プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

阿井英二郎

2011-12-31 23:59:17 | 日記
投球フォーム・・・右オーバースロー「フォーム自体はまとまっているが、全体的にメリハリがなく外的な迫力を感じない。」


球種・・・ストレートはMAX135キロ程度。スライダー、カーブ、フォーク。「低めの制球がイマいちで高めに集まったところを狙い打たれる」


「プロ初完投勝利」
1986年・7月6日・中日ーヤクルト14回戦「ナゴヤ」2万6千・試合時間・2時間41分
ヤ000500001・6
中100000000・1
勝ち・阿井・負け・鈴木孝・・本塁打・栗山2号、八重樫4号

阿井投手・投球内容・9回・9安打・6三振・四死球1・・自責1

・初回に1点を失った阿井だが味方が3回に大量5点を挙げ逆転すると、再三走者を出す苦しい投球ながら中日の拙攻にも助けられプロ初の完投勝利。

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藪上敏夫

2011-12-31 23:58:25 | 日記
投球フォーム・・・・不明

球種・・・ストレート、カーブ、スライダー、決め球はシュート


1971年
・島本と同じ和歌山出身の2年生・藪上が大きく浮かび上がってきた。2年生とはいっても、昨年1軍の実績はゼロ。ルーキーと同じようなもので、とても期待できるような存在ではなかったが「いいシュートを持っているから、一度見てやってください」との新山コーチの進言で、広島とのオープン戦に初登板。5回を投げ4安打。四球と犠飛がからんで2点を失ったが、まず安定したピッチングを披露した。直接リード役をつとめた野村捕手も「コントロールがいい。だいたい狙ったところにボールがくる」とその安定感を保証した。エース皆川が、限界と戦っており南海が覇権を奪回するためには、一にも二にも投手陣の整備にかかっているのだが、オープン戦で中山に続いて藪上も頭角をあらわした。「こんなチャンスに出てくる奴こそが、本当に力のある奴や。オープン戦が終わるまでには、もっと出てきてくれるやろう」この野村監督の期待に応えて、藪上は3月11日のヤクルト戦「大阪球場」では4回をノーヒット無得点の好投を見せ、第一線投手の仲間入りをまず確実にした。

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黒坂幸夫

2011-12-31 23:55:55 | 日記
投球フォーム・・・本格派の大型サウスポー


球種・・・ストレート、スライダー、決め球のカーブは一度ホップしてから落ちるという変化をする。


1978年・イースタンリーグ
・「34の背番号だけが大投手」と、ナインに散々ひやかされていた昨年の「0勝投手」黒坂が、ここにきてぐんぐん株をあげてきた。目下、5連勝で5勝無敗。初先発を完封で飾った巨人戦の白星を含め、投げれば勝ちの快進撃。登板12試合目の日ハム9回戦では7回を4安打無失点に抑え防御率1,74でトップに躍り出た。「勝負どころで威力のあるストレートを投げられるようになったのが大きい。このままうまく育てば、左の柱になるピッチャーに成長するかも・・・」小森2軍監督も大きな期待をかけている。

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西本和人

2011-12-31 17:19:10 | 日記
投球フォーム・・・右オーバースロー「恵まれた体格を生かした本格派。フォーム自体もなめらかで打者を圧倒する力感にあふれている」

・長い間ヒジ痛で苦しんできた80年代後半、サイドスローに転向。うまく体を使った無理のないフォームで復活した。


球種・・・ストレートはナチュラルに変化する。カーブ、スライダー、決め球はシュート。サイドスローに転向後のストレートのMAXは140キロ程度でこの時期にはシンカーも習得した。


1982年「若獅子・西本プロ初勝利・球速十分に内外角決める」
5月8日・西武ー阪急8回戦「西武球場」観衆2万・試合時間2時間42分
阪急000000001・1
西武00001100・・2
勝ち・西本、セーブ・永射、負け・今井・・本塁打・マルカーノ3号

