司馬遼太郎「坂の上の雲」
いよいよ11月末から放送されるTVドラマ。本箱の奥から引っ張り出してみました。
松山で生まれた秋山好古・真之兄弟と正岡子規の青春と、近代日本の形成期を重ね合わせて描く大作です。ちょっと年配の男性を中心にこの作品のファンは多く存在しますね。
確かに前半は3人の青春記なのですが、正岡子規が早々に亡くなった後(子規の登場が少ないだけに印象も小さくなってしまいます)は、もっぱら日本の命運を決す小説「日露戦争」という形態でしょうか。中でも旅順攻撃をめぐる二百三高地での消耗戦と、バルチック艦隊を迎え撃つ日本海海戦の場面は圧巻。戦争に先立つ1902年、中国に利権を持ちロシアを牽制したい英国が、長年の栄光ある孤立政策を捨てて「日英同盟」を結ぶ件ももちろん興味深いところです。
一番読んでびっくりしたのは、旅順攻撃の司令官「乃木希典」が抜群の人格者ながらも指揮官としてまったくの無能者として描かれている点。彼が決断しなかった結果、無用の攻撃によって膨大な戦死者を生むこととなったというのが司馬遼太郎の考える乃木像なのでしょう。面白いのが、当時の司令官は形として天皇から直接任命されていたため、途中で更迭しようにも誰も何も出来ず、黙って本人が認識するのを待つしかないというのです。この戦争以降、乃木大将は多くの人から崇められ、とうとう軍神となってしまうのですが・・・。ところで、私の通っていた高校には、普段は使わない裏門がありまして、「乃木門」と呼ばれていました。何でも前身の旧制中学時代、3代目の校長先生が乃木希典に心酔しており、乃木希典が小倉の連隊の隊長であった(この時、西南戦争に従軍、連隊旗を薩摩側に奪われる。このことが後の殉死の理由とも)ことから、連隊の営門の石柱を譲り受けてそこに据えたという謂れのある門でした。その校長の乃木大将への心酔ぶりは尋常ではなかったらしく、晩年病に倒れた時には「これではお国のために働けない」と言ってなんと自害したということです。人をそこまで動かす彼の魅力、そしてそれを必要とした時代というものは何だったのでしょうか・・・・・。そう言えば、私の高校時代でも、古文の先生が(なんと名前が大迫力男~おおさこりきおです、だいはくりょくおとこではありません)、蒸し暑い教室で皆がだらけていると、「乃木大将は、一言も暑いとか寒いとか不平を口にすることはなかった!」と檄を飛ばしてましたっけ。
巻末にある日本海海戦の解説図は海戦の進行と合わせて見ると非常に面白い。
この図はまさにT字回頭の場面です。
艦隊の進路の判断一つで(一斉回頭か個々の回頭かによっても全然違う)戦局がまったく違ってくることがよく分かります。
それにしてもNHK、ドラマの放送を3部に分けて3年間かけて行うということですが、「ロード・オブ・ザ・リング」か「ハリー・ポッター」と間違えてませんか?