プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

皆様、情報の欲しいプロ野球選手です

2016-05-31 22:40:50 | 日記
私が資料を捜しているプロ野球選手です。

あまりにも資料などがありません。どなたかお知り合い、もしくはご家族の方情報をください


島田軍治(南海)

奈良正男(ロッテ)

荻原勝(ロッテ)

住友秀雄(東映)

豊村健泰(近鉄)

原之後富則(国鉄)

喜多代晏節(国鉄)

舟津隆介(太平洋)

畑口健二(大洋)
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大島中・伊藤守

2016-05-31 21:32:54 | 日記
1957年

高校選手の獲得に本腰を入れはじめた中日ドラゴンズでは十二日、桐生高の主戦、大島中投手(18)地元成章高の伊藤守捕手(18)と正式契約を行った。大島投手は5尺9寸5分、19貫5百、右投右打、オーバー・スローで真向から投げおろす速球とドロップとはいかにも大型投手にふさわしい球威を持っている。メガネをかけた風ぼうは杉下投手に似ており、北関東の高校球界では剛球投手として鳴らした。今夏の全国高校予選では三回戦で高鍋高に敗れたが、主戦投手で活躍するかたわら、四番打者をつとめ攻守に大物の片リンをうかがわせ、同校野球部の稲川監督は「プロへ入っても十分大成するだけの見こみがある」と折り紙をつけている。投手となったのは高校二年生のときからで、それまでは一塁手として打棒を振っていた。西鉄、国鉄、東映、大映らのプロ球団が激しい勧誘の手をのばしたが学校当局と本人の希望が実って、中日入りが実現したもの。
伊藤捕手は5尺7寸、18貫、右投右打で、県下の高校捕手№1として定評がある好捕手。昨年は坂口投手(現中日投手)とバッテリーを組んでいた根っからの捕手タイプでインサイドワークにすぐれている。とくに打力は大物を飛ばさぬ代わりに左右に打ち分けるシャープな打撃の持ち主。さきの対ハワイ高校戦では愛知県高校選抜チームの先発メンバーに捕手として出場するなど、実力が認められ、大島投手とともにドラゴンズの新戦力として将来が楽しまれている。
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内田哲

2016-05-31 21:11:41 | 日記
1958年

東映フライヤーズでは、十月十二日に行った新人テストに応募した百三十人の中から東京聖学院高校の内田哲左腕投手(18)=埼玉県大宮市寿能2-209=を採用した。身長1㍍75、74㌔の大型選手で長身から投げ下ろす速球に威力があり岩本監督、筒井コーチらも舌をまいたといわれる。二十日ごろ正式契約する。
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上土井勝利

2016-05-31 20:30:26 | 日記
1956年

セ・リーグの広島カープは広島商高のエース上土井勝利投手(18)と契約した。今年の広島調印第一号だが、同選手は春の選抜大会、夏の全国大会と二度も甲子園のプレートに立ちカーブ、スライダー、シュートと多彩な頭脳的ピッチングをみせる好投手である。身長五尺六寸五分、十七貫、右投右打。
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坂口俊一・式田信一

2016-05-31 20:15:56 | 日記
1956年

このほど決定した坂口投手は5尺9寸、19貫と体格に恵まれた本格派で、すでに一年生のときから成章高のエースとしてその豪速球とドロップは定評があり他球団のスカウトの目にもとまっていた。投手として素質があるほか打撃にもすぐれたものをもっており、四番打者として今年通算3割5分余を打っている。とくに高校生ばなれの長打力がたのしみで、さきの甲子園大会の予選などを通じて数本のホームランを放っている。この打撃と快足を生かし外野手として使うらしい。

式田捕手は5尺6寸、20貫というタンクを思わせるガッチリとした体格の持ち主で船橋高のワンマン選手として鳴りひびいていた好選手。毎日など数球団も触手をのばしていたが、出足の早かった中日が獲得したものである。強肩、好守でしかも打撃がよく、内外野にコンバートしても十分使える。
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淵上澄雄