西本投手・投球内容・7回3分の2・2安打・三振3・・四死球3・・自責0

・「西本が投げていなかったら、今日は負けですよ」と、西武の広岡監督が舌を巻いた。シュートのキレが抜群で「西武の期待の星」ではあったが、プロ入り2年目の初先発。まだ19歳。その西本をこれまでの抑えからローテーションの谷間で、苦しまぎれで先発に回したが、見事に期待に応えた。5回までキレのいいスライダー、直球を黒田捕手のミットにきちっと投げて、スタートから阪急打線をパーフェクトに。6回2死後、大橋に四球を許すとガックリ肩を落としたほどだ。しかし、「4回ごろから完全試合を意識しはじめた」という緊張が解けてか、7回の2死後にはマルカーノに真ん中スライダーを中間打され、ノーヒットノーランまでなくなった。8回2死後にはついにヒットと四球を許して降板、永射のリリーフを受けた。それでも、結局2安打無失点。味方の援護がわずか2点でプロ初勝利を飾った。西本は、「きょうはシュートがあまりよくなかったけれど、コントロールがよかったのが第一ですね」と、興奮気味。「9回に永射さんが打たれた時はベンチに座っていられなかった。本当に疲れました」と初勝利のインタビュー。エースに期待された森が不調でローテーションの一角が崩れた西武だが、広岡監督も「これで西本はローテーション入り。」シュートが持ち味で巨人の西本聖が目標と言うが、「10勝を目標にがんばります」と、「西武の西本」もスタートを切った。

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相川英明

2011-12-31 15:47:24 | 日記
投球フォーム・・・ノーワインドアップ投法

球種・・・ストレートはMAX145キロ程度。カーブ、スライダー、決め球はフォーク

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高山郁夫

2011-12-31 15:16:08 | 日記
投球フォーム・・・右オーバースロー「後にサイドスローに転向」

球種・・・ストレートはプロ5年目、1989年あたりでMAX140キロ程度、カーブ、シュート、決め球はフォーク


高山投手・ベストピッチングゲーム
1985年・8月29日・西武ー南海20回戦「西武球場」試合時間・2時間42分
南海000000000・0
西武10053110・・11
勝ち・高山、負け・山内孝・・本塁打・金森9号、伊東11号、片平9号

高山投手・投球内容・9回・2安打・6三振・4四球・自責0

・西武は新人・高山がプロ初先発。切れのいい直球とカーブで好調な投球を見せた。打線も「ライオンズ・キラー」山内孝を中盤に一気に攻略し大量リードを奪い、高山は楽々と完投。プロ初勝利を挙げた。

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片岡大蔵

2011-12-31 15:14:48 | 日記
投球フォーム・・・右オーバースロー「プロ1年目に全身の力も生かせるように、ゆったりとしたテークバックから振り下ろす投法に修正した」


球種・・・ストレート、カーブ、スライダー、シンカー


1980年
・広島の優勝が決まった後の「消化試合」だがルーキー片岡が一軍に合流し、大洋26回戦と中日25回戦に登板した。結果は勝ち星こそつかめなかったものの、無失点で与えられたチャンスを無難にこなした。「相手チームも消化試合で、気合が入ってなかったからでしょう。もし、これが、シーズン最中のゲームだったら、ボクなんかメッタ打ちされてたはず。プロはそんな甘いものじゃないと思ってます」の感想も立派だった。ついでながら打撃の方も中日・青山投手からプロ初安打を中前に放ちハナ高々だった。

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川藤竜之輔

2011-12-31 08:02:39 | 日記
フォーム、球種に関する情報なし。

1970年・巨人時代の川藤にインタビュー

Q・今季の抱負と目標は?

川藤「ジャイアンツという新しいチームに移り、川藤とはこんな力しかないのかといわれないように、がんばってやるだけです。ちょうど今年で5年目だし、転機という面でも、新しいユニフォームを着られたのは自分にとってもいいチャンスだと思っている」


Q・決め球としている武器は?

川藤「落ちる球を決め手にするようにしてます。これからは、もっとコントロールをつけて、真っすぐ主体のピッチャーになりたいです」


Q・好きな球場、嫌いな球場は?

川藤「ピッチャー・プレートだけなら東京スタジアムが投げやすかったです。でも、あそこは球場が狭いから、すぐ外野スタンドへ持っていかれる恐れがありました。今年はセリーグの球場で投げることになったが、セは比較的、大きい球場が多いように思われる。広島も中日も、まだ投げたことがないので、ちょっと心配ですね」

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大畑徹

2011-12-31 08:01:17 | 日記
投球フォーム・・・上から投げ下ろす形なのだが、スリークォーターなのかノーワインドアップなのか詳細不明。


球種・・・ストレート、カーブ、スライダー、フォーク


・1985年、新たに就任した近藤貞雄監督に「対巨人用」の秘密兵器として大いに期待され、事実オープン戦では頻繁に起用され期待に応えた。開幕2戦目「4月14日」の巨人戦「後楽園」では先発のマウンドに立っている。しかし2回を2失点で降板。チャンスを生かしきれなかった。

