今日はもう皆さんのお手元に届いていると思うのですが、『ぽぽろだより』(2月10日号)に掲載された退職スタッフのSaさんからの投稿を掲載します。もともとブログ用にいただいたものですが、とっても心温まる内容でしたので『ぽぽろだより』に載せることにしました。少し長いですが、最後までお読みいただければ幸いです。
約1か月前のブログに登場したMaくんとわたし(Sa)ですが・・・。
二人がどこで何をしてるかわからない?って・・・。
ぽぽろを出れば、ぽぽろの周辺半径500メートル以内のあちらこちらに行っていますが、決して悪いことも怪しいこともしておりません。
Maくんは、最近ぽぽろに来るなり、「オハヨウ」「コンチハ」と挨拶したり、顔をしっかり見て「Ma○○!」と自分が来たことをアピールして、みんなを笑わせ、喜ばせてくれますが・・・。
ここに至るまでには長い道のりと沢山の人たちとの出会いや関わりやドラマがあったことでしょう。
さて、2年近く前のことでしょうか。
ある土曜日の朝、ぽぽろを飛び出したMaくん、なぜか私が付き合うことになりました。塩{公園に行くと思ったのにそうではなく、寝屋川の方に向かってどんどん散策に行くのです。お昼近くなるし、道路に寝そべって帰るのを拒否するし、道行く車や人の視線は気になるし、ホトホト困り果てていたところへ、『救いの神』とでもいうのでしょうか、ヤンボラTaさんのガイヘルO
さんがその場に現れ、二人がかりで無事ぽぽろに連れ戻すというドラマがありました。
そして、その一週間後、私の履物を持って来て手を引っぱって外に行こうと誘ってくれたときはコトバとしてしゃべらなくても充分心が通じ合い、コミュニケーションがとれているんだなと驚くやら、うれしいやら・・・、そのときの感動は今も忘れられません。
その頃から、階段でおもちゃを転がしたり、すべり台の上と下で小石の投げ合いっこをしたり、ブランコをしたり・・・、だんだん『Maくんの世界』に共感し、共有できることが増えてきました。
Maくんは食事、排泄、衣服の着脱など身の回りのことはほとんど出来ます。(おうちの方や園の気の長い努力の賜物だと思います。)好きなこともやりたいこともはっきりしていてきちんと要求が出せます。動くもの、転がるものが大好きで、石や砂や木の葉や何でもおもちゃに見たて、”自分の世界”を楽しむあそびの天才です。
昨年の5月、塩{公園の方に向かう角を曲がらず、真っすぐ真っすぐ歩いて行きます。放出公園へ私を案内してくれたのです。(児童デイで何度か行ったようですが私は初めて)しばらく行ってないのにちゃんと覚えていたのです。
その後何回か(雨の日はあきらめるだろうと思ったのに、あのときはまいった、まいった。いつもたむろしているおじさんからも「大変やなあ」「帰らへんの?」と同情されるほど)放出公園に二人で出かけることになるのです。公園に着くとまず砂場へ。靴を脱いでしばらく砂遊び、それから、ブランコ、泥んこ遊び、ハトの追っかけ、お椀形のすべり台、電話ボックスへと次々あそびが広がります。とことん付き合い一緒に楽しむよう心がけますが、終わりが難しく、「おしま~い。」「帰ろう!」と何度働きかけても応じてくれません。でもふとしたタイミングで折り合いをつけることができるのです。
ブランコを押す時、「よいしょ、よいしょ。」とついつい鰍ッ声をかけていたら、ある時、Maくんの方から「ヨイショ、ヨイショ」と。
後ろから来た自転車を避けようとしたら「スイマセン」と。
ロッカーの上から飛び降りるとき「セーノーデー」と催促。
道で会う人にも「バイバイ」「サヨナラ」と挨拶。
相撲やゴムとび、自転車こぎなど大人やお兄ちゃんのしていることに関心を示し、憧れ、真似をする姿。
「アパンマン」「バイキンマン」「チーズ」と要求すると思ったら、自分でも「かお」を描くように。
