1972年
プロ入り拒否宣言で注目を集めていた新美敏投手(日本楽器)に対する本格的な説得交渉に乗り出した東映は十五日、田宮監督、瓜生スカウトが空路熊本入り、浜松市から宇土市古保里町の実家に帰ったばかりの新美投手を訪れ父文雄さん(44)母操さん(44)を交えて午後三時半から入団交渉に当たった。同投手は「東映は一番きらいな球団」と拒絶反応を示していたが、この日の約二時間にわたる話し合いはなごやかなふん囲気で進み、田宮監督が「東映は投手力が弱いのでぜひ手を貸して欲しい」と説得、これに対し新美投手も「監督さんがボクの力を認めてくれたのはうれしい。プロで一度やりたいと思っていた。これから両親や会社の監督とよく相談して決めます」と意外にも初顔合わせで色よい返事をみせ、ほぼ東映入りに傾いた。田宮監督は飛行機でトンボ返りというあわただしさだったが「球団の誠意を見せたつもりだ。本人も分かってもらえたようだ」と思わぬ手ごたえにすっかり自信をつけたようだった。
プロ入り拒否宣言で注目を集めていた新美敏投手(日本楽器)に対する本格的な説得交渉に乗り出した東映は十五日、田宮監督、瓜生スカウトが空路熊本入り、浜松市から宇土市古保里町の実家に帰ったばかりの新美投手を訪れ父文雄さん(44)母操さん(44)を交えて午後三時半から入団交渉に当たった。同投手は「東映は一番きらいな球団」と拒絶反応を示していたが、この日の約二時間にわたる話し合いはなごやかなふん囲気で進み、田宮監督が「東映は投手力が弱いのでぜひ手を貸して欲しい」と説得、これに対し新美投手も「監督さんがボクの力を認めてくれたのはうれしい。プロで一度やりたいと思っていた。これから両親や会社の監督とよく相談して決めます」と意外にも初顔合わせで色よい返事をみせ、ほぼ東映入りに傾いた。田宮監督は飛行機でトンボ返りというあわただしさだったが「球団の誠意を見せたつもりだ。本人も分かってもらえたようだ」と思わぬ手ごたえにすっかり自信をつけたようだった。