1993年
つかみどころのない男だ。春季キャンプで肩の痛みを訴えたかと思えば、復帰したばかりの6月24日のロッテ戦であっさり完封勝利をあげた。チームが苦手とするマリーンズ打線をなんの苦もなくゆうゆうと3安打に封じ込んだだけの力がありながらフルシーズンを乗り切れなかったのは何が原因しているのか。ことし、自分でその答えを出して欲しい。
1994年
昨年はついに一度も一軍で投げることがなかった。左肩の腱板を痛め、満足にシーズンを送ることができなかった。だましだましファームで14試合に登板、3勝をマークしたが、秋の鴨川キャンプでも肩の痛みはとれなかった。あまり闘志が表に出ないタイプだけに、首脳陣もやきもきしているが、まず肩の状態を完全にすることが先決だ。かつてのロッテ・キラーの復調を待ちたい。
1995年
一軍戦4試合の登板はすべてダイエー戦。そのうち一度は先発(5月10日・北九州)だった。投手陣のコマ不足という苦しい事情はあったが、何よりも小島の持つ独特の意外性に首脳陣は賭けたのだろう。唯一の先発も3回KO、と昨年はいいところなく終わったが、平成3,4年はロッテ相手に見事な完封劇を演じたサウスポー。持ち前のプラス思考で低迷から脱出したい。
1996年
4月1日の開幕ベンチ入りを果たしながら、2日後にはその姿を消していた。4月16日に再登録されたものの登板機会が与えられないままに登録抹消と、昨年は寂しいシーズンに終わってしまった。足、ひじ、ヒザと次から次へと襲ってくる故障に悩まされたのは素直に認めつつも、やり場のない悔しさがその表情ににじみ出ていた。ルーキー時代のあのヒョウヒョウとしたマウンドさばき、左腕不測のチーム事情だけにもう一度名乗りを上げてほしい。
1997年
グラブを激しく叩きつけたその顔が何とも悔しそうだった。昨年の名護キャンプ、右ひざを強くひねってそのままリタイヤ。「今年こそ」の意気込みに燃えていた矢先のアクシデントだっただけにやり場のない思いだっただろう。低迷した昨年はイースタン5試合に登板したのみ。右ひざの痛みがいつの間にか右ひじにも伝染し、しつような故障に泣かされ続けた。のどから手が出るほど欲しいサウスポー。そんなチーム事情があるだけに今季も首脳陣の熱い視線が光っているはずだ。一軍での実績を持つ小島の意外性に期待したい。
1998年
8月22日のオリックス戦(東京ドーム)で5年ぶりの白星を挙げた時、その顔に何とも言えない安堵(ど)の表情を浮かべていたものだ。リリーフすること18試合。人一倍の走り込みと筋力トレで故障を克服し、やっと戻ってきた懐かしい一軍戦マウンドだった。再び投げられる喜びを体一杯にみなぎらせ、後半戦はワンポイント左腕として堂々の活躍ぶり。イチローらパ・リーグには左の強打者が多いだけに、小島の復活は心強い材料だ。
つかみどころのない男だ。春季キャンプで肩の痛みを訴えたかと思えば、復帰したばかりの6月24日のロッテ戦であっさり完封勝利をあげた。チームが苦手とするマリーンズ打線をなんの苦もなくゆうゆうと3安打に封じ込んだだけの力がありながらフルシーズンを乗り切れなかったのは何が原因しているのか。ことし、自分でその答えを出して欲しい。
1994年
昨年はついに一度も一軍で投げることがなかった。左肩の腱板を痛め、満足にシーズンを送ることができなかった。だましだましファームで14試合に登板、3勝をマークしたが、秋の鴨川キャンプでも肩の痛みはとれなかった。あまり闘志が表に出ないタイプだけに、首脳陣もやきもきしているが、まず肩の状態を完全にすることが先決だ。かつてのロッテ・キラーの復調を待ちたい。
1995年
一軍戦4試合の登板はすべてダイエー戦。そのうち一度は先発(5月10日・北九州)だった。投手陣のコマ不足という苦しい事情はあったが、何よりも小島の持つ独特の意外性に首脳陣は賭けたのだろう。唯一の先発も3回KO、と昨年はいいところなく終わったが、平成3,4年はロッテ相手に見事な完封劇を演じたサウスポー。持ち前のプラス思考で低迷から脱出したい。
1996年
4月1日の開幕ベンチ入りを果たしながら、2日後にはその姿を消していた。4月16日に再登録されたものの登板機会が与えられないままに登録抹消と、昨年は寂しいシーズンに終わってしまった。足、ひじ、ヒザと次から次へと襲ってくる故障に悩まされたのは素直に認めつつも、やり場のない悔しさがその表情ににじみ出ていた。ルーキー時代のあのヒョウヒョウとしたマウンドさばき、左腕不測のチーム事情だけにもう一度名乗りを上げてほしい。
1997年
グラブを激しく叩きつけたその顔が何とも悔しそうだった。昨年の名護キャンプ、右ひざを強くひねってそのままリタイヤ。「今年こそ」の意気込みに燃えていた矢先のアクシデントだっただけにやり場のない思いだっただろう。低迷した昨年はイースタン5試合に登板したのみ。右ひざの痛みがいつの間にか右ひじにも伝染し、しつような故障に泣かされ続けた。のどから手が出るほど欲しいサウスポー。そんなチーム事情があるだけに今季も首脳陣の熱い視線が光っているはずだ。一軍での実績を持つ小島の意外性に期待したい。
1998年
8月22日のオリックス戦(東京ドーム)で5年ぶりの白星を挙げた時、その顔に何とも言えない安堵(ど)の表情を浮かべていたものだ。リリーフすること18試合。人一倍の走り込みと筋力トレで故障を克服し、やっと戻ってきた懐かしい一軍戦マウンドだった。再び投げられる喜びを体一杯にみなぎらせ、後半戦はワンポイント左腕として堂々の活躍ぶり。イチローらパ・リーグには左の強打者が多いだけに、小島の復活は心強い材料だ。