PTA?ってなぁに??って考える”おやじ”のブログ (随時更新中!?)

PTA活動に関わりを持ってみる皆さん・・好きな方も嫌いな方も・・お父さんもお母さんも・・ちょっとPTA談義しませんか?

20191202 10年前の今日・・・PTA談義過去編 駆け足編その6?

2019-12-02 23:59:59 | PTA談義(全般)

あらゆるところに

 学びがある

 

学ぶ熱意さえあれば、

大自然も他人もすべてが教材になる。

日々興味は尽きない。

 

10年前の今日は・・・

これもPTA談義??(苦笑)

駆け足編その6?

 

091202 PTA思い出話!?(笑)・・・・・本当にいろいろな出逢いが・・・縁が・・・

2009-12-02 06:40:39 | PTA談義(全般)

 ここは
孤独なところ
 自分が
 自分になる
  ところ
   みつを

それが“いま”であり・・・
それが“ここ”なのかなって・・・・
この時間帯・・・電話が鳴ることがない(笑)
この場所・・・・外の喧騒が聞こえてこない静かな場所・・

あっでも・・・メールが行き交う事がたまに・・・・事業の前になると(笑)
あっでも・・・朝の6時・・・リュウコウ寺の鐘の音がゴォ~んって(夏場は5時に(笑))

孤独・・・
冷静に自分自身を見つめ直す時間であり、空間なのかなって思います。
今日は、“ここは”を空間であり時間軸の“いま”ってことで捕えました。
不思議な事に日によって解釈が違うのかなって・・・思います。

でも、そんな自分の場所・・・自分の時間・・・それを持つって・・・大切ですよね。
PCのハードが起動している音が・・・カチャカチャって響いている・・・・
今日もこんな穏やかな気分で・・・・一日過ごせますように!?(笑)

ちょっと気分転換にランキングの確認をよろしくお願いします。(*^_^*)
 

御帰りなさい・・・m(_ _)m、ありがとうございました。

戴いたコメント・・・まんちゃんさんがものの見事に並んでいます。(笑)
いつも、ありがとうございます。
いわゆるネット仲間(現状は)・・・いつかリアルな出逢いをって思っています。
新設校のPTAって (まんちゃん。)
新設校のPTAってどうやってできるんでしょうね?

桜山さんは小学校が二つに分かれたみたいなので、PTAも二つに!って流れなのでしょうか。

港区内の新設校だとお台場の港陽小学校がもっとも新しいのですが、保護者の会を経て、何年かしてPTAができたようです。
同じ年に開校した港陽中学にはPTAはまだないそうです。
おそらく、そのあたりのルールは決まってないのでしょうね。

OYAJIさんって教育委員さんでしたっけ?
こないだ港区の教育委員さんとお食事したときにかなりお話できたのですが、面白そうな方ばかりでした。酔ったいきおいかもしれませんが、「将来はこっちに来てね」みたいなことを言われたような・・・(笑

新設校のPTA・・・・
実はこの地域・・・平成18年の時に合併をした地域なんです。
そして、その母体の学校(当時1,000名を超える児童)から市P連の本部役員が・・・
当時の会長さんが2年・・その為分離校の準備も連絡をかなり密にとれた・・
その辺りの環境が大きかったと思います。

また、合併に伴い当時は郡P連という組織だったものが市P連という組織へ参入になり
その時にもいろいろな改革や変遷という経緯をたどっていたので・・・
柔軟な発想や姿勢?というものが取りやすい環境??・・・いわゆる変化に対応できる!?
合併前の合併問題検討委員会・・・
この時は正に喧々諤々・・・市P連と郡P連の活動の差異・・・出向者の人数等々・・・
かなりの時間を費やしていたのでその辺りのことをリアルタイムで伝えることが出来る人

いろいろな経緯やシステム・・・・
その思いや具体的な行動や運動についてもキチンと説明できる人がいた・・・
そのパイプがあったという部分が大きかったのかなって思います。
現実・・・
その分離校が4月にスタートする時点で市P連への出向者3名も前年度から決まって
つまり、学校がオープン?する前から対応が出来ていた・・・という事です。

物事って・・・
キーパーソンの存在が大きいのかな・・・・そのスピーカーの発言や発信・・・
たった一人の存在でもそのパイプやつなぎ役という部分の担い手として・・・◎だった
という事ですね。
この方は、県P連にも出向して、生業のノウハウを生かした広報誌つくりにも力を発揮◎
実は、そんな縁でここ数年の私の挨拶状もこの方にお願いしています。(*^_^*)

よく、まちづくりのコーディネーターが必要だという話が、一人のキーパーソンがって
今回のケースを見ていて・・・そう言う部分を感じましたね。
まぁ実際は、今の市P連会長や事務局の皆さんも見えない部分で相当汗を・・・ですね。
それと・・・新設校の校長と教頭・・・も◎でした。ね(*^_^*)

校長・・・群馬県の文化事業団にいらっしゃる頃一緒に汗を流したことがあります。
群馬の森で毎年4月29日に群馬交響楽団が無料の屋外コンサートを行っています。
当時、私が担当だった頃、その実行委員会の中でいろいろな道しるべをつくった方でした。
その当時は、先生?だとは思っていなくて・・・(そう言うシステムも知らなかった(笑))
市P連会長当時、校長という立場でお会いしてびっくりしました。(笑)
新設校の初代校長と伺った時になるほどねって思いました。・・・・

過日の開校記念式典の校歌の件・・・まだ記事にしていないですね。
その校歌をいずれお披露目したいです。
全く新しいスタイルで・・・新しいメロディで・・・涙が流れてくるような!?
校舎もそうですが・・・斬新!?(笑)
いろいろな意味で固定観念を覆す事ばかりで・・・・驚きやら衝撃の連続でした。
また、機会がある時にお伝えしていきたいです。

