プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

吹田俊明

2018-01-06 23:16:41 | 日記
1962年

32 吹田俊明投手

右投右打 180cm、78kg 昭12.6.9

富田林高ー近鉄ー天鉄ー国鉄(37年)
合宿

近鉄時代、上手投げの快速球を嘱目されたが単調だった。ノンプロで一年苦労したのがどう実るか。武器は速球と外角へのスライダーだが、今季は落ちる球を身につけたいといっている。
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楢崎量

2018-01-06 21:40:27 | 日記
1962年

53 楢崎量投手・・・投手 左投左打、175㌢、69㌔、昭和14年9月11日
若狭高ー大洋(33年)
合宿

いいシュートボールをもっているのだが、スタミナがないために一軍のマウンドをふめないでいる。もっぱらバッティング・ピッチャーを務めているが、昨シーズンからスコアラーとしてベンチに座っている。
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安部和春

2018-01-06 20:25:02 | 日記
1965年

安部はリリーフを命じられると「さあ、また恥をかきにゆくか」と言い残してマウンドに向かった。だが恥をかくどころか、第三戦であれだけ打った巨人打者をあざやかに料理していった。八回まで三人ずつ、得意の落ちるタマがまるで生きもののようにミットに収まった。九回福田を三振させて引き揚げてくると、稲尾が肩ならしのキャッチボールの相手を買って出た。181㌢と長身だが、稲尾ほど肉の厚みはない。だが言うことはベテラン並みに落ち着いている。「九回打たれたけど、別にこわくなかった。巨人にはもう代打がいないしね。ボクとしては福田より柳田のほうがイヤだったけれどな」-登板するとき第二戦で打ち込まれたことは頭になかったか。「考えたってはじまらんでしょう。くよくよしても負けが勝ちになって返ってくるわけじゃなし」そして自分でくよくよしない性格とはっきりいう。ことしで入団四年目。二年目に肩を痛めてから落ちるタマに取り組んだ。肩を痛めてから、すっかりコントロールがよくなったという福転じて福とした典型ともいえる。今シーズンもオールスター・ゲームの前にヒジを痛めているからけがには縁が深い選手だ。昨年まではもっぱらファームで投げており、プロ入り初勝利は昨年の対大毎戦でマークした。「第二戦を3点のできとすると、きょうは満点ですね。タマが低めにいったからね。シュート、スライダーがよかった」-落ちるタマは・・・と、ミズを向けると「みなさん落ちるというけど、そんなに落ちないのじゃないのかな」ととぼけるあたりなかなかずぶとい。-でも、長島がものすごく落ちるといっているよ。「五回の投ゴロ、あれは自分でも落ちたと思った」と最後には本音をもらした。ファームの同僚神原捕手は「口かずは少ないけど、なかなかすてきなところがありますよ。ピッチャーにはうってつけの性格ですね」といっている。昭和十四年生まれの二十四歳。
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山田正雄

2018-01-06 19:24:34 | 日記
1963年

大毎のファームは、イースタン・リーグで、18勝10敗1分、勝率・638の高成績で首位を独走している。(七月九日現在)肝心な一軍はようやく最下位を脱出したものの、五位の座にいまだ甘んじているという低調さに比べ、ファームの活躍は、目をみはらせるものがある。打撃では、石谷を筆頭に、大坂、山田などが、いずれも高打率をマークして、首位の座を安泰させている。投手陣では、妻島、押田、辻野らが、ともに投手10傑に顔をだす活躍ぶりだ。そのファームの中で、とくに三宅コーチが、山田正雄外野手を推せんする。山田は1㍍79、74㌔という恵まれた体からの力強いバッティングは、榎本、田宮のように功打者の感じを与える。ベース・ランニングをやらせると、一軍の連中にも決してひけをとらぬという。それは都会の野球?で習得した、野球のずるさをもっているからだと、三宅コーチはいうのだ。さらに、「山田の攻走は、充分一軍で通用するものをもっているが、守備のほうで、外野手としての技術がまだ完全なものになっていない。これさえ完全なものになると、一軍へ喜んでやれるのだが」となかなか厳しく、山田を育てている。山田の、バッティングはミートするときに、上体が前にかかりすぎ、回転の軸が広くなりすぎる。この欠点を直そうと懸命になっている。根性のある選手だけに、それらの欠点を直し、一軍にあがる日も近いようだ。三宅コーチは、「二軍での練習で、打撃を自分のものにしろ」と強調する。小林、榎本につづく大物選手と期待されているのだ。
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迫田七郎

