おぼえがき。

日々思ったり感じたりしたことを失念しないためのもの。

伝わること

2005-09-20 19:26:13 | Weblog
近すぎて、些細な心の動きも伝わる。自分の感情や揺れでは
ないことが分かるので、心臓がドキドキしてくる。
近いということは、苦しいことも多い。
近いということはそういうことだったと、今回は痛切に思う。
こんな狭い中で、きっと大したことではない、でもうちに
してみれば大したことに思い悩み、それが持続し、見えない
うちに確実に傷んでゆくさまを感じ取るのは、なかなか根性が
いる。どんなに基盤が頑丈でも、表層が常に受け入れ体制を
整えているわけではない。
どんな流れや揺れや動きが伝わってくるかと、日々の一瞬一瞬
にびくびくする。おびえながら相槌をうってみたり、何か言う
時にはあえてくどくど繰り返してみたりして、変な防御をして
いる。そんな浮き足立った自分は本当に自分なのかと、自分に
問いかけてみたりがっかりしたりする。

明日から、自分の日常に戻る。ほっとするのか心を残すのか。
完璧などあり得ない。完了などあり得ない。
分かっている。
それでも。

今回最後の夕方

2005-09-20 17:38:02 | Weblog
もうすぐ日が暮れる。
虫の音と涼風を感じながら眠る夜は、今日で最後。
骨休めに深い眠りを求めて帰ってきた今回、結局
達成できなかった。しかたがない。
それでも、なんとかしたいと思っていた心配事に
てこ入れをこっそり出来ただけでもよかったと思う。

帰ってくるたびに、何か考えたり感じたりすることが
あるのは今までもずっとそうだったが、今回はやっぱり
こたえた。当事者じゃないし、当事者の周辺にいて
もっとしんどい思いをしている人達がいることを知って
いるから、弱音を吐きたくなかった。
多分、私が一番気楽で身動きが取れるところにいて、
話を聴けるところにいて、何か言えるところにいる。
そして、一番どうにもならない。
無力とか非力とかそういうことよりも、もしかして
今ここで起こっていることが現実であるということの
半分も、自分は現実として存在していないんじゃないか。
ここであの家族の一員として存在していた自分は、本当に
いたんだろうか。
その時の自分にしがみついている私が幻で、あの頃の私が
本当で、幻の私はこっそりとひっそりと根回しをして調整
して、うまくいくことを願っている。

心がはみ出てこぼれ出て、キタイになって霧散する。

届かないのか

2005-09-20 12:17:04 | Weblog
最近、自分の言葉は人に伝わらないのではないかと
いう疑いがますます強くなってきている。
言葉というより、言葉で表されている、あるいは
言葉の裏にひそんでいる意図や思いといった方が
正しいのだけど。
そういうものを察知するのが早いと思っていた家族で
さえ、時の流れなのか違う環境に住んで久しいからか
同じことを違う表現で何度も繰り返さないと伝わらない。
一番言いたいことをあえて言語化しないで察してほしい
と思う私が甘いのだろうか。
私が変わってしまったのか。
私があの子と共存するようになって、人間離れに加速
がついてしまっているのだろうか。
私が気をつけないといけないのだろうか。

これか。人相手に伝えることの疲労は。
エネルギーを読み取れば済むだけではないから。
言語化という泥臭い作業に費やすエネルギーの、
なんて途方もないことだろう。