教頭・・・平成17年・・・市P連最後の研究集会の発表スタイルの年・・・
校長、教頭、教務主任・・・3人そろって入れ替わるという緊急事態の年に赴任!?
当時私が2年目のPTA会長という時にいろいろな意味でPTAを考える年に・・・・
その思いを交わした3人が総入れ替え・・・・どうなることやらって
市P連の研究集会・・・
今年は、式典、そして少年の主張と講演会というスタイルだけでしたが・・・
当時は、一つの学校が持ち時間2時間・・・そう2時間びっちり戴けた(笑)

最初の1時間は、あらかじめ決めた(割り振った)テーマに基づいて発表・・・
そして休憩をはさんで・・・
その後の1時間は、会場との懇談会・・・いわゆる質疑応答タイムでした。
市P連にとっても発表校(当時は10校が輪番制で回っていた・・)にとっても
まさに一大事業・・・1年間あるいはその順番に向けて数年を掛けて準備を!?
本当に大きな事業でした。会場学校を持ち回りで・・・

その会場校の選定だって一大行事・・・
体育館で式典・・・全体集合・・・500人規模(発表者を入れれば600人??)
その後10の分科会へ別れて49校から各10名・・その10名がそれぞれへ・・・
そう言うスタイルをとっていました。
この話だけで一月くらいの連載が出来ますね。また機会があれば・・・つづく?(笑)

当時は、市P連が49校体制・・・1年に10校が発表校・・・
つまり5年に一度・・その発表校の順番が輪番制で回ってくる勘定でした。
来年が60回大会・・・そう言う意味では旧市内の学校は何度も発表の機会が・・・
私の個人的な感覚とすると・・・
まさにその場面がPTAって?って考える場面だったのではないのかなって思います。

だって・・・
その発表者・・当時のPTA本部役員・・・自分たちのその時の活動もそうですが
実は、脈々と受け継がれた歴史や伝統・・・そして取り組みを形にするケース・・・
あるいは機会でもあり・・そのチャンスでもあった!?(笑)
目的や意味・・意義というのもがその場で再確認もできた???
1時間の質疑応答・・・懇談会・・・ここでの何が飛び出すか分からない真剣勝負!?
まさにいろいろな意味で考える場面だったのではって思います。

合併に伴って・・・・
この方式が一気に65校に膨れ上がり・・・輪番制の踏襲・・・・
それ以前に2時間という持ち時間の発表スタイル・・・・これが喧々諤々の対象に(笑)
結果・・・2年間は、発表校を6校に絞り旧市内の学校だけが・・・
その後は、市P連の委員会発表・・・
そして、講演会というスタイルに移行して・・今の形に・・・あっこの話は後日ですね。(笑)

話を戻して・・・当時の発表に向けての準備中・・・
ただの発表ではつまらないという会長・・・(すみません・・・・・私です。)
えぇえええ・・・そんなぁあああああああという声も聞きながら…
リアルタイム本部役員会議・・・・
つまり演劇風に再現しながら自身の活動を紹介しようよ!って
その時のテーマは“地域活動”でした。まさにこのブログのジャンルのまんま・・

えーと・・・この時の内容と手法は・・・つづくにしますね。(笑)
これだけでもかなりのボリュームがある・・・
でも過去に題材で取り上げて書いた記憶もあるので・・・探します。(@_@)
まぁ・・楽しみながらやらせて戴きました。
PTA・・・からPTACAへが・・・Cは地域(Chiiki)、(コミュニティ)等々だって
だから・・・後日詳しく書きますね。(苦笑)(脱線が大好きなんで・・すみません)

その時の教頭・・・・
会議中・・発表に向けての構想会議中に・・どうしても行き詰る!?・・・進行が・・
その時教頭が一言・・・私がナレーターをやりましょうか!?って
いわゆる影アナ的なイメージで・・・“こころ”の声や動線を導き出す役目・・・
そして・・・打ち合わせをしながら進行・・・・
今までの行き詰まり感が嘘のようにスムースな進行に・・・
うーん、流石って唸ってしまった(笑)

そして、教養部のセミナーの打ち合わせにも登場・・・・
教養部員のお悩み解決コーナーなるものに・・・母親のリアルな声を・・・聴く
まさに聴いてその場で解決・・・
いやぁ・・・この拡大版で教頭先生を囲む会で行きませんか??って言う勢い(笑)
それだけは・・・って・・そんな会話をしていた様な(笑)2
当時、頼りになるお母さんというよりもおねぇさん??といった感じだったのでしょうか
・・・とかなり脱線しましたが・・その位頼りになる教頭でした。(新任でしたが)

話を大きく元に戻すと・・・・
不思議なもので皆さんと縁があった・・・・
いろいろな試行錯誤、喧々諤々・・・それはそれで・・・必要なこと!?
そう言ったものを積み重ねて・・そういったものがあったればこそ・・形に!?
・・・・と私は思っています。
当事者の方々・・・すみません・・・・・かなりの御苦労もあったのかなって思います。
ただ、桜山小の記念式典・・・あの歌声が全てですね。子どもたちの・・・

そして・・隅々にまで行き届いた対応・・・
学校としてもそうですがPTAの皆さん・・・地域の皆さん・・・
いろんな思いがあの日に集約していたのかなとも・・・
校歌の生い立ちを嬉しそうに語る校長の笑顔がとても印象に残っています。(笑)

話があちこちに飛びすぎて・・・
ここまで到達された皆さんに感謝です。・・・・
さて、今日も一日元気によろしくお願いします。

あっ、教育委員話・・・これもつづくですね。(笑)
では、いってきま~すε=┏( ・_・)┛

 

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