プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

迫田七郎

2018-01-08 18:09:17 | 日記
1965年

「サコ(迫田)をみていると十三年前のワシを思い出すな。だから自分のことのように気にかかるんや」いまでは球界屈指の好投手になった小山も阪神入りしたときは月給五千円で、好きな映画をみる金にも困った練習生だった。迫田は鹿児島・照国高卒業後、一時大阪の中小企業で働いて、一昨年夏、東京のテストを受けた全くの無名選手だ。四人兄弟の末っ子。桜島の噴煙を北にみるふるさとの垂見には、いま七十歳に近い両親だけが住んでいる。照国高の野球部では投手で四番。三年夏の地区予選では準決勝までいった。ノンプロからさそいもあったし、神奈川大の鈴木監督に見込まれ、二か月ほど練習にも参加した。「でも部のふんい気がいやだった」との経済的な理由で入学しなかった。昨年イースタンで12勝したとはいえ、本堂監督はいま「思わぬ掘り出しもの」と喜んでいる。野球は実力の世界。その格づけははっきりしている。東京球場のロッカーも一軍用と二軍用はわかれている。迫田は二軍の一番奥。一軍のサッパリした感じから比べればゴミゴミと汗くさい。小山はこの二軍ロッカーにはいってきて「きょうは先発やろ、これを使えや」とバッティング用の皮手袋を貸してやるほど迫田をかわいがっている。

昨年ジュニア・オールスターに出るまではディサのお古のユニホームをきていた。「なんだかいまの自分が夢みたいです。口ではうまくいえません」とうつむきながら話す。だが、こと野球になればその闘志はすごい。ハワイ・キャンプでは帰国直前に真田コーチにみつめられるまでヒジの痛いのをかくしていた。二軍に落とされてはと心配したからだ。十二日の阪急戦で完投して4勝目をあげたとき、歩くのも痛いくらいの右足ふとモモの肉離れをかくしていた。「先発予定は妻島さんとぼくのどちらかだった。そしてぼくが指名された。チームが4連敗していたし、ぼくを信頼してくれていると思ったらどうしても投げ切らねばとだまっていた。でも一回を投げ終わったときは代えてくれといいたいくらい痛かった」真田コーチは試合後これを知っておこった。「勝ったからいいが、負けていたらどうするんだ。足が痛かったではすまされん。罰金ものだ」と目をむいた。しかし陰では「あのファイトが買えるんだ。ただ野球生活はことしだけじゃないからね」といって笑った。十四日、旭川・札幌シリーズのため、初めて北海道の土をふんだ迫田は札幌市郊外の月寒(つきさっぷ)牧場の屋外ジンキスカン料理で小山、堀本、西らとひとつテーブルをかこんだ。「サコ、絶好調やな。ワシが教えてもらいたいくらいや」小山が肉をつつきながら笑いかけた。「でも、これからのサコに一番の大敵は南海でも西鉄でもない。慢心や。こいつは自分では気がつかない病気やからな。これでいいなんて満足したらおしまいやで」ビールをついでやりながらテスト生の先輩はやさしく忠告した。牧場にはつい一ヶ月前まで冷たい雪の下でおさえつけられていた雑草が淡い緑をいっぱいにひろげている。その雑草のようにフレッシュな芽をふいた迫田。「新人王の資格はまだあるし、それに目標はまだまだいっぱいあるんです。でもぼくみたいなものが大きなことはいえないからこれは聞かないで下さい。自分だけにいいきかせているんです。フッフッフッ・・・」胸いっぱいに新鮮な空気をすい込んで明るく笑った。1㍍75、70㌔。

