1958年
上条投手は都内で左腕の王(早実)と並び右腕のナンバー・ワン投手といわれた好投手で、夏の東京大会では準々決勝で日大二高に敗れはしたが予選の5試合に伸びのある直球と切れのいいシュートを主武器に50個の三振を奪い、自責点なしという快投をみせている。また主将でもある上条は打っても四番の重責をよく果たすなど、文字どおりチームの原動力だった。1㍍70、68㌔。
上条投手の話 もし行けるものなら大学へ進んで勉強したかったのですが、父が胃かいようで寝たきりですし、四年間家の経済がどう変わるかもわからないので学費のこと、父の療養費のことなどいろいろ考えたすえ、プロへ行くことに決めました。他の球団では直接、間接的に南海、国鉄、東映、近鉄から交渉があったのですが、佃明忠さんがオリオンズ時代に知りあってオリオンズには前から関心があり、先月駒沢で見てくださった別当監督、また熱心に勧誘してくださった片岡さんの人柄にもひかれて大毎入りを決意しました。
大毎別当監督の話 上条君を駒沢でみたときなんといいバネをしているのかと驚いた。上背はないが球も早くコントロールがある。がっちりしているので第二の土橋になるかもしれない、とぜひとってくれと松村代表にも頼んでおいた。入団がきまって実にうれしい。
大毎松村代表の話 入団がきまってうれしい。上条君は単に東京だけでなく全国的にみても右腕の好投手と評価されており、来年からすぐにも活躍してもらえるだろうと期待している。
足立高中島野球部長の話 本人は二、三番という学校の成績なので大学へ行きたかったようだが、男の子一人という家庭だしその責任感もあってプロ入りを決意したようだ。
上条投手は都内で左腕の王(早実)と並び右腕のナンバー・ワン投手といわれた好投手で、夏の東京大会では準々決勝で日大二高に敗れはしたが予選の5試合に伸びのある直球と切れのいいシュートを主武器に50個の三振を奪い、自責点なしという快投をみせている。また主将でもある上条は打っても四番の重責をよく果たすなど、文字どおりチームの原動力だった。1㍍70、68㌔。
上条投手の話 もし行けるものなら大学へ進んで勉強したかったのですが、父が胃かいようで寝たきりですし、四年間家の経済がどう変わるかもわからないので学費のこと、父の療養費のことなどいろいろ考えたすえ、プロへ行くことに決めました。他の球団では直接、間接的に南海、国鉄、東映、近鉄から交渉があったのですが、佃明忠さんがオリオンズ時代に知りあってオリオンズには前から関心があり、先月駒沢で見てくださった別当監督、また熱心に勧誘してくださった片岡さんの人柄にもひかれて大毎入りを決意しました。
大毎別当監督の話 上条君を駒沢でみたときなんといいバネをしているのかと驚いた。上背はないが球も早くコントロールがある。がっちりしているので第二の土橋になるかもしれない、とぜひとってくれと松村代表にも頼んでおいた。入団がきまって実にうれしい。
大毎松村代表の話 入団がきまってうれしい。上条君は単に東京だけでなく全国的にみても右腕の好投手と評価されており、来年からすぐにも活躍してもらえるだろうと期待している。
足立高中島野球部長の話 本人は二、三番という学校の成績なので大学へ行きたかったようだが、男の子一人という家庭だしその責任感もあってプロ入りを決意したようだ。