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プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

古川明

2014-02-18 23:30:32 | 日記
1971年

古川は問矢と同じ二年生(銚子商)だが、こちらは投手として大洋のテストを受け失敗。ロッテは下手投げのバッティング投手として採用され、大沢二軍監督に見出されて三塁手に転向、一躍注目を集めてきたテスト生上りの有望株で、今では「一千万円積まれても手放せないよ」と大沢二軍監督からべた惚れされるほど。打率も三割一分一厘と合格点だが、なんといっても売り物は脚。これまで五試合連続盗塁を含め、前半戦に二十六盗塁。六月には合計十三盗塁をやるなどイースタンきっての走り屋で各チームのバッテリーを泣かせている。昨年の盗塁王山下(巨人)が三十三個、二位の吉岡(ロッテ)が二十六個だから新記録も時間の問題だろう。古川は「上位チームの時にやらなきゃ意味がない。巨人、ヤクルト戦で走りまくって今年は五十盗塁を目標に頑張ります」と大変なファイト。一軍のシーズン百三十試合に対してイースタンの方は、各チーム六十四試合だから古川のペースはとにかく凄い。年々小さくまとまった選手が多くなった中で、自分の武器をフルに生かす古川のような選手の台頭は一服の清涼剤というところだ。後半戦の活躍ぶりを特に注目したい。
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問矢福雄

2014-02-18 23:00:22 | 日記
1971年

イースタンもいよいよ後半戦。順位争いはますます激しくなりそうだが、どのチームもこれといった決め手がないだけに一試合一試合すべてが優勝に関係しそうな状況。チーム成績とは別に個人成績でも話題は豊富。筆頭はロッテ問矢(といや)一塁手兼外野手の三冠挑戦。目下、問矢は本塁打八、打点二十九でトップ。打率も三割六分九厘で首位打者阿部(巨人)に肉薄しており、後半戦の追い上げが見もの。東京二松学舎高からドラフト四位で入団して二年目。一メートル八十二、八四キロの巨体と金太郎さんのような風ぼうから「ベーブ、ベーブ」と呼ばれているが、気の弱いのが唯一の欠点といわれており、この辺が三冠獲得のカギになりそう。
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坪井新三郎

2014-02-18 22:51:31 | 日記
1970年

・・・ウエスタンリーグの首位打者坪井(PL学園ー富士製鉄名古屋)が、シーズン終了間ぎわの十日、大洋二十三回戦で高橋から左翼へプロ入り第一号ホーマーを記録した。この試合で先発島谷にかわって先発メンバーの七番三塁手。一失策こそ記録したが、ファイターらしいハッスルぶりだった。若返りをはかる水原中日にとってファームの首位打者坪井は来季のホープ。ファームの星である。坪井は今春テスト生として契約金ゼロで中日に入団した。百六十八センチ、六三キロとあまり目立たぬ体格だが、ファイトだけは人一倍あった。「闘志を燃やしながらぶつかるので好感が持てる」と、これまたファームからファイトでスターの座にのし上がった森下コーチがまず目をつけた。だが、ファイトだけでレギュラーの座を奪えるほどプロの水は甘くなかった。ファームでこそ好打率を上げ、五月下旬一軍入りのチャンスをつかんだものの、プロの壁にぶつかってまたファームへ逆戻り。「レベルが違います。投手のスピード、変化球、制球力、すべてが想像以上でした」と頭打ちして考え込んでいたものだ。それが規定打席数不足ながら、プロ野球始まって以来の野球規則特例の適用で首位打者となり、どうにかやれそうな自信がついた。「力いっぱいやった結果、タイトルは獲れたが、こんどはレギュラーへのチャンスをつかまなければ・・。その意味ではいまのチャンスをなんとしても生かしたい」プロ入り初ホーマーも出た。あとは秋季連取を通じ、水原中日の若返りに、石に齧りついてでも食い込もうとする坪井のファイトがものをいうだろう。
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矢部祐一