東京・真田ピッチングコーチは「投手にとって一番大事なのはウイニングショット、つまり決め球だ。ブルペンでよくても試合になると勝てない投手はこれがない。2ストライクまでは追い込めても三振させられない。サコには沈むシュートという武器がある。いまはこれを有効に使って成功している。コントロールもいま一息だし、まだまだ勉強はしなければならない点は多い。しかし、いまのままでもどんどん使えば20勝はできる。でも、このタイプの投手は宮田(巨人)と同じように、どうしてもヒジに負担がかかるのでそう連投はきかない。二週間に三回くらいのペースで登板させるのが適当だと思う。ワシが一番感心したのは、サコのプレート度胸とマナーだ。よほどのベテランでもまねができないほどだ。十二日の阪急戦で山崎が連続エラーをしても顔色ひとつ変えず、一死満塁のピンチを最少点の1点にくいとめた。こういう経験を何回か積み重ねていくとどんどん腕が上がる。ふだんの生活態度もまじめだし、このまま伸びれば楽しみだ」

南海・野村選手「ほとんどの投球が低めにきている。それにシュート、スライダーが打者の手もとで変化するので打ちにくい。ただ体格的にひ弱い感じをうける。スタミナもそれほどないようで、ばててくると変化球が早く曲がるので打たれるのじゃないか。いまの調子はフロックではない。東京では坂井、小山につぐ投手だ」

西鉄・高倉選手「わずか一打席なのでシュートかシンカーかよくわからなかったが、胸もとのきわどいコースをついてくる球、外角低くスライドする球が印象に残っている。中西、中川(現スコアラー)らと同じタイプだ。打てなかったが、こわさは感じなかった。振りきらず、流し打てば攻略できる投手だ」

東映・張本選手「おもいきって投げてくるわりにはスピードがない。しかしコントロールの点は申しぶんないね。腰から上にくるボールはほとんどない。変化球でもすっぽ抜けのようなことはないし落ちるボールがいいよ。ナチュラルなのかもしれないが、低めのボールは全部落ちるし、外角はシュート、内角はスライドしてくる」
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妻島芳郎

2018-01-08 16:47:42 | 日記
1965年

昨年はオリオンズの最終ゲームで規定の投球回数にすべり込み最優秀投手になった。敗戦処理的登板でも慎重に投げつづけた積み重ねが、じみな妻島の存在に脚光を浴びせた。ナインのなかにいても、どこにいるのかわからないほど静かな男だ。ピッチングも力で押すタイプではなく計算ずくめ。「ぼくは直球のほかシュートとカーブしか武器はない。はじめその三つを適当にまぜてテストしてみる。それで打たれた球はその日は切れが悪いからなるべく投げないようにするんだ」といったぐあいだ。この日はシュートが悪かったのでほとんど直球とカーブだけで勝負した。「シュートは落ちなかったが直球はわりとのびたし、カーブもよく切れた。それと前半に点をとってくれたのでまず楽に投げたのがよかった」四月10五日の近鉄戦に先発して負けて以来二度目の先発。初めての勝利だけにさすがにうれしそうだ。「去年のシャットアウト勝ちは二度とも近鉄から。近鉄以外のチームに完封勝ちしたのは初めてです。つまり三度目というわけですね。」と細い目をなおいっそう細くして笑った。一番苦しかったのは中盤だったそうだ。「ちょっと疲れましてね。いままでがずうっと悪かったので、きょうも後半は打たれるんじゃないかと心配していた。でも西田がバーマのホームラン性の打球をとってくれたしついてましたね」このバーマへの一投だけが慎重だった妻島が勝負にでたシュートだった。最優秀投手の実績から、ことしは第三の投手に期待されながら、新鋭迫田に先を越された感じだっただけに、この1勝は価値がある。「そうですね。やっと片目があいたから、これからは楽にやれますね。最優秀投手なんていうことは意識していなかったが、いままではどうしても相手を押え込んでやろうと、りきんでいたのがいけなかったんですね。これからはきょうみたいに力を抜いて投げますよ」どうやら妻島は自分本来の慎重な投球のカンをこの試合でとりもどしたようだ。
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ケキッチ

