1965年
「サコ(迫田)をみていると十三年前のワシを思い出すな。だから自分のことのように気にかかるんや」いまでは球界屈指の好投手になった小山も阪神入りしたときは月給五千円で、好きな映画をみる金にも困った練習生だった。迫田は鹿児島・照国高卒業後、一時大阪の中小企業で働いて、一昨年夏、東京のテストを受けた全くの無名選手だ。四人兄弟の末っ子。桜島の噴煙を北にみるふるさとの垂見には、いま七十歳に近い両親だけが住んでいる。照国高の野球部では投手で四番。三年夏の地区予選では準決勝までいった。ノンプロからさそいもあったし、神奈川大の鈴木監督に見込まれ、二か月ほど練習にも参加した。「でも部のふんい気がいやだった」との経済的な理由で入学しなかった。昨年イースタンで12勝したとはいえ、本堂監督はいま「思わぬ掘り出しもの」と喜んでいる。野球は実力の世界。その格づけははっきりしている。東京球場のロッカーも一軍用と二軍用はわかれている。迫田は二軍の一番奥。一軍のサッパリした感じから比べればゴミゴミと汗くさい。小山はこの二軍ロッカーにはいってきて「きょうは先発やろ、これを使えや」とバッティング用の皮手袋を貸してやるほど迫田をかわいがっている。
昨年ジュニア・オールスターに出るまではディサのお古のユニホームをきていた。「なんだかいまの自分が夢みたいです。口ではうまくいえません」とうつむきながら話す。だが、こと野球になればその闘志はすごい。ハワイ・キャンプでは帰国直前に真田コーチにみつめられるまでヒジの痛いのをかくしていた。二軍に落とされてはと心配したからだ。十二日の阪急戦で完投して4勝目をあげたとき、歩くのも痛いくらいの右足ふとモモの肉離れをかくしていた。「先発予定は妻島さんとぼくのどちらかだった。そしてぼくが指名された。チームが4連敗していたし、ぼくを信頼してくれていると思ったらどうしても投げ切らねばとだまっていた。でも一回を投げ終わったときは代えてくれといいたいくらい痛かった」真田コーチは試合後これを知っておこった。「勝ったからいいが、負けていたらどうするんだ。足が痛かったではすまされん。罰金ものだ」と目をむいた。しかし陰では「あのファイトが買えるんだ。ただ野球生活はことしだけじゃないからね」といって笑った。十四日、旭川・札幌シリーズのため、初めて北海道の土をふんだ迫田は札幌市郊外の月寒(つきさっぷ)牧場の屋外ジンキスカン料理で小山、堀本、西らとひとつテーブルをかこんだ。「サコ、絶好調やな。ワシが教えてもらいたいくらいや」小山が肉をつつきながら笑いかけた。「でも、これからのサコに一番の大敵は南海でも西鉄でもない。慢心や。こいつは自分では気がつかない病気やからな。これでいいなんて満足したらおしまいやで」ビールをついでやりながらテスト生の先輩はやさしく忠告した。牧場にはつい一ヶ月前まで冷たい雪の下でおさえつけられていた雑草が淡い緑をいっぱいにひろげている。その雑草のようにフレッシュな芽をふいた迫田。「新人王の資格はまだあるし、それに目標はまだまだいっぱいあるんです。でもぼくみたいなものが大きなことはいえないからこれは聞かないで下さい。自分だけにいいきかせているんです。フッフッフッ・・・」胸いっぱいに新鮮な空気をすい込んで明るく笑った。1㍍75、70㌔。
東京・真田ピッチングコーチは「投手にとって一番大事なのはウイニングショット、つまり決め球だ。ブルペンでよくても試合になると勝てない投手はこれがない。2ストライクまでは追い込めても三振させられない。サコには沈むシュートという武器がある。いまはこれを有効に使って成功している。コントロールもいま一息だし、まだまだ勉強はしなければならない点は多い。しかし、いまのままでもどんどん使えば20勝はできる。でも、このタイプの投手は宮田(巨人)と同じように、どうしてもヒジに負担がかかるのでそう連投はきかない。二週間に三回くらいのペースで登板させるのが適当だと思う。ワシが一番感心したのは、サコのプレート度胸とマナーだ。よほどのベテランでもまねができないほどだ。十二日の阪急戦で山崎が連続エラーをしても顔色ひとつ変えず、一死満塁のピンチを最少点の1点にくいとめた。こういう経験を何回か積み重ねていくとどんどん腕が上がる。ふだんの生活態度もまじめだし、このまま伸びれば楽しみだ」
南海・野村選手「ほとんどの投球が低めにきている。それにシュート、スライダーが打者の手もとで変化するので打ちにくい。ただ体格的にひ弱い感じをうける。スタミナもそれほどないようで、ばててくると変化球が早く曲がるので打たれるのじゃないか。いまの調子はフロックではない。東京では坂井、小山につぐ投手だ」
西鉄・高倉選手「わずか一打席なのでシュートかシンカーかよくわからなかったが、胸もとのきわどいコースをついてくる球、外角低くスライドする球が印象に残っている。中西、中川(現スコアラー)らと同じタイプだ。打てなかったが、こわさは感じなかった。振りきらず、流し打てば攻略できる投手だ」
東映・張本選手「おもいきって投げてくるわりにはスピードがない。しかしコントロールの点は申しぶんないね。腰から上にくるボールはほとんどない。変化球でもすっぽ抜けのようなことはないし落ちるボールがいいよ。ナチュラルなのかもしれないが、低めのボールは全部落ちるし、外角はシュート、内角はスライドしてくる」
