プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

古賀正明

2024-09-26 13:29:21 | 日記
1976年
パリーグ、新人王の最短距離にいる太平洋クラブ・ライオンズの古賀正明投手は、二十七歳のルーキーである。古賀投手といえば、一昨年、阪神にドラフト1位に指名されながら「契約金が安すぎる」のすったもんだのあげく、「そんなサラリーマン的選手はいらない」と、めったにない球団からの交渉打ち切りを食らったことで知られている。プロ入りの感想も「ノンプロの方がキツイ。午前は仕事、午後野球といっても、仕事が主になりますから、精神的に疲れる。その点、プロは野球だけやっていればよい」目下、八勝十敗(八月三十日現在)。新人王の声が高いが、「水ものですから、シーズンが終わってみないと・・・なにしろ、前期はたった二勝だったので、いつ勝ち星がストップするか予測がつきませんからね」女房役の西沢正次捕手の評価は「コントロールがよいので受け易いピッチャーだ。ただ、キャリア不足なのか、早く終わらせたいのか、終盤になると、ストライクが先行するので、こんな時は打たれる。でも、十勝はいくんじゃないの」鬼頭政一監督がスカウト部長の時に交渉した選手だけに、監督の信頼度は高い。鬼頭監督いわく、「安定した職を捨ててきただけあって心構えが違う。グイグイ押すタイプではないが、アウトコースのスライダーは抜群。前期の不振はキャリア不足なのに、抑えで使ったからだ。初めから先発で使っていたら、もう二つか、三つは勝っていた」プロ根性は十分。古賀投手の自己採点は「入団する前、先輩に五つ勝てば上出来といわれたので、出来すぎ。でも、よくホームランを打たれるので気をつけないと・・・」新人王ー契約更改で倍額アップといきますか、どうか。

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王と同世代退団選手のその後

2024-09-25 21:42:39 | 日記
1980年
巨人

上野新(福岡工高) 投 楠本玩具
伊藤芳明(中大) 投 巨人軍コーチ
藤本健作(三原高) 投
黒田能弘(北見北斗高) 投 プロゴルファー
高野初司(三次高) 投 石油スタンド経営
西野忠臣(忠海高) 投 競輪選手
塩原明(松商学園) 内 会社員
古賀寅男(岩谷堂高) 投 アルミ加工業
那須静雄(福岡工高) 内 病院勤務

阪神

柴山宗守(関学) 投 メッキ業
村山実(関大) 投 日本テレビ解説者
森光正吉(高知商) 投 不動産
岩間章泰(神戸高)投
古川啓三(法大) 捕 映画館経営
谷車明 (近畿大) 捕
高井良一男(下関商工) 内 鮮魚会社勤務

国鉄

巽一(慶大) 投 ヤクルトコーチ
北川芳男(佐原一高) 投 婦人服「山本」
横山守(岐阜工) 投 建材業
中村修一郎(松商学園) 内 原色版商事
渡辺稔(大宮高) 内 鈴木自動車専務
赤木健一(慶大) 外 メリヤス卸・赤木商店経営

中日
河村保彦(多治見工) 投 野球評論家
板東英二(徳島商) 投 タレント、野球解説
伊藤竜彦(中京商) 投 近鉄スカウト
成田秀秋(熊本工) 投 大成設備社長
水谷伸久(愛知商) 投 中日スカウト
浦西美治(伊都高)投 森下建設取締役
片岡宏雄(立大) 捕 ヤクルトスカウト
江藤慎一(熊本商) 捕 元ロッテコーチ、野球指導
小林英幸(帝京高)内 室内装飾会社勤務
杉本茂(享栄商) 内 全日本検教協会
横山昌弘(明大) 外 中日調査役

大洋
富田孝佳(海南高) 投 徳島クボタ
土橋敏明(伊都高) 投 食料品店経営
中沢信一(甲府商) 投 会社員
高松延治(報徳高) 捕 大洋スカウト
橋本勝磨(甲府商) 捕 橋本建設社長
桑田武(中大) 内 会社員
麻生実男(盈進高) 内 会社員
島田幸雄(法大) 内
尾崎靖夫(高知高) 内 大洋スカウト
近藤晴彦(早大) 外 藤電器取締役
金光秀憲(関学大) 外 

