1969年
黒崎武。桐生高から昭和三十四年東映入り。四十二年まで在籍したベテランである。張本勲、毒島章一、それに巨人から移籍した坂崎一彦、池沢義行、山崎正之らにはばまれて定位置は獲得できなかった。が、一軍経験もじゅうぶんな長打力のある選手だ。四十三年のシーズン、黒崎は現役生活をあきらめて喫茶店を経営していた。グローバル・リーグのことを知り、現役復帰の希望をかけてはせ参じた。だが、一年間のブランクで体がすっかり太っている。あの肥満体をなんとかしないと、たとえ採用してもあとで苦労するだろう。森はだから、戦力として黒崎をじゅうぶん評価しながら、きょうのところ、わざと名を呼ばずにおいたのである。「監督。なにかー」黒崎がやってきた。不採用を宣告されて気落ちしている。太っているだけに、落胆した彼はよけいに哀しそうだった。森はインタビュー室のテーブルにはさんで黒崎と向かい合った。「黒崎、おまえ、体重はいくらある」森は訊いた。そして、ふくらんだ黒崎の腹を苦々しくながめた。自分も太っているから、よけい腹が立つのだ。九十五キロあります、と黒崎はこたえた。質問の意図をはかりかねている。「よし、あと二週間でそれを八十五キロにしろ。それがノルマだ。八十五にまで落としたら、アメリカにつれていってやる」「ほんとですか。採用してもらえるんですか、減量さえすれば・・・」黒崎は椅子からとびあがった。顔がかがやいた。カリブ海の虹の色が映ったような表情になった。「わかりました。きょうから絶食します。監督、かならず私はやせてきます」腹をたたき、肩を揺すって黒崎は更衣室のほうへ走っていった。おれもせめて九十きろぎりぎりに落としてみせる。それが管理職のつとめだと森も自分の腹をたたいて決心していた。