2016-05-31 19:44:22 | 日記
1965年

日本高校野球連盟に加盟している学校が全国で千二百校、一校の野球部員二十五人として高校球児は三万人。だから淵上クンは三万分の一という確率の低い幸運を引き当てたことになる。選手宣誓はチームメイトとともに味わえる優勝の感激と違って、ただひとり自分だけでかみしめる貴重な経験なのだ。二十六日の予行演習。各校主将の持つ選抜旗を背にした淵上クンは、右手を高らかに上げ、落ち着いた口調で堂々とやった。「昨秋から一生懸命やろうと考えていました。だがやっぱりあがりました。でもあすはゆっくり大きな声で専制します」淵上クンはチームの大黒柱である。エース、三番打者、主将ー。だがチームが期待するのは投手としての彼だ。外角低めへの重い速球が武器で、変化球もカーブ、シュート、ドロップ、ナックルとなんでもこなす。昨年はじめ相ついで左足アキレスケン、右ヒジを痛めて味わった。苦しみがピッチングをひと回り大きく、人間的にも成長させたようだ。浅井部長は「ピッチングに波のないのがいいし、野手がエラーしてもイヤな顔をせずチームから信頼されている」という。淵上クンは二十二日甲子園入りしてから一日百五十ー二百球のピッチングをしている。本人は「七分から八分のできです」とけんそんするが、スピードは昨秋より一段と増したようだ。ネット裏は参加二十四校中でもAクラスにはりる右腕と淵上クンを評価している。甲子園のマウンドも気に入ったそうだ。「開会式直後で選抜旗を持ち、宣誓をするので人一倍疲れるでしょうが、悔いのない試合をしたいと思います」と口びるをかみしめた。きょうの試合には岐阜県吉城郡国府町の淵上後援会の人たちが母親のよ志さん(45)とともにバス三台で応援にやって来る。淵上クンは後援会の人たちの期待にこたえて好投してくれるだろう。国府町広瀬、公務員よ志さんの長男、1㍍80、75㌔。工業課程三年生。
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小林英幸

2016-05-30 21:51:12 | 日記
1958年

中日ドラゴンズでは二十七日午前十時半から球団事務所で帝京高の小林英幸一塁兼外野手(18)と正式契約した。同選手は在学中の通算打率が3割3分、本塁打10本放っており、大島信雄氏(野球評論家)が「バッティングにみるべきところがある」とほれこんだ逸材。走塁(ベース・ランニング15秒3)と左投手に対するバッティングが今後の課題で、あらけずりだが長打者の素質はある。平岩代表も「いますぐというのは無理かも知れないが、ほとんどコーチらしいものを受けたことがないそうだから、一、二年仕込めば頭角を現してくるだろう」と期待を寄せている。身長1㍍79、体重75㌔、左投左打、背番号は未定。
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中条博

2016-05-30 21:26:18 | 日記
1966年

南海ホークスは、第一次ドラフト会議で交渉権を得た愛知県愛知高校三年の中条博投手(18)=1㍍75、75㌔、右投げ右打ち=と入団交渉を進めていたが、このほど交渉がまとまり、四日午後二時から名古屋駅前の都ホテルで球団側から伊藤スカウト、中条側から同投手、母親一枝さん(53)実兄功さん(32)=名古屋市東区赤萩町北西交通営業部長=らが立ち会い契約調印した。同投手は右腕から投げおろす本格派で今夏の高校野球愛知県予選では中京商を苦しめる活躍をした。なお入団発表は五日、大阪・難波の球団事務所で行う。
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愛甲徹

2016-05-30 20:48:14 | 日記
1964年

愛甲(あいこう)徹投手(19)=PL学園卒=の入団発表が二十五日午後三時から東京・南千住の球団事務所で行われた。同投手はPL学園時代長身から投げおろす速球とシュートに威力を持ち本格派として注目され、三十八年の甲子園大会にも出場している。1㍍78、76㌔、右投げ右打ち。
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水谷実智郎・日置司

2016-05-30 20:41:34 | 日記
1965年

中日ドラゴンズは、一日中日球場内プレス・ルームで、名古屋・昭和高の水谷実智郎投手(18)=右投げ、右打ち、1㍍82、67㌔=と岐阜短大付属高の日置司投手(18)=右投げ、右打ち、1㍍81、78㌔=の入団を発表した。水谷はオーバーハンドからの速球を武器とする本格派、ことしの投手成績は13勝5敗、一試合平均12、3個の三振を奪っている。今夏の甲子園大会予選では三回戦で一宮商に1-0で惜敗、打撃もよく、この一年間の通算打率は3割1分2厘。日置は速球とカーブが得意。ことしの成績は8勝1敗、打撃の素質もよく今季の通算打率は5割、野球一家で、兄弟の一人良一さんは中京商時代中山投手(中日)とバッテリーを組み甲子園で優勝したことがある。その下の伸兵さんも、中京商のとき甲子園に出場し現在ノンプロ西濃運輸の主力選手として活躍している。