2018-01-08 16:11:15 | 日記
1974年

日本ハムが二番張本、三番阪本の新打線で小刻みに加点した。一回、右前安打の張本を阪本が左翼線三塁打でかえし、三回は左中間二塁打の張本を阪本が左前にタイムリーして2点。八回にも張本、阪本がともに三本目の長短打でつかんだ二死満塁に、村井のタイムリーで4点目。投げては、先発ケキッチがシュートとカーブを投げ分けて、七回まで無失点。三回無死三塁、六回には二死一塁で服部に右中間を抜かれたが、土井をホームで刺してピンチを切り抜けた。疲れの出た八回、三安打で2点をとられたが、救援高橋直が四人をピシャリと抑えた。

「完投したかったけど、七回ごろから疲れちゃってね」2勝目をマークした日本ハム・ケキッチ。八回、三安打を集中されて2点を許したところで、高橋直にバトンタッチだ。「百五十九球?ほうーっ、疲れるはずだよ」アメリカでは、完投しても百三十球前後だとか。定量を超えたうえ、日生球場のむし暑さがこたえたようだ。「日本はどこへ行ってもむしむしするね。でも、バックのおかげで勝てたんだ」ナインへの感謝も忘れないあたりは、さすが元大リーガー。十九日午後にはマリリン夫人とグレッグ君(6つ)アリー君(4つ)の家族も来日するとあって、二重の喜びようだった。
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橋詰文男

2018-01-08 15:23:53 | 日記
1964年

打者転向をいわれたのは十九日の対東京ダブルヘッダー終了後だ。第一試合の六回、久保田をリリーフ、榎本に右翼線にたたかれ、わずか2球で敗戦投手になった。ベンチのすみで考えこんでいる橋詰に多田コーチが耳うちした。「あすからの関西遠征には参加しなくていい。多摩川でバッティングの練習をしろ」二十一日からの対阪急戦(西宮球場)には両親、兄弟が見にくることになっていた。下宿にかえった橋詰はあわてて大阪市東淀川区堀上元町の実家のダイヤルを回した。電話口にでたおかあさんのマサさんは耳がとおく、クビにでもなったのかと勘違い、あわてておとうさんの金蔵さんをよびに走ったという。弟の和夫君から「兄貴がんばれ。近鉄の関根さんだって、やめた田宮さん(元大毎)だって投手から転向してりっぱな打者になったじゃないか」という激励の手紙がすぐきた。それから真夜中のバット・スイングがはじまった。一週間もたたないのに両手には大きな血マメがいくつもできた。もともと打撃にはある程度自信を持っていた。同大では投手兼左翼手。東映にはいってからもしばしば代打に起用され、16試合ほどインスタント一塁手をつとめたこともある。それで自分でも打者転向を考えたこともあるそうだ。しかし「故障して打者転向ならまだ話はわかるが、なんでもないのに打者になれというのは投手が落第なんですからね」と笑いながらいうことばは、非常にくやしそうだった。だがいまは熱心に桜井二軍監督の指導をうけている。「いままではボールにバットをあてるだけの投手用バッティングだった。これからは腰をつかった力強いバッティングにしなくては」桜井二軍監督は「じめじめした性格でないのがいい。手首が人一倍強く、目もいいから、二、三ヶ月みっちり練習すればきっと成功する」と太鼓判。橋詰は「外人選手なんかいらないよ。おれがぽんぽん打ってやる」と冗談をとばしている。
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ケキッチ