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関清和

2011-12-30 15:00:07 | 日記
関清和投手

投球フォーム・・・ノーワインドアップ投法

球種・・・ストレートはMAX145キロ程度。カーブ、フォーク、スライダー「制球はやや甘い」


「プロ初完投勝利」
1988年・10月15日・ロッテー阪急23回戦「川崎球場」観衆・3千人・試合時間・2時間58分
急110000000・2
ロ02040036・・15
勝ち・関・・・負け・古溝・・本塁打・古川8号、マドロック16号
関投手・投球内容・9回・6安打・6三振・四死球7・自責2

・ロッテ・関がうれしいプロ初完投勝利で3勝目を挙げた。初回、2回の大ピンチも最少の1点ずつの失点で切り抜け、打線の援護もあり堂々の2失点完投。3回以降はわずか1安打とピシャリ。「立ち上がりあまりよくなかったけど、勝てて良かったです」勝利インタビューも、なにやら興奮気味。これまでの最長投球は7回が2度。「完投って意外と疲れるというのか・・・。6,7回になるとシンドかった・・・」産みの苦しみを十二分に味わった関の、ひと山越えた飛躍が楽しみだ。

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堀井恒雄

2011-12-30 14:59:00 | 日記
投球フォーム・・・右サイドスロー「投球自体、やや弱気な面がある」

球種・・・ストレートはMAX138キロ程度。シンカー、カーブ、シュート、スライダー。


堀井投手・ベストピッチングゲーム

1985年・6月8日・大洋ー阪神5回戦「札幌円山」観衆1万6千・試合時間・3時間5分
阪神100000000・1
大洋00100012・・4
勝ち・堀井、セーブ・斎藤、負け・伊藤
堀井投手・投球内容
2番手で登板・5回・・2安打・・1三振・・四死球3・・自責0

・大洋は、堀井のプロ入り5年目の初勝利で阪神を下した。制球難の先発・金沢に3回途中から代わった堀井は、スライダーの制球がよく、5回を散発2安打に抑えた。

「5年目の初勝利だから恥ずかしい」大洋の堀井は、それでもほおを紅潮させ、緊張のインタビュー。阪神打線は一発を警戒すればいいと「ストライクを投げないように心掛けたのがよかった」と言い、ストライクゾーンから逃げるスライダーの制球がよかったことを勝因に挙げた。昨年の春先ヒジを痛めたこともあり、上手投げから横手にフォームを改造するなど、苦しかった昨年中いろいろと世話を焼いてくれた大商大の先輩・斎藤が二回を無難に締めくくり「先輩のおかげ」と感謝していた。

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右田一彦

2011-12-30 11:37:24 | 日記
投球フォーム・・・ひと口でいえば、元・阪急の山口高志を思わせるタイプ。バックスィングが小さく、力でねじ伏せるピッチング。制球力に難あり。

球種・・・プロ入り時はストレートのMAXは148キロ程度。インハイを突く速球に威力あり。タテの大きなカーブ。シュート、フオーク。


・かって、サインを頼まれて色紙に「ロックンロール・右田」と書いた逸話を持つ。


1983年・オープン戦「右田に自信・先発ローテ当確」
3月24日・大洋ー阪神「横浜」試合時間・2時間26分
阪神0020001・3
大洋0010010・2・・・7回降雨コールドゲーム
勝ち・大町、負け・増本・・本塁打・高木豊3号
右田投手・投球内容・6回・・5安打・・自責2

・大洋の右田が、またまた自信をつけた。強力打線を誇る阪神打線を6回投げて2失点と、まずまず。掛布、岡田を三度とも打ち取った。まず一回、トレーシーの拙守も手伝っていきなり真弓に右翼線の二塁打、そのあとすぐに三盗を許し、無死三塁のピンチになった。佐野には四球を与えたが、掛布をカウント1-1から外角のフォークで1ゴロ併殺にとって切り抜けた。二回は先頭の岡田をカーブで三球三振。ふだんは速球主体のピッチングだが、この日は変化球を半分以上も投げ、目先を変える組み立て。右田は「きょうは、ストレートが高めにいってストライクが取れないんです。それでちょっとフォークを投げて・・・」と、かわすピッチングにも自信をつけた。三回、投手の野村にあっさり四球を許し崩れたものの、以後の3回を1安打。これまでのオープン戦3試合で10イニング無失点を続けていて、この好投だから、関根監督の口元もゆるんだ。大洋の先発陣は,遠藤、門田、平松、金沢、それに若手から一人ということが決まっていたが、前日、ライバルの堀井が四球で自滅して6失点。これで、右田が「残る一議席」をまたまた確実にしたわけだ。右田は「投手に四球を出したのはいけない。それで点を取られまいとあせってしまって・・・。でも、いままでテレビで見ていた選手を抑えられたんだから」と、ニャッと笑った。