吉江代表の話 二人ともいい体格をしている。それに足もはやい。これらの新鋭投手が順調にのびたら、投手王国を再現できると思う。
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日置司

2016-05-30 20:33:57 | 日記
1965年

日置司投手。身長1㍍82。右投げ。七男坊。兄ふたりは中京商野球部の好打者として甲子園で活躍した。日置は同期生で昨夏の予選後、中途退学で阪神入りした交告投手にかくれ、ヒノキ舞台は踏まなかった。速いタマを投げるが、試合になると日ごろの力が発揮できない。この欠点も、中日の秋季練習に参加してから目に見えて直った。それとともにサイド気味投法からオーバーハンドの投法にかえた。「プロのコーチはやはりアマチュアとちがいますね」日置はおもしろいぐらいタマがよく走る自分のピッチングにすっかり自信をつけた。いまでも高校の宿舎で生活。友人を相手にキャッチボール、ランニングに懸命だ。松本同校長が常に激励してくれる。「プロ選手になった以上は歯を食いしばってやれ。なにごとも努力を惜しんではならない」と。新人選手にはお正月は返上ですとはりきっている。

・得意はカーブ、それにスピードを加え、早く一勝したい。

・岐阜大和中学、岐阜短大付属高とも投手だった。打順は四番、昭和二十一年七月十四日生まれ、18歳、七男。
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フォイタック

2016-05-30 20:12:23 | 日記
元中日のフォイタック投手を知ってますか?

1965年

中日ドラゴンズは、五日午後五時名古屋市中区南外堀町の球団事務所でポール・フォイタック投手(24)=右投げ右打ち、1㍍81、83㌔=の入団を発表した。二日いらい中日球場でテストしていたが、ウワサされていた肩、腰に故障はない。球力からみてじゅうぶん戦力になると西沢監督ら幹部が判断し、テスト四日目で結論をだし、採用を決定したもの。なお背番号は「16」に決まった。

同投手はこのまま引きつづき練習してシーズンに臨みたいという希望だったが、渡航続きの関係でいったん日本を離れ、改めて来日する。名古屋市に住む予定で、家族はキャサリン夫人(24)長男ポール・ジュニア君(14)長女スーザンちゃん(10)二女キャシーちゃん(7つ)三女バギーちゃん(四つ)の五人。1949年ペンシルバニア州のテクニック・ハイスクールからプロ入り。五五年大リーグ(タイガース)に進み、六四年エンゼルスに移籍、同年途中3Aのグラキュースに落ちた。大リーグ十年間の通算成績は86勝86敗。若いころは速球が得意だったが、最近は速球のほかにナックル、カーブ、スライダーを武器にしているという。ドイツ系の米人だけに、頭脳明せきで、明るい性格の持ち主。

吉江代表の話 肩の調子もよく、すぐ戦力になるという点でチーム幹部の意見が一致したので採用することに決めた。15勝ぐらいはやってくれるだろう。

西沢監督の話 予想していたよりもいいピッチャーだ。球速もじゅうぶんあるし、ナックルなど変化球がおもしろいのを持っている。五日の練習では捕手の中村がナックルをとりそこねて肩に当てたくらいだ。先発、救援両方でいけるのではないか。これで投手陣は万全とまではいかなくともかなり充実した。

ー中日の練習をみてどう思ったか。
大リーグのキャンプとあまり変わっていない。ただ練習時間が少し長いように感じた。
ー三十七年にタイガースの一員で来日し、4試合に登板して2勝(1敗)しているが、日本プロ野球の印象はどうか。
ーなかなかいい選手が多いし、強い。長島、王、近藤和、桑田などのフォームやクセもおぼえている。下関で大洋とのゲームに投げ、シャット・アウトにした。当時の大洋とはちがうだろうが、今シーズンもし大洋に投げる機会があったら、いいピッチングができるのではないかと思う。(フォイタックのことで吉江代表が大洋の森代表に話したさい、森代表はやっかいな投手がはいるといっていたそうだ)
ーどれぐらい活躍できると思うか。
ーわからないが、ベストを尽くして15勝ぐらいはしたい。
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フォイタック

2016-05-30 19:55:04 | 日記
1965年

アスプロモンテ選手の紹介で中日ドラゴンズのテストを受けることになった元大リーガー、P・フォイタック投手(23)=右投げ右打ち=は一日午後九時二十分、東京羽田空港着の日航機で来日した。ロビーで出迎えた中日の与那嶺コーチ、田村スカウトと堅い握手をかわしたあと「テストは必ず合格してみせる」と自信満々だった。同投手は一日ニュー・ジャパンに宿泊二日午前十時ひかりで名古屋にむかい、ただちに中日球場の練習に参加する。なおドラゴンズでは十日から二週間のうちに採否を決定する。