2018-01-08 14:18:12 | 日記
1974年

子供のグラブほどもある大きな手でナインの手を次々に握りしめた。拍手で迎えた中西監督。三原球団社長はネット裏でホオをほころばせた。前期の新美につづいて日本ハムに新しいエースの誕生だ。「うれしい、ほら、体がまだこんなにふるえている。これからも登板がふえれば、もっと調子があがるはずだよ」来日初勝利は、大リーグ生活七年のベテラン、ケキッチにもまた新たな感激だったらしい。来日してまる十日。開幕戦にリリーフで二イニング、九日は先発で七イニングを無失点。そしてこの日は完投の初勝利だ。開幕以来の雨で三試合を流したせいもあるが、チームの四試合目で早くも三試合、十八イニングを投げた数字は、はっきり首脳陣の期待を物語っている。「まだ下半身がベストの状態でない。コントロールが乱れたから、力をかげんして投げていた。ベストになればもっと力が出るだろう。登板の数はそれだけ力があるということですな」と中西監督。三原球団社長は「きょうはグラウンド状態が悪かったから、本来の力が出ていなかったようです。アメリカで見た七、八分程度ですかな」と余裕たっぷり。完投で失点2。バント安打二本を含む五安打の内容が八分の出来だとすれば「あと二試合で」と本人が口にするベストになったら・・・。

太平洋ナインも初勝利の元大リーガーの力を一応の評価をした。「これまで日本に来たピッチャーじゃスタンカ(元南海)以来かな。まあいまの時点での話だがね」と稲尾監督。「適当に荒れていた。ストレートがシュート回転する」(竹之内)「シュートがいいんでマトがしぼりにくかった」(基)と主力たち。しかし「こわさはない」というのも一致した意見だった。ロッテ、南海とこれまで顔を合わせてきた相手チームのナインも同じように「この次は必ずつぶしてみせる」と口にしている。手ぐすねを引く各チームの打線が果たしてどんな攻略法をみつけ出すか。またケキッチの腕がどこまで上がるか。ケキッチはしかし自信たっぷりにいった。「日本のマウンドに慣れれば、もっとコントロールがよくなる。目標の15勝に向かって努力したい」すでにエースの貫禄をしのばせる落ち着いた口調だった。
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ディサ

2018-01-08 12:51:24 | 日記
1962年

28 リチャード・ディサ投手・・・右投右打、178cm、76kg、昭16.2.3
ヒロ・ハイスクールーハワイ朝日ー大毎(36年)
東京都品川区平塚7の1058
5勝4敗 防御率2.91

まだ20才の若さ、思い切り投げ込むスピードボールは威力十分。四球渦で敗れた試合が多く、制球が今後の課題だ。明るい好青年である。
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長谷川武

2018-01-08 12:47:22 | 日記
1962年

21 長谷川武投手・・・右投右打、178cm、74kg 昭13.6.6
長岡商ー新潟交通ー大毎(35年)
渋谷合宿
0勝0敗 防御率0.00

今年こそ第一線で働くだろうと、首脳部たちが期待を集める三年生。からだもありマウンド経験もノンプロで試験ずみ。若手の伸び悩んでいる大毎では、いちばんの希望の星。
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波山次郎

2018-01-08 12:36:16 | 日記
1962年

46 波山次郎投手・・・右投右打、173㌢、68kg、昭16.4.5
東北高ー大洋(35年)
合宿
1勝4敗 防御率2.17

昨年は島田源につづく成長株と期待されたが、制球難に悩まされて、本来のドロップが生きてこなかった
腰のバネが滅法強く、大型でない体格をカバーしている。
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篠田荘平

2018-01-08 11:13:35 | 日記
1962年

45 篠田荘平投手・・・左投左打、169㌢、71kg、左投左打、昭17.5.1
安岡工ー大洋(35年)
合宿
0勝0敗 防御率1.80

村山ばりの力投型投手。昨シーズンは対巨人戦に先発したこともあるがマウンド経験の不足から勝ち星には恵まれなかった。内角膝もとに喰い込むカーブを武器とする。
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渡辺政好

2018-01-08 11:02:11 | 日記
1962年

58 渡辺政好投手・・・右投右打、177㌢、70kg、昭和19.12.7
福島高ー大洋(37年)
合宿

高校時代は投げてよし、打ってよしの好選手として定評があった。彼のワンマン・チームであったのがわざわいして甲子園の土はふめなかったが、三原監督は投手としてよりもむしろ彼の打力を買っているようだ。
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西三雄

