プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

牧勝彦・福浦健次

2018-01-21 22:26:42 | 日記
1960年

阪神タイガースではこのほど豊橋工・牧勝彦投手(18)=1㍍85、75㌔、右投右打=と中央商・福浦健次投手(18)=1㍍81、75㌔、左投左打=の獲得に成功した。正式契約は高校野球のシーズンが終った十月、大阪で行われる。

牧投手は愛知県高校球界で指折りの好投手で今度の県予選では決勝戦まで進出しながら亨栄商に敗れて代表にはなれなかった。しかし県予選七試合(63回)を一人で投げぬき、失点11、奪三振85というすばらしい成績を残している。中日は豊橋工の石田監督がかつて中日二軍にいたところから同監督を通して動き、そのほか広島、阪神、大毎、近鉄、巨人もねらっていた。とくに巨人は中尾コーチがわざわざ春の愛知県大会をみにいくほど熱心だったが、広島、阪神の条件があまりにも高額だったため巨人、中日などはあきらめたが、阪神は佐川スカウトが広島の六百万円を上回る好条件で射落とした。福浦は東京高校球界で右の大林(明治高)左の福浦といわれたA級投手。都予選では四試合投げて34三振をとっている。巨人、阪神、大毎、阪急、広島、大洋からマークされていたが、阪神は佐川スカウトが中央商清水野球部長のルートで交渉したことが成功した。

阪神・戸沢代表の話「福浦君はOKの返事があったと佐川君から連絡があったが、牧君についてはまだ連絡がない。広島の西野君が非常に熱心にやっているのでまだ安心は出来ない」

広島・西野スカウトの話「牧はいい投手だが、三振をとるわりに将来性の点で疑問があるのでウチは手をひいた」
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小池昭南・三好守・植田征作

2018-01-21 22:01:55 | 日記
1960年

西鉄ではこのほど山口県岩国商高・森原信昭投手(18)=右投右打、1㍍76、72㌔、福岡県若松高・小池昭南投手(18)=左投左打、1㍍78、75㌔、同三好守中堅手(17)=右投右打、1㍍73、71㌔。東洋紡岩国、植田征作一塁手(21)=1㍍74、68㌔の四選手を獲得した。森原は今夏の全国高校野球大会西中国予選で出雲産業高から13奪三振を記録した。中国地方では屈指の豪球投手として早くから注目されていた。ノーヒット・ノーラン・ゲームを一度記録、春のオープン戦四試合で36三振を奪ったことがある。また打撃もよく本塁打を三本打っている。小池は大毎・小野投手によく似た速球派。選手権大会福岡県予選北部地区代表決定戦で甲子園出場の戸畑に2-1で負けた。上手からの鋭いカーブが武器。三好はスケールの大きい四番打者で若松高では小池が五番を打っている。三好は予選では12打数3安打、一割五分の打率だが、好機に強いスラッガーである。

西鉄。藤本球団課長の話「岩国商の森原君は代表決定戦で大社に負け、甲子園行きを逃したが、甲子園に出てもはずかしくない投手だ。四人とも契約は十一月ごろにする予定だ」
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松浦三千男

2018-01-21 21:05:52 | 日記
1960年

一回名古屋に一点を先取されなお二死二、三塁というピンチに、松浦は一塁側ブルペンからメガネを光らせながらゆっくりとマウンドに上がり、黒田を得意の落ちるシュートで二ゴロにとってピンチを切り抜けた。「リリーフはいわれていた。でも四回ぐらいからと思っていたのが意外に早かったのでちょっとあわてた。このためウォームアップがたりなかったので、最後まで調子にのれず、ズルズルといってしまった」そうだ。だがピンチに後続を内野ゴロにうちとったときの落ちるシュートの威力は大したもの。二十九年は夏の甲子園大会で滝(阪神マネジャー)とバッテリーを組んで準優勝。期待されて阪神入りしたが、甲子園のエースは阪神では育たないというジンクスを松浦も破れなかった。三十三年かぎりで阪神を退団、ノンプロ鐘化カネロンに就職。今夏の予選では敗れたが、スピードを買われ補強選手として後楽園に登場。プロ時代には一度も投げたことがない後楽園のマウンドで好投を続けている。「自分のチームではないのでとても気が疲れる。きょうも五回にリードしたとたんに堅くなって、体が妙にだるくなって困った。しかしここまできたらもう負けられない。自分の実力を思いきりためしてみる」といっている。仁木監督も「松浦のスピードはノンプロなら一流。それに決勝戦はナイターだから、松浦のスピードを生かす絶好のチャンスだ」と期待している。静岡商出身、1㍍75、68㌔、右投右打、背番号20。鐘化カネロン高砂工場経理課勤務、23歳。
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マニー

2018-01-21 20:43:26 | 日記
1962年

大毎・阪急戦で、二十六日契約したばかりの大毎マニー投手が初登板した。四回三浦に代わって出た同投手はレインズを三振させたあと、中田に初球を左翼席ホーマー、太田にも左翼線二塁打された。七回まで四イニングを投げたが、毎回走者を出すピッチングだった。奇跡を呼ぶ男(永田オーナー)にしては、たよりないというのがスタンドのおおかたの声だった。

マニー投手「第一ゲームなので思うように投げられなかった。こんどはもっといいピッチングをお見せする。中田に打たれたのは高目にはいったスライダーだ。スライダーのほかにはシンカーとナチュラルにシュートする球を投げた。阪急はいいチームだ」

