プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

スミス

2018-01-17 23:49:20 | 日記
1972年

南海のウィリー・スミス外野手(33)が三日、東京球場で行われたロッテ戦にワン・ポイント・リリーフで初めて登板した。左打者アルトマン封じ策で野村監督がうった思い切ったさい配だが、こんごも左打者にスミスをワン・ポイント・リリーフで使う方針だ。

スミスをレフトから呼んでアルトマンを押えニヤリと笑う。スミスも笑ってレフトへ帰っていくー。このシーンがロッテに勝つ一番手っとり早いやり方だと野村監督は思った。スミスは開幕前からピッチングをつづけていた。「お前はアルトマンを押えるんだよ」といい渡したのはもう一週間も前のこと。投げていた佐藤道は昨年、大阪球場でアルトマンにバック・スクリーンに打ち込まれている。野村監督の頭の中からその手痛い一撃がはなれない。「ミチ(佐藤道)アルトマンのときはレフトやで」と救援する前にいい渡している。「避難させられてチクショウと思ったかって?そんな余裕はなかったな。レフトにフライがとんでくるな、と思っただけですよ」苦々しい表情でベンチを出てきた野村監督。「外にはずせというたんや。なのに真ん中に投げてきよった」西岡が有藤に打たれた、たった一球ですべては終わり。だが、スミスについては決して悲観していない。「オレが間違っていた。アルトマンは初球は打ってこないと思うたんや。ど真ん中の球やった」右前に打たれたことについてもちっともこだわってない。「ストライクがこないのではないかと心配したが、見事なストライクがきたやないか。大したもんや。これからもワン・ポイントでどんどん使っていく」とキッパリいった。大リーグでは、エンゼルスで2勝4敗。もう八年近くも前のことだが、救援投手としての実績を持っている。左腕投手は村上雅一人だけ。その村上はまだ本調子でなく苦しいチーム事情だ。江藤、ロペスが抜けたといっても、まだまだロッテ打線はこわい。とくにせまい東京球場でのホームラン。中でもアルトマンの一発には神経をとがらせている。スミスも重い責任を負わされていることはよく理解している。「外側へ投げるつもりだったのに、甘かった。もう少し投げてみたかった。一球投げただけだが、これからの自信にはなった。ワン・ポイントは、去年の3Aのシラキュースで何度もやっている。あとは外野手から投手への頭の切り替えだけだ」という。ロッテ・大沢監督はこの場面を面白い野球の演出としか考えていない。「面白い野球もけっこう。でも、打たれちゃなあ」野村監督には面白い野球をやる余裕はない。ただ、勝つ野球だけを目ざしている。
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大橋勲

2018-01-17 20:24:47 | 日記
1966年

甲子園の全国高校野球大会にはいつも県予選の決勝戦で高知商に負け、出場できなかった。しかし、土佐高の看板選手として高校を卒業するとき阪急、近鉄から誘いがあった。父親のすすめで慶大に進学。明大の辻(現阪神)、立大の岡本(現産経)とならび、六大学の捕手三羽ガラスとなり神宮をわかせた。入団後は森の控えだったが、昨シーズンは30試合に出場して徐々に頭角をあらわしてきた。「坊ちゃんタイプでプロの世界には珍しいくらいの引っこみ思案」といわれているが、ことしはガメツイ野球をするそうだ。ひとツブだねの敬太郎君(1つ)の写真を肌身はなさず持っている。背番号7のユニホームをつけた敬太郎君をみながらパパのはファイトを燃やすそうだ。「昨年、自由契約になるかもしれないので、息子にユニホームを着せ記念写真をとっておいた。でもことしのシーズン・オフぐらいの成績を残したい」80試合ぐらい出場したいというのが念願だそうだ。
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皆木敏夫

2018-01-17 20:16:00 | 日記
1969年

映画俳優を思わせるほどの美男子。巨人で東京生まれは、荒川コーチ、王とこの皆木だけ。江戸っ子にはめずらしく、無口でおとなしい。昨年、シーズン初めに一軍のバッティング投手として投げこんだおかげで、後半球に力強さがでてきた。「内野手に代われといわれないように努力します」と一生懸命である。
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長尾敏広

2018-01-17 20:07:19 | 日記
1969年

昨年暮れ、多摩丘陵での自主トレーニングでは下半身をいじめぬいた。「タマがいくら速くてもストライクがとれないようでは投手の資格はない」というのが1年間をふり返っての結論だった。右足一本で立ってもフラフラしなくなった努力が、ことしはどうでるか。
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辻佳久

2018-01-17 00:31:06 | 日記
1964年

金沢高・辻佳久投手(17)=1㍍83、75㌔、左投左打=の巨人入団が確実になった。同投手は春の甲子園大会で準々決勝まで進出、長身から速球と大きく落ちるドロップ、シュートでスカウトから注目されていた。巨人と最後までせり合っていた中日はさきに獲得した竹内捕手とバッテリーで誘っていたが、二十日北陸中日新聞社の山田専務を通じ断られた。巨人の熱意に辻家では十八日、小松市平面町八二の二の自宅で父親の三次氏を中心に親族会議を開き、巨人と中日の人気の点、条件などを考えて巨人入りに傾いた。

中日・柴田スカウト「二十日北陸中日新聞を通じて断ってきた。結局辻はウチの最後までせり合った巨人にはいるようになるだろう」
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