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井辺康二

2011-12-29 12:40:42 | 日記
投球フォーム・・・右スリークォーター

球種・・・ストレートはMAX140キロ程度、カーブ、フォーク、決め球はスライダー


・ルーキーの1982年・イースタンリーグで8イニング投げただけで33四球。9月6日の西武戦では1イニング7四球のイースタン新記録を作った。
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井上圭一

2011-12-29 12:39:42 | 日記
投球フォーム・・・長身を生かした本格派

球種・・・ストレート、カーブ、シュート、チェンジアップ


・1972年
昨年のドラフトで1位に指名した社会人野球№1投手・井上圭一投手「21歳」183センチ・73キロ・右投げ右打ち・
三菱自動車川崎の入団発表が11月15日、午後4時から東京・新大久保の球団事務所で行われた。発表に立ち会った石原代表は「意中の人と契約できてこんなにうれしいことはない。ロッテの柱になってくれると信じている」17日の期限切れ直前に「ロッテの恋人」を手中にできた喜びでいっぱい。井上は甘いマスクを紅潮させながら抱負を次のように語った。「勝負球はストレートです。来年はとにかくまず1勝をあげることに専念して、どんどん勝ち星を積み重ねていきたい」井上を口説くのにこの1年間、努力した田丸スカウトも「よかった、よかった」と胸をなでおろしていた
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菊村徳用

2011-12-29 01:40:13 | 日記
投球フォーム・・・・左オーバースロー本格派

球種・・・2軍の試合でもほとんど登板してないですね。1982年の近鉄時代でもファームで2試合投げたのみ。データがありません。


・菊村がプロのスカウトの間であまり知られていなかったのは甲子園のひのき舞台を一度も踏んでいなかったこともあった。しかしこの菊村の素質を誰よりも高く買っていたのはロッテの榎原スカウトだった。「阪神で大成した江夏と比べてもひけはとらないでしょう。球の速さでは江夏の方が上だったかもしれません。でも球の伸びという点では菊村のほうが上だったですよ」育英高時代は1試合平均13個の三振を奪っていた。将来性という点ではどのスカウトも認めていた。ましてや左腕である。左腕で日本球界・前人未到の400勝をマークしたロッテ・金田監督が菊村に自分の若いころをダブらせ、未知の魅力がいっぱいの菊村を指名したのはむしろ当然だった。背番号は主将をつとめていた池辺の「16番」をもらい、入団発表の席上では「監督さんのようなピッチャーになります」とこれまた、でっかい抱負を真顔で述べ金田監督も「ええ度胸をしとる。ロッテ王国のため20勝投手になってくれる男や」と花を持たせた。こうして菊村は胸をいっぱいふくらませながら1975年の自主トレに参加した。だがロッテの練習はうわさ以上に厳しかった。菊村は自主トレ初日からアゴを出した。なにしろロッテ式練習は「走れ!走れ!」である。内臓が弱かった菊村には酷なランニングであった。懸命にがんばり抜いた50年の自主トレ、鹿児島キャンプだった。それが報われて、3月1日、カネやんは下関での大洋とのオープン戦にこの菊村を先発させた。期待の大きさが分かるが大洋の「重爆打線」は18歳の少年投手には重荷だった。わずか1回、打者8人で2安打、4四球の失点4で1死も取れずの降板だった。「あがってしまって、なにがなんだかわからないうちに4点も取られてしまいました」度胸のすわっている菊村でもこんなオープン戦デビューになった。「もう一度チャンスをやろう」カネやんがこういって、再び大洋戦に先発させたものの3分の1イニングで打者5人に四球あり、暴投ありで、挙げ句の果てには長崎に右翼へ3ランホームランを浴びてしまった。こうして結局「菊村は基礎体力がないんや。ファームで一からやり直しや」となり、再スタートとなった。だが基礎体力はつかなかった。いや逆に弱っていったのであろうか。2軍首脳陣は医師と相談、内臓が強くなる「菊村用」の1週間区切りのメニューを作った。菊村はグラウンドでは、なま水、ジュース類に飛びつき、ステーキなど肉類には食欲を感じなかった特殊体質ということも不運であった。少しも体は大きくならず、かえって痩せていったのである。技術面ではコントロールのなさが大きなカベになった。期待された1976年、2軍戦8試合に登板したが0勝1敗、防御率3,52、23イニングで22四球だから1イニング1個の四球というノーコンぶりだった。

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