プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

スミス

2018-01-15 22:15:26 | 日記
1972年

「あるいは、投打の二刀流でいけるのではないか」と野村監督が期待していたスミス。来日直後の打撃練習やスローイングで判断した限りでは「やはり投手としては無理やな。あのスローイングは、どうみても投手のカタチになっていない」(野村監督)と、外人初の投打二刀流は諦めかけられていたが、気候がよくなって、日本の野球にも馴れてきたスミスのスローイング、いつの間にか本格的なものになっていた。「どんなものか一度投げさせてみようや」との野村監督の発案で、ブルペンに連れていかれたスミスは、野村監督や新山コーチの目の前で、約50球のピッチングを披露した。かつて、南海投手陣の柱だったスタンカのような凄味はないが、左投手特有の右打者の内角に食いこむようなストレートは、かなりの威力があり、カーブ、シュート、フォークと変化球も多彩。このタマを直接受けた鈴木コーチは「コントロールがいいし、タマの切れも文句なし」と、保証した。本格的なピッチング練習をやっていないので、長い投球回数は無理としても、短かいイニングなら、十分にやれそうなメハナがついた。「ワンポイントなら十分いける。早速使うことにするかと野村監督も期待をかけている」合格点をとった外人初の二刀流、南海に、新しい呼びものが生まれた。
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野口勝治

2018-01-15 22:06:49 | 日記
1962年

中日ではこのほどノンプロ明電舎の野口勝治投手(23)=1㍍72、71㌔、右投右打、作新学院出=島野育夫外野手(18)=1㍍77、75㌔、右投右打、作新学院出=の入団を内定した。正式契約は二十五日ごろ。野口、島野選手ともさる七日、中日球場でのテストに合格したもの。野口投手はからだの小さいわりにスピードがあり、ドロップが武器、また島野外野手は作新時代からシャープなバッティングで強肩。中日では投手をやらせる予定。
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