広島
井洋雄(濟々黌高) 投 縫製業
神垣雅昭(近畿大) 投
滝村修平(国泰寺高) 投 二葉商事(海運会社)
大石清(清水商高) 投 広島コーチ
大羽進(日大一高) 投 大羽化学役員
鴨志田仙(茨城高) 投 専売公社
宣山明(宇部商) 投
金沢秀彦(広島) 投 金沢運輸経営
別所真三(勝山中) 投
森圭二郎 (享栄商) 捕 会社員
上田利治(関大) 捕 阪急監督
土井文雄(松阪商) 捕 松阪東海ゴム
興津達雄(専大) 内 下水道工事
佐々木有三(益田産高) 内 日立運輸東京モノレール
斎藤達雄(静清工) 内

大毎

上条皇裕(足立高) 投 自由業
菅原紀元(東洋商) 投 不動産会社
花本和夫(都留高) 投 建築業
佐藤三男(東北高) 内 三平興業

近鉄

近藤三明(水戸農) 投 薬品会社
福原勝(益田産高) 投 ダスキン
久保征弘(港高) 投 阪神スカウト
江渡辰郎(尼崎高) 投 そば屋経営
井上志津馬(伊万里高) 投 ペンテル福岡支店
宮谷一雄(滝川高) 投 大谷組
河野安男(水戸農) 内 ゴルフショップ経営
辻村亘(同大) 外 菊水テープ取締役
佐々木隼人(宮古水産) 外 宮古信用金庫

東映

森稔(築上西高) 投 レストラン経営
河原田明(早実) 投 ロッテトレーナー
内田哲(聖学院高) 投
横尾弘氏(山形商) 投 給食センター経営
松本俊一(久留米商) 内
張本勲(浪華商) 内 ロッテ
黒崎武(桐生高) 内 矢萩工業桐生工場長

西鉄

田中喜八郎(津久見高) 投 大分鋼油
高野統(国分高) 投 故人
玉井英紀(今治西高) 投 レストラン経営
田中清美(田代中) 投 うなぎ屋経営
村上福男(今治西高) 捕 日立造船
小川康雄(東北高) 捕
菊池秀之(東北高) 内 菊昭電化社長
吉田孝(大濠高) 外 西鉄バス

南海

田中俊幸(下関商) 投 セ・リーグ審判
村上公一(西淀中) 投
長尾辰雄(日田高) 捕 マージャン屋経営
月岡伝男(松山商) 内

阪急

安藤治久(沼津市高) 投 レストラン経営
足立光宏(大阪西高) 投 阪急コーチ
大塚祐司(米子工) 投 王子製紙米子工場
西田幸雄(熊本工) 捕 故人
松並和視(高知高) 
宮原一喜(熊本工) 内 ゴム販売
藤木孝二(三池高) 内 元電機化学会社勤務
矢野清(八幡浜高) 外 阪急ブレーブススカウト
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藤野隆司

2024-09-25 21:33:43 | 日記
1960年
投手は参加が内定している新人藤野(平安)が外角低目の速球アウドロ、シュートとよい制球力をみせて一段のできばえ。「スピードはないが制球力をもっている投手だ。うまい」という選手の評判だ。藤野は「ひじが痛いので思い切って投げられないが、まん中には絶対投げない。もっとやれます」と自信ありげだった。

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加藤力雄

2024-09-25 21:14:26 | 日記
1959年
中日ドラゴンズは六日午後三時から名古屋市中区西川端町の球団事務所で中京大準硬式野球部加藤力雄投手(22)の入団を発表した。同選手は身長1㍍74、体重67・5㌔、右投右打。松陰高では二塁手をしていた。中京大の一年からエースとして活躍。四年生まで公式戦にはわずか1敗しただけで、この間東海大学準硬式リーグ戦に八連パ、全国大学選抜大会、東日本大学選手権などに優勝する原動力となった。また打力は四番で通算打率3割、ベースランニングも14秒台という俊足の持ち主。球団側では第二の土橋と大いに期待している。


加藤選手の話 硬式は初めてだが、ボールを持った感じはあまり変らない。一生懸命やって一日も早くマウンドに立ちたい。


平岩代表の話 変化球を持っているが、それより本格派としての素質が大きい魅力だ。軟式から転向した投手でも内藤(元広島、現審判)や土橋(東映)など成功している。努力次第ではすばらしい投手になるだろう。