2018-01-06 14:31:27 | 日記
1965年

「ローテーションに確実にはいる投手が五人いる」と真田コーチはいう。小山、坂井、妻島、西そして迫田である。さる十三日小野田での対大洋戦で迫田はすばらしいピッチングをした。4イニングス投げて被安打1。「あんないいピッチングされたらワシらが出る幕はないがな」と小山がいったほどすごい投球内容だった。癖ダマの持ち主である。直球は外角へいけばナチュラルにスライド、内角にはいるのは小さくシュートする。スピードも豊かだ。カーブはまず普通だが沈むタマがとりわけいい。本人は「シュート」というがシンカーの感じ。三十㌢ほど落ちているようにみえる。メガトン打線といわれる大洋もこのタマにはかすりもしなかった。中央球界には無名の鹿児島照国高の出身。高校を卒業すると大阪の板谷商店に勤め軟式野球をやっていた変わりダネ。野球選手の消息には地獄耳の青木スカウトが彼のうわさを聞きテストの結果採用した。入団一年目の昨年イースタン・リーグで12勝をあげ最優秀投手に選ばれた。シーズン後半一軍に昇格したが勝ち星なしの1敗だった。しかしこの公式戦での投球を見て真田コーチは「来シーズンは使えるぞ」と見通した。あこがれのハワイキャンプにも選ばれて参加した。ここまで自力でのし上がってきた。そしてことしから投手陣の一翼をになう。東京のホープといえばすぐ巨額の契約をもらって入団した山崎、井石とくるところだが、彼らの盛名よりもテスト生あがりの迫田の台頭の方がもっと価値がある。ホープにとり上げたゆえんだ。ベンチで迫田を捜した。背番号43はなかなか見つからない。中西投手にたずねてみると「どこにいるかわからん存在だがいいピッチャーですよ」とほめた。ハワイ焼けしたナインのなかでとりわけ黒い顔が迫田だった。ことしの目標を聞くと小さな声で「ローテーションにはいりたい」とボツリと答えた。これはもうOKだ。何勝したい?しばらくたってから「まず1勝」マウンド上では奔放大胆なピッチングをするのにふだんはこのように口数も少なくおとなしい。真田コーチは「完投能力もある。きっかけさえつかめば10勝や15勝はかせぐ」とみている。大いに期待される投手である。
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上田重夫

2018-01-06 12:51:00 | 日記
1962年

上田重夫投手 左投左打
178cm、73㌔ 昭和14年7月27日
田辺高ー大洋(36年)
合宿

昨年イースタン・リーグで1、2/3イニング投げ被安打2、四球3で防御率18.00という記録を残している。まだ伸び盛りの青年で体格もこれから出来上がっていくだろう。一軍登板はまだ先の話だ。

東映多摩川グラウンドで、東映対大洋のダブルヘッダーの4連戦が七月十三、四両日行われた。このカードは3勝3敗という対戦成績であったが、連日大洋のくりだす投手陣がよく投げ、3勝1敗と大洋は勝ち越した。これで対戦成績は大洋の6勝4敗となった。が、これでも最下位は脱出できなかった。この試合での成果について、大洋の沖山二軍コーチは、「このあいだまで投手をやっていた上田(重夫)のバッティングがいいので、外野にコンバートした。うちは左投手がいないので、はじめはだいぶん迷ったが、この試合で上田のコンバートは成功した。投手であっただけに選球眼がよく、素直なバッティングをしている。もっともランナーがいるとき信頼できるバッターであることを実証してくれた」と、ニコニコ顔でいった。選手一人一人の顔を見わたしながらつづけて、「辻(善之)が夏でも投げられる見とおしがついたことは大きい。コントロールはいいが、スタミナがないので夏場は弱かったのだ。この調子だと一軍へやってきてもリリーフで通用すると思う」と明るい見とおしのついたことを喜びながらいった。それに対し、1勝3敗と負け越した東映の桜井二軍監督は、「選手にやる気がないのでどうしようもないわ。きょうの尾崎の調子はまあまあだ。もう少し本人がやる気をだすとね」と敗戦の将は渋い顔であった。
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松本照夫

2018-01-06 10:48:45 | 日記
1965年

阪神、大洋相手のオープン戦三試合で、11イニングス投げ、被安打5、無失点というりっぱな戦績をあげた。阪急投手陣の中で一番のできばえ、西本監督も「最大の収穫は松本の成長だ」完全に使える見通しがついた。といっている。立大のエースだったが事情で中退、昨年プロ入りした。五月三十日の対近鉄戦に先発したのが初登板。スピードはあまりなかったがシュート、カーブ、それに落ちるタマを内外角にうまく散らし、堂々と久保とわたりあった。落ち着いたプレートさばきは、新人らしからぬ、と評された。失策がもとでピンチを招き、4回1/3で退いたが、まずは上々のデビューだった。ところがその後、左足首をねんざ、花を咲かさぬうちに一年を終った。オープン戦で好投した原因を松本は「直球に伸びが出てきたから」と説明する。事故で一年棒に振っただけに松本はことしにかけた。高知キャンプでは足腰を鍛えるのに重点を置いた。グラウンド背後の篠山に毎日駆け登った。ただタマにスピードをつけることだけ考えて・・・。179㌢の長身だがウエートは72㌔ととぼしい。見かけはヒ弱だ。けれども足腰さえしっかりしていればふんばりがきく。スピードも出てくる。もくもくと励んだ高知での訓練がいま実を結んだわけだ。きれいな上手投げ、コントロールはめっぽうよい。決めダマはシンカーだ。ほかに変化球を数種持っている。いわば技巧派である。いい変化球を持っていても、速いタマが一本あるとないとで、その効果は大きく違う。技巧派の松本が「速球にも自信をつけた」のだから心強い。色白で面長。めがねの奥の目もやさしそうだが、シンは強い。立大を中退したのも彼の向こう意欲の強さが原因のひとつだった。目標は「ローテーションにはいること」だが、これは好調なすべりだしと西本監督のことばから推して当然かなえられるに違いない。阪急投手陣はことしも米田、石井茂、梶本、足立の四本柱が主軸になる。ここへ第五の投手が出てくれば万全である。その最有力候補に松本がのしあがってきたわけだ。しかし彼にも一つ欠陥がある。左打者に弱いことだ。「大学時代から左は苦手だった」そうだ。この課題さえ解決すれば完全に、第五の投手になれるのだが・・・・。
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