1965年
安部はリリーフを命じられると「さあ、また恥をかきにゆくか」と言い残してマウンドに向かった。だが恥をかくどころか、第三戦であれだけ打った巨人打者をあざやかに料理していった。八回まで三人ずつ、得意の落ちるタマがまるで生きもののようにミットに収まった。九回福田を三振させて引き揚げてくると、稲尾が肩ならしのキャッチボールの相手を買って出た。181㌢と長身だが、稲尾ほど肉の厚みはない。だが言うことはベテラン並みに落ち着いている。「九回打たれたけど、別にこわくなかった。巨人にはもう代打がいないしね。ボクとしては福田より柳田のほうがイヤだったけれどな」-登板するとき第二戦で打ち込まれたことは頭になかったか。「考えたってはじまらんでしょう。くよくよしても負けが勝ちになって返ってくるわけじゃなし」そして自分でくよくよしない性格とはっきりいう。ことしで入団四年目。二年目に肩を痛めてから落ちるタマに取り組んだ。肩を痛めてから、すっかりコントロールがよくなったという福転じて福とした典型ともいえる。今シーズンもオールスター・ゲームの前にヒジを痛めているからけがには縁が深い選手だ。昨年まではもっぱらファームで投げており、プロ入り初勝利は昨年の対大毎戦でマークした。「第二戦を3点のできとすると、きょうは満点ですね。タマが低めにいったからね。シュート、スライダーがよかった」-落ちるタマは・・・と、ミズを向けると「みなさん落ちるというけど、そんなに落ちないのじゃないのかな」ととぼけるあたりなかなかずぶとい。-でも、長島がものすごく落ちるといっているよ。「五回の投ゴロ、あれは自分でも落ちたと思った」と最後には本音をもらした。ファームの同僚神原捕手は「口かずは少ないけど、なかなかすてきなところがありますよ。ピッチャーにはうってつけの性格ですね」といっている。昭和十四年生まれの二十四歳。