おぼえがき。

日々思ったり感じたりしたことを失念しないためのもの。

怒り

2005-09-04 23:21:41 | Weblog
店で中途半端に音を出していたら、他のお客にモノを投げられた。
自業自得なので、その行動に出た気持ちは分からないではない。
その怒りがものすごく強かったので、こっちもムカムカしてきた。
そのエネルギーの放出はその客が帰るまで続き、客が少ないその
店の空気の一部は澱んだ。
自分が蒔いた種とはいえ気分が悪かったので、この間のように
怒りのお返しをさせて頂いた。
停滞する不快な気の中でいつもの状態にまで気持ちをもっていく
のは、さすがに時間がかかった。
今回は自分が原因をつくったことで自分を責めるより、強い怒り
を向けられたことに強く反応した。神経が逆立った。

昨日から仕切り直しの何回目かの新たなスタートで、エネルギー
が充満し神経が鋭敏になっている時だからこそ、きっとこんな
風になってしまうのだ。きっと。
彼らの行為、存在によって、自分の力を確かめてしまった。
ありがとね。

機が熟す

2005-09-04 12:30:23 | Weblog
気が乗らない時に無理してやってもいい音なんか出ないと、
ずっとほったらかしていた笛。
それもまた真なり。
あえて無理に吹いて、強行突破するもあり。
どちらにしても機というのはあるもので、無理して吹いて
時満ちるのを感じることもあれば、何もせずに待っていて
ある時急に吹きたい気持ちになることで時満ちたと感じる
こともあり。
今回は両方か。
そろそろ必要に迫られる頃。
笛以外の回っている事象に連鎖反応したかのように吹いて
みたくなる気持ち。
おかげで音の質はすっかり変わり。
弱さと心細さはなく、荒削りの茫漠とした音になり。

あの子も一緒に吹きたがっている。
あの子は笛の音で宙を舞いたがっている。

受容と自信

2005-09-04 00:20:20 | Weblog
自分の最もニガテとする部分を荒療治で受容することで、
加速がついたらしい。
文字通り自分を信じることが自信なのだとすれば、今の
私はちょっと前よりも自信があるはず。
自分を慈しむこともそうしたい理由も、本当に目の前に
答えがあったのに、分かっていたのに、体感してなかった。
受容と自らを愛することは、あまりにも同時進行だ。
それでどちらから手をつけたらいいか分からずに、とても
とても長く、足が前に出なかった。
荒療治の理由、これだったんだ。

今回は気づくのに時間がかかったな。
いや、分かってたのか。認めたくなかっただけか。