1960年


八回には加藤(中京大出)を起用した。今季入団の新人で、軟式野球出身という変わり種だが、コントロールもよく、スピードもあって、そのプレート度胸のよさとともに、こんごが期待できそうなピッチングだった。

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原田亨

2024-09-25 21:02:57 | 日記
1960年

オープン戦初登板の原田亨が五回まで南海を無得点に押え、初の勝利投手となった。大きなモーションから投げる速球が武器。この日は大きなカーブが低く落ちすぎたが、シュートに南海打者は手を出して肝心なところでつけ込めなかった。原田が投手に転向したのは昨年のシーズン始まって間もなくのことだ。野手としての強肩、それに人一倍長い指の持ち主という特徴を杉下監督に見込まれたもの。昨年は二軍戦でときおり好投、平和台では西鉄をシャットアウト勝ちしたこともある。しかしまだ気分的に投手への転向にふんぎりがつかず悩んでいた一人である。ことしの別府キャンプでは投手としての練習にすべてをかけていた。ゲームが終わってカーブが少し悪かったのでシュートを多く投げた。カーブを多く投げていたら、もっと打たれていたでしょう。これでキャンプいらい努力してきたかいがあった。投球で勉強することはまだいっぱいあります。これからですよと目を輝かせていた。いますぐ大きく期待するのは無理だろうが、投手としての原田の前途には、やっと希望がみえてきたようだ。


昨年のシーズン途中から投手に転向した原田亨はまだまだにわか仕立ての域を出ていない。カーブの幅は相当大きいが、角度がない。ストレートも快速球という形容詞をつけるほど速くない。コントロールを条件にして、とりえはインシュートであろう。肉体的な条件ではいたって恵まれていてフォームも柔らかいが、ボディースイングがかなり大きいから、走者に乗ぜられやすく、捕手泣かせになりかねない。もっとも高校時代に多少の経験があるというなら話は別だが、ずぶのしろうとに近い内野手が一年そこそこでまともなピッチングができるはずがない。プロのバッティングはそれほど甘くないはずだ。すぐれた素質を持ちながら、五年、六年とプレート上で苦しみ、精進努力しながら、なおかつピッチングの実体がつかめない人が少なくない。原田亨のピッチングをことさら酷評する気持ちは毛頭ない。ただピッチングの奥は深いということを心に刻んでほしい。南海打線が原田亨を打てなかったのは引きつけが足りなかったからだ。

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城友博

2024-09-16 12:07:25 | 日記
2004年
城さんは99年に現役引退後東京都内でイタリア料理店を経営。人材派遣会社キャリアプロモーションの小川隆司代表と知り合ったのをきっかけに店を閉めて昨夏入社。城の誘いで昨年引退した元ヤクルトの衣川幸夫さん(29)元日本ハムの生駒雅紀さん(29)元ロッテの黒木純司さん(30)と山本保司さん(32)の元プロが今年1月に入社。特徴は就職先を紹介する前に研修を行い、人材育成を図ること。

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西村省三

2024-09-16 12:02:56 | 日記
1967年
六年間という長い間胸の中に描きつづけた初勝利だけに、西村はこみ上げるものがノドをつまらせ、何を聞いてもただうなづくだけ。やがて「最近調子がよい。スライダーをおぼえたので、公式戦へ出られるようになった」といった声は、聞き取りにくいほど小さかった。西村が南海入りしたのは三十六年の六月。三十八年にアメリカへ野球留学したほど、金の卵とみられていたが、直球がスピード不足のため、二軍生活にあまんじていた。今シーズンは南海投手陣不振のためにリリーフやつなぎ役として登板しているうちに認められ、初先発の十五日の対西鉄戦では8イニング2/3投げ、西鉄を2安打無失点に押えた。