2018-01-08 10:23:23 | 日記
1959年

五色のテープで足の踏み場もない一塁側ベンチ前で報道陣につかまっている西の笑い声がその中から聞こえてくる。「四国ではとても調子がよかったのに、東京へきてから球にのびがなくなった。だから真っすぐには自信がないのでカーブで逃げたようなもの。横浜(日石)を目標にしていたのであの延長戦で勝ったゲームが一番うれしかった。よく打ったって?きょうの三塁打はイン・コースのストレート、実は打てないコースなんだが思い切って振りまわしたら三塁打だ。イン・コースは打てないからいつも強引に振りまわすのだ」バッティングのヒケツを語る西投手は三十二年和歌山県大成高から入社。阪神を退団した実兄五十六投手はその前年十一月に入社している。高校時代にワン・マン投手として活躍していた弟をとりたいために兄をとったという話がある。昨年は肋間神経痛で不調だったが、今シーズンは四国予選の対東レ愛媛戦(準決勝)に無安打無得点(9三振、1四球)をマークしている。三人兄弟の末っ子で、ヒマなときにはチャンバラ映画をみるのが大好き。業務課資材係、1㍍70、66㌔、右投右打、背番号11、昭和十三年十九日生れ。「今大会成績」五試合、完投二、勝利三、投球回数34、打者数120、被安打32、奪三振13、与四球4、失点7、自責点5、防御率1.32

西の今大会でのピッチングは彼本来の力投とは大分かわったもので、それほど好調とは思えなかった。一、二、三回戦は力を抜いたアウト・カーブでカウントをとることが多く、しめくくりに外角のストレートをたまに投げる程度だった。カーブは全投球の七割から八割近くもあったろう。したがって疲れも早い。休養を十分にとった決勝戦ではストレートがかなり多く、彼としてはめずらしくたん念に間をおいて投げていた。しかし後半はスピードが衰え、打たれた。外角へのストレートを生かす意味において、シュートにもうひと息の鋭さが加われば申し分ない。

後地捕手のみた西

バッテリーを組んで三年になるが、実に天真らんまんな男だ。私生活でもグラウンド上でも少しも変らずミツオの愛称でかわいがられている。私が入社して一年目、初めて会ったときも向こうから親しげに声をかけられてびっくりしたのをおぼえている。人見しりしない男だ。昨年は暴飲暴食をし、ランニングをなまけがちだったので肩に無理がきてしまった。しかし今年は監督さんの注意もあっていつも私と二人で日が落ちてからもランニングに打ち込んだものだ。いまの彼の楽しみは野球と食べることの二つだ。
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笠原正行

2018-01-08 09:43:40 | 日記
1959年

坂下町(清峯伸銅)-京都市(日本新薬)戦の五回二死から横山を救援した坂下町笠原正行投手(25)はプロで活躍した球歴の持主。二十九年には九勝四敗の成績を残し、阪神を完封したこともある。ノンプロに移ってから昨年の産業大会、今春の選抜大会につづいて後楽園出場は三度目。しかし後楽園球場で勝利投手になったのはこの日がはじめて。「もうすっかり、かわすピッチングになってしまった。きょうは落ちるシュートがよかったので助かりましたが・・・」といやに弱気だったが、ほんとうにうれしそうだった。
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佐々木勝利

2018-01-08 00:20:20 | 日記
1962年

佐々木勝利投手・・・右投右打、178cm、76kg、昭16.6.15
宮古高ー大毎(35年)
市川合宿

東北球界で鳴らした好投手。青木チーフ・スカウトが宮古へ飛んで獲得したほど将来性がある。速球は一軍でも立派に通じるだろうが、カーブはまだまだ甘い。今年もファームで投げまくるだろう。
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