フォイタック選手の話 テストには必ず合格する。自信がなければ、高い金をはらってワザワザ日本までやってこない。何勝できるかなどとここではいえないが、登板できるチャンスがあれば、全部勝ちたい。ボクが肩を悪くして大リーグから、3Aに落ちたというウワサが日本であるらしいが、それはデマだ。ボクの肩はこの通り大じょうぶだ。(肩を動かしてみせる)大リーグにいたころのような確かさはないが、スピードボールも投げられる。得意なタマはナックルボールだ。これで大リーガーから随分三振をかせいだものだ。このほかスライダーも威力がある。
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前岡勤也

2016-05-29 17:19:16 | 日記
1955年

高校野球随一の大物投手としてプロ野球各球団が懸命な獲得工作を続け、その去就が注目されていた新宮高校前岡勤也投手(18)はこのほどセ・リーグ、阪神タイガースと正式に契約を行い、近く球団と本人から共同発表されることになった。

前岡投手談 中学時代から阪神ファンでしたし、前から真田さんに個人的なコーチを受けましたので、はじめからプロ入りするならタイガースと決めていました。幸い古角監督も、両親も私の意思を尊重して下さったので、あこがれのタイガース入団を決めたわけです。

二十七年の三重県中学大会に亀山中のエースとして優勝したのが古角監督の目にとまり新宮高へ入学、この時姓を井崎から前岡に改めた。同年秋の県大会に優勝したのをはじめ、二十八年春夏、今夏の甲子園大会に出場したが熊本工、中京商に惜敗。六尺、十八貫五百の巨体を利した左腕からの快速球と大きなドロップは超高校級の威力を持ち1試合平均15近い三振奪取記録を誇り今夏のハワイ遠征にもエースとして参加。打撃も四番打者の真責を果した強打者である。
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柄崎英樹

2016-05-29 09:38:38 | 日記
1960年

東都大学リーグ切ってのスラッガーとして去就を注目されていた日大の柄崎英樹左翼手(22)の大洋ホエールズ入団が正式に決った。大型化をめざす大洋はかねてから東京六大学、東都六大学をはじめノンプロ、高校などあらゆるところに補強の手を伸ばしていたが、三原監督の用兵よろしきを得て奇跡の初優勝をとげたのがチームの大きな魅力となり、スカウト合戦でも着々結果を収めている。柄崎選手の入団決定はさきに発表された大崎投手(平安)につぐクリーンヒット。三原監督が直接乗りだしたのが、この成功をもたらしたものとみられる。柄崎選手はまだリーグ戦が残っているので正式契約をかわすにはいたっていないが「大洋入りを決めた」と十月三十一日夜、東京都桜上水の日大合宿所で入団を明らかにした。

柄崎選手の話 大洋入りをはっきり決めました。夏ごろまでは八幡製鉄あたりに就職したいと思っていたが、好きな野球に命をかけるのもひとつの人生の行き方だと考え、プロ入りにふみ切った。大洋を選んだのは大洋がもっとも自分の力に達し、自分の力を生かしてくれるチームだと思うからだ。三原監督のすばらしさも魅力のひとつだ。プロの水が甘くないことは知っている。しかし十分やっていける自信は持っている。

三原監督の話 きょうゲーム前に柄崎君の親父さんがわざわざ会いにきてくれ、よろしくとたのまれた。リーグ戦が終わりしだい契約することになっている。わたしもこの目でプレーをみたが力のあるいい選手だ。ものになるだろう。

戸畑高校から日大に進学、二年のときからレギュラー・メンバーに加わった。現在日大のキャプテン。足がはやく、しかもロングヒッターで、昨年大洋入りした黒木弟とコンビを組んで日大の大きな得点源となっていた。ずっとトップを打ち春は0・254の打率で15位に甘んじていたが7盗塁を記録、プロにはうってつけの大型一番打者。大きくすくいあげるバッティングは豪快。秋は第6週現在0・386の高打率を示し、シーズンなかばから大洋田村スカウトが目をつけ三原監督でダメ押しして獲得に成功した。西鉄の村山投手と高校では同期。大洋渡辺、西鉄滝内両選手が高校の先輩にあたる。身長1㍍77、体重75㌔、経済学部四年生。右投げ右打ち。
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