2014-02-18 22:38:54 | 日記
1970年

イースタン・リーグは第十六節を迎え、ロッテ、巨人、大洋の上位三チームが激しい首位攻防戦を展開中である。これに輪をかけて、打撃争いのほうも激しいせり合いが続いている。佐藤(大洋)後原(東映)矢部(巨人)吉岡悟(ロッテ)ら三割打者が打ちまくり、試合ごとに順位が変わっている。その中で特に光っているのが矢部。田村高ー常盤炭鉱から昨年入団した矢部は「長打力のある大型内野手」と期待を集め、かつての名手広岡(現広島コーチ)の背番号2を貰って話題を集めたが、一軍入りお出来ず、イースタンでも二割三分六厘(本塁打零、打点十一)と期待外れに終わった。今年は重すぎた背番号を上田にゆずって「57番」で再出発、六月上旬のロッテ二連戦で十打数五安打、続く大洋戦っでも四打数三安打、四打点とハッスル、現在三割三分二(ホーマー)でベストテン三位に食い込んでいる。「もともと、練習熱心な奴だから、努力の積み重ねで台頭してくるタイプ」(福田コーチ)という首脳陣の期待に応え始めたというところだ。矢部は「躰の動きがよくなってバットが振り切れるのがいいんでしょう。不安のあった守備のダッシュでも自信がつきました」と嬉しそうである。
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相川進

2014-02-18 21:40:19 | 日記
1970年

プロ入り六年目の相川がオープン戦で、すばらしい打棒をみせている。打率も三割を超え、ホームランも六本を記録するハッスルぶり。中日から移籍したのが二年前。その後、鳴かず飛ばずの成績で、一、二軍を往復する程度の選手だった。今年から三塁にコンバートされ松原、阿南と正位置争いを続けていたが、よくがんばって三塁のポジションを掌中にした感じである。せり合った三人の中では、一番守備が悪いといわれていた。それだけに三原監督の喜びようも大きい。「よく出てきましたね。パワーのある打者だから、調子に乗るとこわいほどの力を発揮する」といって喜んでいる。相川選手は酒好きで、私生活の面もかなりあれていたらしい。ところがいまでは節制をモットーにしているという変わりよう。先輩選手は「やはり、野球選手はうまくならないといけない。相川をみてみろよ」と口々にいうとおり、野球に欲が出てきたことが、相川の生活をかえてしまったようだ。技術が上達すると周囲の見る目も違ってくる。三月末、津と中日球場で中日と三連戦したときも、かつての同僚や先輩選手がその成長を喜んだ。そうして、中日球場では、小川、高木守らが、相川のモーレツバッティングを祝福してバットを進呈されて、「一生懸命やった甲斐があった。皆なにこんなに喜んでもらえるのだから・・」とただ感激の相川だった。しかし、オープン戦はあうまでも公式戦の序曲である。それだけに手放しでは喜べない。「問題は公式戦ですね。だけどオープン戦で、よく打った自信は本番でも生きると思う」混血児の相川は、青い目をメガネ越しに輝かせながら、ペナントレースに照準を合わせている。生活態度と仕事は、裏と表の関係にある・・。ことを実証した相川の今シーズンといえそうだ。
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半田実

2014-02-18 21:29:04 | 日記
1970年

公式戦開幕を目前に控えて、飛び出したヤング・パワーに、すっかり自信を深めたのが、近鉄と阪神である。以下オープン戦終盤での若い力の活躍ぶりを見てみよう。近鉄では、投手で二年目の半田。半田は昨年バッティング投手専門だったが、ウエスタン・リーグで、阪急のドラフト第一位山田に投げ勝ってから一躍注目された投手。延岡キャンプでメキメキと腕を上げ、一軍入りまであと一息のところまでこぎつけた。半田の真価が発揮されたのはオープン戦五試合目の対中日戦。若手選手中心のバックスで登板しながら、ベストメンバーの中日打線をシャットアウトする芸当をやってのけた。このプロ初完封は、武器のシュートがよく切れたからだが、「この好投により自身は大きく、昨年活躍した岡田の出遅れが目立つだけにうれしいことだ」と、首脳陣も新戦力として期待している。
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金富泰洋

2014-02-18 21:11:59 | 日記
1969年

金富投手は六年前に養成選手として入団。四年間は野球をやりながら中京商の定時制に通学。昨年ようやく卒業し、ことしから初めて登録選手になったという変わりダネ。今季、近鉄へ移籍した杉内野手と同じ長崎県五島列島の出身で、杉の後輩にあたる。高校では超特大のため、からだに合ったサイズの制服がなく、「特別注文でした」と笑っていた。
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梅村好彦