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渡辺孝博

2024-09-14 11:14:54 | 日記
1971年
渡辺は二十五歳、東海大学卒業のときに大洋の指名をけり、考え抜いた末のヤクルト入り「ここ二年のノンプロの実績から自分でプロのレベルに達したと判断してプロ入りに踏み切った」と社会人三年生らしく足下を見つめた抱負。紺のスーツに同系色のタイ。あくまで落ち着いた物腰だ。ノンプロの通算が22勝6敗「なんでも投げられます」というとおり、サイドから直球、カーブ、スライダー、シュートと多彩な球種が持ち味。「勝負ダマは?」の質問に「…」とノーコメント。徳永代表の「それは極秘だなあ」という助太刀を待つまでのタイミングを心得て、あとは笑いでごまかしてしまう、なかなか頭脳的ピッチングを身上とする渡辺らしいところを見せていた。

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西村省三

2024-09-14 11:13:09 | 日記
1967年


長い下積み生活だった。三十六年近大二年中退して南海へ入団。三十八年素質を認められ村上、田中とアメリカ留学もしたが、芽はなかなかふき出さなかった。今シーズンもウエスタン・リーグのエース。まじめな性格が黙々と暑い太陽のもとでハダを焼かせていた。前半戦最後の七月二十二日、対阪急戦にプロ入り初登板。さわがれて入団した西村がやっと六年目で一軍のマウンドをふんだときだ。過去のプライドもなにもかもかなぐりしてた毎日を送っていた西村の「一軍で投げられ、こんなうれしいことはない」のひとことにほんとうの実感がこもっていた。うれしいのだろう、マウンドをおりて野村と握手したときから目が赤くうるんできた。鶴岡監督に「よくやった」といわれると、肩にかけたタオルをさかんに目にもっていった。そして「野村さんのミットをめがけて投げただけです」といったときはもう涙が遠慮なくほおをつたわって出る。野村は「十五日の西鉄戦(八回三分の二まで二安打)のときより悪かった。だが不安がなかった。カーブとストレートのコンビネーションがうまくいき、張本、大杉をストレートで三振にとれた。やっと西村も本物になってきたな」と自分もうれしさをかくせないのだろう、いつも無口の野村にしては珍しくよくしゃべる。張本、大杉の三振を西村はフォークボールといった。喜びが涙となってしゃくりあげるたびにインタビューが途切れる。「西村がよく投げた。だがバックの援護も大きい。まだまだや」口ではきついことをいっている鶴岡監督も内心はうれしさでいっぱいなのだろう。ロッカーからバスまでの間、笑顔がそれを物語っていた。南海の投手陣は苦しい。三浦の肩の故障がいつ直るかわからない。渡辺も原因不明の不調。たよれるのは皆川、合田。そこへ西村が脚光。自然とほおをゆるめるのも当然だ。先日大阪球場の練習で「ニシ(西村)たよれるのはオマエだけやからな。しっかりせいよ」と鶴岡監督がいったのはこのことを予想していたのかもしれない。「第二の合田になってくれれば・・・」との願いが実現しつつある。だが中上氏は「こじんまりした投手。コントロールはいいがカーブ、シュートに威力がない。若ものらしい荒さがもっとほしい。常に肩の力を抜いてスナップ主体のリラックスなフォームになれば、もっとよくなるんだが」と注文をつけている。エース・ナンバー18をぐっしょり汗ににじませバスにのった西村。いっせいに拍手で迎えられ、生まじめに入り口で一礼した。

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氏家雅之

2024-09-12 22:05:21 | 日記
1970年
氏家は無名ながら未完の大器といわれた。学生服に運動グツをはき、いかにも高校生スタイル。容ぼうも、あどけなさがやけに目立った。記者会見で報道陣の後ろからのぞき込んでいた父親充夫さん=新日鉄名古屋勤務=母親よしいさんがいかにも心配そうだったのが印象的。「若い投手がまたはいりました。地元ということでなく、十分期待出来る投手です」小川球団社長のことばを神妙に聞いていた氏家。心境を聞かれ「気持ちが非常に楽になりました。気持ちの整理が出来たからです」と顔つきとは違い、ハキハキと答えた。ドラフト会議第一位指名、十二選手の中ではもっとも無名の選手。甲子園大会どころか、中部大会にも出場したことがなく、最高の成績が今春の愛知県大会で準決勝進出というから無理もない。「春の中部地区予選で名門中京と当たって、ロッテの一位に指名された樋江井と互角に投げ合うピッチング内容。フォームが安定しており、将来性は樋江井以上と思った。未完成ではあるが、将来中日を背負って立つ大型投手になると思う」山崎スカウトは氏家を見出したいきさつをこまごまと説明していたが、その語調は自信たっぷりだった。無理のないフォームからのスピードボールは高校生離れしているといわれる。カーブがまだ覚えたてだという未完成さも魅力の一つといわれている。「中日のゲームは夏の大会が終わった後二試合見ましたが、非常に明るいチームだと思いました。とにかく期待されているので一日も早く第一線に出たいと思います」と氏家はきっぱりいい切っていた。「小さいときからほしいと思ったものはどんなことがあっても自分のものにしないかれば承知しない子でした」母親よしいさんはわが子を頼もしそうにながめていたが、無名の選手ほど大成するといわれる中日だけに若い星への期待も大きい。

