、余計にうれしかったろう。