杉下コーチ「まだ完調ではない。調子がよくないので第一ゲームでアがったなんていっているんだろう。しかしもう少しスピードはある投手だ。シンカーと自然にシュートする球が武器だ」
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井坂興

2018-01-21 19:39:39 | 日記
1962年

巨人では二十八日、大江弘投手(20)と井坂興外野手(21)の二人を自由契約選手にした。なお井坂は伊藤忠自動車に就職がきまっている。
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東条文博・山口昌明

2018-01-21 19:17:44 | 日記
1962年

南海はこのほど鹿児島実業、東条文博内野手(17)=1㍍75、75㌔、右投右打=佐賀県鹿島実業、山口昌明投手(18)=1㍍77、70㌔、右投右打の二選手の入団をこのほどきめた。東条は遊撃が主だが一塁もこなせる。四番を打ち、守備にも定評がある。西鉄、広島から入団のさそいがあった。また山口は上手から投げおろす速球が武器の本格派投手。
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重光芳次

2018-01-21 18:29:29 | 日記
1960年

広島の重光芳次投手は今シーズンかぎりで広島を退団したいと球団に申し入れた。球団側では来年もう一シーズンやらしたい意向をもっていたが、結局この申し入れをのむことになった。同投手はすでに山口県下松市の山門鉄鋼所に就職がきまっている。
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杉本公孝

2018-01-21 18:11:57 | 日記
1960年

三十日夜、国鉄入りの希望を語った立大・杉本公孝三塁手は三十一日午後三時半から東京都中央区日本橋蛎殻町の大野屋で上京中の父親・慶男氏と約三十分プロ入りについて話し合った。しかし国鉄を希望する杉本選手と広島を推す慶男氏との意見のくいちがいは調整できず、結論はきょう一日に持ちこされた。この日の話し合いで慶男氏は「広島以外のセ・リーグの球団にはいるのなら、いっそのこと広島に気まずい思いをしないようにパ・リーグへ」と杉本選手の説得につとめたが、杉本選手の気持ちを動かすまでには至らなかった。慶男氏の出した案によって本人の希望する国鉄と両親のすすめる広島、パ・リーグなら大毎・阪急の四球団が一応対象になり、杉本選手が姿をみせる前に国鉄・砂押コーチ、阪急・丸尾スカウトが慶男氏を訪れている。しかし杉本自身の気持ちは国鉄以外を考えていないようで、一日夜の話し合いでも杉本の気持ちは動きそうもない。

杉本選手の話「時間がないので、そう突っ込んだ話ができなかったが、僕の気持ちにかわりはない。母にも上京してもらって話し合いたい。そうすれば僕の気持ちをわかってもらえると思う」

父親・慶男氏の話「公孝の国鉄を希望する気持ちは相当強い。私としては仕事の関係から広島をすすめている。家内も広島以外のチームへはいるなら親子の縁を切るとまでいっている。国鉄へはいっては広島でゲームをやるようなとき気まずいことになりはしないかと心配だ。だから国鉄にはいるのならいっそのことパ・リーグの大毎か阪急を選んでもらった方がいいが、どうも気乗りしないらしい。きょうはゲームの前日なので長時間話ができなかった。あすの夜また話し合う。リーグ戦が終るまでには結論にこぎつけたい。もちろん私は広島をすすめ、パ・リーグというのは第二案だ。もうプロの関係者と会う必要はない。あとは親子で話し合うだけだ」

立大の杉本選手が三十一日、本人は国鉄、父親は広島入りを主張、お互いに譲らぬことから親子げんか?にまで発展したという話を聞いて、大毎の片岡スカウトは「ひょっとすると幸運は大毎にころがりこむかもしれない」とほくそえんでいた。その理由は「私が中学から大学へいくときも、明治、法政から話があり、その板ばさみになって、結局縁もゆかりもない早大にいくことにきまった。いま杉本獲得に動いているのは広島、国鉄、大毎、阪急。阪急は在京球団という条件から問題にならない。とすると、広島、国鉄の板ばさみになった杉本君はパ・リーグの大毎に走るというケースがありうるからね」ということだった。果たして大毎が漁夫の利をえるかどうか知らないが、片岡スカウトは果報は寝てまてといわんばかりに球団事務所でのんびりとテレビをみていた。

立大の杉本選手が国鉄入りの意思を明らかにしたが、同選手の獲得に動いていた阪急は案外のんき。というのは丸尾スカウトが岩国高を卒業するとき杉本をくどき、プロ入りに反対した両親から「大学を出ればノシをつけて阪急へ・・・」と口約束していたからだ。岡野代表は「本人がはっきりした理由があって東京にいきたいといえば仕方がない」とあきらめ顔だったが・・・。

かねて国鉄入りの希望をもらしていた立大の杉本公孝三塁手は、広島入りをすすめていた父親慶男さんとの意見のくいちがいから去就が注目されていたが、国鉄球団は七日「うちにはいることに内定した」と語った。発表は九日午後三時東京丸の内の同球団事務所で行われる。

北原代表の話「杉本君はうちにはいることになった。いろいろと心配したが、こちらの気持ちもよくわかってくれ、終始志をかえなかったのはりっぱというほかはない。内野がこれでさらにひきしまることになる」

杉本選手の話「入団する球団から早慶戦終了の翌日発表してもらう。父は岩国に帰ったが、両親の方へは電話で発表がすんだことを連絡するだけでいいことになっている」
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