2014-02-18 21:04:31 | 日記
1969年

梅村は、今年の新人巨漢の中で、身長はともかく、体重のほうの適量は八十五キロ(現在10キロオーバー)でトップにある。なにせ、チーム内では外人トーマスにつぐウェートで、大きく見える野村を上回る体格だけに、そのパワーは大したものだが、なにしろ体が重いから走ることが大のニガ手で、チーム一のその鈍足は、韋駄天揃いの南海だけに特に目立つ。なにしろ、実家が京都で肉屋を営んでおり、スタミナ源に不足しなかったために現在のウェートになったとか。これまで大学時代はその体にものをいわせてきたが、プロに入ってからはかえって恵まれた体が邪魔をしている格好で「どうも体が大きいばかりではいけませんわ・・・」と、植村はスマートな選手を見るとうらやましそうな表情をみせている。
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伊東勇

2014-02-18 20:51:02 | 日記
1969年

九連敗のあと五連勝。どうやら御大中西の進退も問われずすんだがその二勝をチームへ貢献した新鋭投手伊東は、これでどうやら積年の不孝を父親に帳消しにしてもらえたというので大喜びである。というのも、この伊東、小学生のころから腕白、父親の畳職人になれというのも聞かず、三年前に西鉄のテストを、親に内緒で受けてパスしたいきさつもあって、三年やってダメなら、プロ野球から足を洗わされるところだったのだ。ところが、プロ入り初勝利をひっさげて帰ってきた伊東をみて父親祝三さんは、いままで不孝息子呼ばわりをストップ。「あの子は孝行息子ですタイ。いままで道楽息子とばっかり思っていたが、博多っ子らしく中西さんの苦しいときに役立つちゅうことをしでかしたとですケン、立派なものですタイ。これで近所への顔向けもできますタイ」地元チームの不振にヤキモキしていた博多っ子を喜ばせたのが、自分の息子とあれば、祝三さんが有頂天になるのは無理もない。「祖父の時から六十二年も畳職人という地味な商売をやってきたが、勇(伊東投手)が、晴れがましいことをやってくれたので家中がパッと明るくなりましたバイ」かつての不孝息子伊東も、オヤジさんをかくも喜ばせた十六日のロッテ戦の勝利を改めてかみしめている。そうして「父ちゃん、何かほうびに買ってくれよに、昔のように調子にのるなとはオヤジもいいませんでしたバイ」とニヤリ。
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高本昇一

2014-02-18 20:11:39 | 日記
1981年
・27、33・・・この男の背番号だけは日によってまちまちだ。サイズもピッタリといかない。活気あふれる阪急秋季練習の中でも一目見て違いがわかるほどだ。その男が高本と聞いて「ああ、あの高本」と思い出す人も多いだろう。
大阪・勝山高時代3年夏の府予選で3回戦で敗れたが、左腕と恵まれた素質が高く評価され、大洋にドラフト1位。育てるのに時間が必要の条件付きだったが、いってみれば鳴り物入りの大洋入団だったわけだ。が、そのヒノキ舞台からたった3年で、高本はプロの冷たい仕打ちを受けた。課題とされた制球力克服に一時は横手投げにフォーム矯正したこともあるが、3年間のファーム生活でもイースタン登板はたった1試合、それも1回3分の1を投げただけである。むろん、1軍のマウンドには1度も上がったことがない。「プロではまだ3年間しかやってないし、来年こそは・・・と思っていたんです。それが甘えといえばそれまでですが、やっぱりショックでした。今思い出しただけでも、腹立だしい限りです」プロ野球選手にとっては
「死刑宣告」と同じ「自由契約通告」高本のそれも、いかにも運命的だった。というのも10月中旬、高本は休みを利用して帰阪、高校時代のフォームを思い出そうと当時のビデオを合宿に持ち帰った。ここに、高本の心機一転の姿勢があったのだが、皮肉にもビデオを見ようとしたその日に、球団事務所に呼び出され、魔の通告を受けたのである。「故障はなかったし、この時まではあきらめがつかず、どこかで野球を続けていきたかった。その一心でした」途方に暮れた高本は、高校時代の恩師、野球部監督の門多和貴氏に相談、同氏の知り合いである阪急・片岡捕手を通じ、阪急のテスト生として秋季練習に参加することが決まった。3年前は大金を前に口説かれた「シンデレラ・ボーイ」が今度は180度転換して「私を買ってください」とばかりに売り込む毎日。勝負の世界では弱肉強食はあたりまえのことだが、高本はその悲哀をモロに受けている。181センチ、81キロの恵まれた体格。片岡を相手にした投球練習ではノビのある球がくるようになり、上田監督、梶本コーチの評価もウナギ上りだ。事実、「うまくいけば来年、ウチの秘密兵器になるかもしれん」という声も聞かれるほどだ。高本の自由契約が「古巣」大洋から正式発表されたのが10月29日。現在テストを受けている阪急からは、まだ正式採用の
「朗報」はないが、高本はかっての栄光はなく、再出発へ泥にまみれる、さみしい秋を過ごしている。
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大西譲治