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バール・スノー

2024-09-12 21:53:37 | 日記
1974年
日ハムは二十六日午後四時から東京・六本木の球団事務所で三原球団社長、中西監督が立ち会い、ローレンス・バレット・スノー投手(29)=183㌢、86.5㌔、右投げ右打ち、ユタ州立大卒=の入団を発表した。同投手は元ニューヨーク・メッツのアウバーン球団(A級)に所属したことがあるが、その後の交通事故で左足を骨折、好きな野球が断念できず日ハムのテストを受け合格したもの。なお球団登録名はニックネームからバール投手となる。背番号は18。ビールの酔いも手伝ってか三原球団社長のほれ込みようは大変。「アメリカでの球歴はやや不足かとも思いますが要は実力です。最低でも10勝、私が保証しますよ」一度は口先から20勝が飛び出して報道陣をギョッとさせたが、そこは魔術師で鳴らした三原社長。「だれがそんなことをいいました。あんたたちの耳がおかしいんですよ」でチョン。もちろん三原球団社長、中西監督は第二のバッキーとして期待。「スピードもあるしカーブ、スライダーもいい。二週間くらいかけて体づくりをすればローテーション入りできるのでは…」投手陣が手薄なだけにバール投手にすがりたいわけだろう。気になるのはバール投手の球歴。ユタ州立大学卒業後の1966年メッツのファーム、アウバーン球団(A級)で6試合に登板、そこで1勝2敗。翌1967年もインデアンスのA級チームで13試合に登板して1勝3敗ーこれがすべて。プロ野球最低ランクのA級で2勝しただけ。おまけに1964年に交通事故で左足を骨折。それで大リーガーの夢をあきらめた」というから球歴はお粗末すぎる。1968年以降はユタ州テクニクス大学の野球コーチをつとめてきたというから、なおさら?マークがつく。「とにかく15勝を目標にがんばり抜く。15勝すればどんな球団でも満足してくれるはずだから…」とバール投手。背番号18のエース番号を手に夢がかなってニコニコ顔だった。

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伊勢孝夫

2024-09-10 18:49:08 | 日記
1962年


投手は伊勢一人だが、スタミナは十分。1・8メートル近い長身から投げおろす速球はなかなか鋭く、一試合平均八・九個の三振を取るという。
伊勢投手の速球と大きく割れるカーブに手こずり、追加得点できなかったが…


前評判どおり、三田伊勢投手は速球とドロップをまぜた好投で津名打線を封じ、毎回三振の計15個を奪って三塁を踏ませなかった。

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石黒和弘

2024-09-07 12:19:35 | 日記
1971年退団時


中京高、慶大と進んでオリオンズで活躍した石黒和弘(ロ)は選手時代から運送関係の事業を手がけ、これに本腰を入れるという。

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藤原真

2024-09-06 13:44:41 | 日記
1969年
アトムズはその後も藤原が二、四回にタイムリーして加点、六回も藤原の3本目の安打に武上が続いて大きくリードした。藤原は快調なバッティングに歩調を合わせてスライダーとタイミングをはずすカーブの配合がよく小気味よいピッチング。五回二死満塁で江藤兄をむかえたが、1-2からカーブで左飛に打ちとり、八回2安打と失策、犠飛で2点を与え、完封は逃したものの、アトムズの完投第一号。セリーグでも新人投手の完投一番乗りで2勝目をあげた。

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吉良修一

2024-09-02 20:42:22 | 日記
1967年


吉良は三振を倉敷工から12、岐阜商から13、計25も奪い、カーブ、ドロップの決めダマをぞんぶんに生かして成功している。

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