「サコ(迫田)をみていると十三年前のワシを思い出すな。だから自分のことのように気にかかるんや」いまでは球界屈指の好投手になった小山も阪神入りしたときは月給五千円で、好きな映画をみる金にも困った練習生だった。迫田は鹿児島・照国高卒業後、一時大阪の中小企業で働いて、一昨年夏、東京のテストを受けた全くの無名選手だ。四人兄弟の末っ子。桜島の噴煙を北にみるふるさとの垂見には、いま七十歳に近い両親だけが住んでいる。照国高の野球部では投手で四番。三年夏の地区予選では準決勝までいった。ノンプロからさそいもあったし、神奈川大の鈴木監督に見込まれ、二か月ほど練習にも参加した。「でも部のふんい気がいやだった」との経済的な理由で入学しなかった。昨年イースタンで12勝したとはいえ、本堂監督はいま「思わぬ掘り出しもの」と喜んでいる。野球は実力の世界。その格づけははっきりしている。東京球場のロッカーも一軍用と二軍用はわかれている。迫田は二軍の一番奥。一軍のサッパリした感じから比べればゴミゴミと汗くさい。小山はこの二軍ロッカーにはいってきて「きょうは先発やろ、これを使えや」とバッティング用の皮手袋を貸してやるほど迫田をかわいがっている。
昨年ジュニア・オールスターに出るまではディサのお古のユニホームをきていた。「なんだかいまの自分が夢みたいです。口ではうまくいえません」とうつむきながら話す。だが、こと野球になればその闘志はすごい。ハワイ・キャンプでは帰国直前に真田コーチにみつめられるまでヒジの痛いのをかくしていた。二軍に落とされてはと心配したからだ。十二日の阪急戦で完投して4勝目をあげたとき、歩くのも痛いくらいの右足ふとモモの肉離れをかくしていた。「先発予定は妻島さんとぼくのどちらかだった。そしてぼくが指名された。チームが4連敗していたし、ぼくを信頼してくれていると思ったらどうしても投げ切らねばとだまっていた。でも一回を投げ終わったときは代えてくれといいたいくらい痛かった」真田コーチは試合後これを知っておこった。「勝ったからいいが、負けていたらどうするんだ。足が痛かったではすまされん。罰金ものだ」と目をむいた。しかし陰では「あのファイトが買えるんだ。ただ野球生活はことしだけじゃないからね」といって笑った。十四日、旭川・札幌シリーズのため、初めて北海道の土をふんだ迫田は札幌市郊外の月寒(つきさっぷ)牧場の屋外ジンキスカン料理で小山、堀本、西らとひとつテーブルをかこんだ。「サコ、絶好調やな。ワシが教えてもらいたいくらいや」小山が肉をつつきながら笑いかけた。「でも、これからのサコに一番の大敵は南海でも西鉄でもない。慢心や。こいつは自分では気がつかない病気やからな。これでいいなんて満足したらおしまいやで」ビールをついでやりながらテスト生の先輩はやさしく忠告した。牧場にはつい一ヶ月前まで冷たい雪の下でおさえつけられていた雑草が淡い緑をいっぱいにひろげている。その雑草のようにフレッシュな芽をふいた迫田。「新人王の資格はまだあるし、それに目標はまだまだいっぱいあるんです。でもぼくみたいなものが大きなことはいえないからこれは聞かないで下さい。自分だけにいいきかせているんです。フッフッフッ・・・」胸いっぱいに新鮮な空気をすい込んで明るく笑った。1㍍75、70㌔。
東京・真田ピッチングコーチは「投手にとって一番大事なのはウイニングショット、つまり決め球だ。ブルペンでよくても試合になると勝てない投手はこれがない。2ストライクまでは追い込めても三振させられない。サコには沈むシュートという武器がある。いまはこれを有効に使って成功している。コントロールもいま一息だし、まだまだ勉強はしなければならない点は多い。しかし、いまのままでもどんどん使えば20勝はできる。でも、このタイプの投手は宮田(巨人)と同じように、どうしてもヒジに負担がかかるのでそう連投はきかない。二週間に三回くらいのペースで登板させるのが適当だと思う。ワシが一番感心したのは、サコのプレート度胸とマナーだ。よほどのベテランでもまねができないほどだ。十二日の阪急戦で山崎が連続エラーをしても顔色ひとつ変えず、一死満塁のピンチを最少点の1点にくいとめた。こういう経験を何回か積み重ねていくとどんどん腕が上がる。ふだんの生活態度もまじめだし、このまま伸びれば楽しみだ」
南海・野村選手「ほとんどの投球が低めにきている。それにシュート、スライダーが打者の手もとで変化するので打ちにくい。ただ体格的にひ弱い感じをうける。スタミナもそれほどないようで、ばててくると変化球が早く曲がるので打たれるのじゃないか。いまの調子はフロックではない。東京では坂井、小山につぐ投手だ」
西鉄・高倉選手「わずか一打席なのでシュートかシンカーかよくわからなかったが、胸もとのきわどいコースをついてくる球、外角低くスライドする球が印象に残っている。中西、中川(現スコアラー)らと同じタイプだ。打てなかったが、こわさは感じなかった。振りきらず、流し打てば攻略できる投手だ」
東映・張本選手「おもいきって投げてくるわりにはスピードがない。しかしコントロールの点は申しぶんないね。腰から上にくるボールはほとんどない。変化球でもすっぽ抜けのようなことはないし落ちるボールがいいよ。ナチュラルなのかもしれないが、低めのボールは全部落ちるし、外角はシュート、内角はスライドしてくる」