2014-02-18 01:27:38 | 日記
1969年

カープの植村につぐ一メートル八六というノッポがドラゴンズに二人もいる。その名はまだスポーツ紙に載るほど知られていない大西譲治と金富泰洋で、いずれもピッチャーだ。ことしのキャンプが始まった頃、初めて大西投手を見た水原監督が、「スタルヒンがデビューした当時を思い出す。フォームもそっくりだ」といったことから、俄然注目されるようになった。大西をみて、水原監督が、故人となった、かつての同僚スタルヒンを思い出すのも無理はない。大西もスタルヒン同様に外人の血が流れていて、その容貌、背丈、体つきまで似ているからだ。父親を米人に持つ大西は、松山北校に在学中の三年前、中日が松山でキャンプを張っていた関係から、目をつけられていた。卒業してノンプロ河合楽器に一年間ほどつとめたあと、昨年入団して、ことしが二年目。昨年は入団早々、肩を痛め二軍生活をつづけたが、ことしのキャンプで、水原監督に認められたわけだ。それというのも、長身のおかげとスタルヒンに似ているということになるが、当の本人は、「スタルヒン投手の名前は訊いて知っているけど・・・」と大して興味のない口ぶりで、背丈のことも誇りにもしていなければ、別に気恥ずかしいとも考えていないようだ。まだ本当の欲が出ないのか・・、キャンプでせっかく注目されたのだが、やはりピッチングそのものが未完成品のため、ここ当分ファームで鍛えられることになった。この長身、当分の間は宝の持ち腐れといったところか。
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杉斉英

2014-02-18 00:28:46 | 日記
1969年

近鉄の杉斉英選手は、中日から相川と共に移籍してきた選手だがその俊足ぶりは今年話題の飯島(ロッテ)に優るとも劣らないといわれるほどである。なにしろ、三原監督が「シーズンに入ったら、ゲーム前のアトラクションに飯島と競争させてはどうか・・」というほどだから、その快脚ぶりが想像されるというものだ。「阪急に代走専門の山本さんがいるようにボクも何とか足を生かし今年のチーム力に貢献してみたい」こう語る杉だが、目下二軍暮らし。ヒマがあれば本堂二軍監督からスチールの手ほどきを教えられる一方、一軍のゲームを観戦しスチール学を目で勉強している。「先輩の安井さんのスタートと南海の広瀬さんの塁間のスピードは参考になりますね。飯島君はまだ見たことはないですが、やはり投手のケン制のクセを覚えるまでには時間がかかるのではないですか」簡単にいってのける杉はかくれた秘密兵器として今シーズン近鉄が起用するケースが多くなるかもしれない。長崎県・島原の中学を出て、中日ドラゴンズの養成選手として鍛えられ、ことしで二十一歳、一メートル八三の長身選手である。
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阿部良男

2014-02-18 00:12:15 | 日記
1969年

西鉄に誕生した若い力である。昨年ノンプロ常盤炭鉱から西鉄へ入団した新人だが、それほど脚光を浴びて入った選手ではない。自主トレ、キャンプと進むうち、この無名の新人は頭角を現しオープン戦では西鉄打線の尖兵としてトップを打つまでに成長した。無名といってもやはりバッティングは独特なものを持つ中距離打者だ。ノンプロ時代は同じ常盤炭鉱から巨人入りした矢部祐一と3、4番を組み都市対抗にも出場している。阿部にはデッカイ夢がある。西鉄第2の切り込み隊長だ。「プロの厳しさは想像以上です。でもこれに負けないファイトのある選手になりたい。技術的にはやはり変化球打ちをマスターしたい」と努力を続けている。無名から脚光を浴びるまでになった阿部。やはりただの無名選手ではない。野球人として非凡なものを感じる。
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