マンションの方に行くのはダメとわかっていて、笑いながら大人の顔色をみたり、関係を確かめようする姿。
あそびも行動もどんどん変わっていくMaくんです。
コトバの広がりもみんなが認めるところです。
「Fu○○くん」と友だちの名前を言ったそうです。家に着いたら「オワッタ」とヘルパーさんに言ったそうです。とうれしい声が聞こえてきます。「コウエン」「イコウ」と誘ってくれたり、ヘルパーさんがお迎えに来られたら「カエロウ、カエロウ」と言ったり、日に日にコトバが増えてきました。
公園のブランコだけでは飽き足らず、あそびも行動範囲もどんどん広がっているMaくんですが、急に悲しそうな顔をしたり、服の袖口をかんだり、こだわりの強さをみせるとき、この揺れは内面が発達し、豊かになり、新しい挑戦が始まったからこそみせる姿かなとますますいとおしくなるのです。
ぽぽろはゆったりとした時間が流れ、貧しい(子どもにこんなことばを言わせるのは誰のせいだ!!)けれど、自分から何かしたいと思えるような仲間と空間が保障されています。また、大人と心を通い合わせたくなるような生活やあそびを模索することもできます。
私がぽぽろに行かないとき、事務所に来て捜していたとか、しょんぼりしていたとか、
今、産休中のKoさんにも「すごいですね。私たちがおはようと言っても知らん顔なのに自分から『オハヨウ』だって。」と羨ましがられたり、
ヤンアルのMaさんには「Maくんが中3になるまで来るんですか?」と言われたり、
出来るものならそうしてMaくんの成長・発達を見守っていたいけど、おんぶが出来なくなったり、先に走れなくなったら「おしま~い。」かなと思うこの頃です。
約1か月前のブログに登場したMaくんとわたし(Sa)ですが・・・。
二人がどこで何をしてるかわからない?って・・・。
ぽぽろを出れば、ぽぽろの周辺半径500メートル以内のあちらこちらに行っていますが、決して悪いことも怪しいこともしておりません。
Maくんは、最近ぽぽろに来るなり、「オハヨウ」「コンチハ」と挨拶したり、顔をしっかり見て「Ma○○!」と自分が来たことをアピールして、みんなを笑わせ、喜ばせてくれますが・・・。
ここに至るまでには長い道のりと沢山の人たちとの出会いや関わりやドラマがあったことでしょう。
さて、2年近く前のことでしょうか。
ある土曜日の朝、ぽぽろを飛び出したMaくん、なぜか私が付き合うことになりました。塩{公園に行くと思ったのにそうではなく、寝屋川の方に向かってどんどん散策に行くのです。お昼近くなるし、道路に寝そべって帰るのを拒否するし、道行く車や人の視線は気になるし、ホトホト困り果てていたところへ、『救いの神』とでもいうのでしょうか、ヤンボラTaさんのガイヘルO
さんがその場に現れ、二人がかりで無事ぽぽろに連れ戻すというドラマがありました。
そして、その一週間後、私の履物を持って来て手を引っぱって外に行こうと誘ってくれたときはコトバとしてしゃべらなくても充分心が通じ合い、コミュニケーションがとれているんだなと驚くやら、うれしいやら・・・、そのときの感動は今も忘れられません。
その頃から、階段でおもちゃを転がしたり、すべり台の上と下で小石の投げ合いっこをしたり、ブランコをしたり・・・、だんだん『Maくんの世界』に共感し、共有できることが増えてきました。
Maくんは食事、排泄、衣服の着脱など身の回りのことはほとんど出来ます。(おうちの方や園の気の長い努力の賜物だと思います。)好きなこともやりたいこともはっきりしていてきちんと要求が出せます。動くもの、転がるものが大好きで、石や砂や木の葉や何でもおもちゃに見たて、”自分の世界”を楽しむあそびの天才です。
昨年の5月、塩{公園の方に向かう角を曲がらず、真っすぐ真っすぐ歩いて行きます。放出公園へ私を案内してくれたのです。(児童デイで何度か行ったようですが私は初めて)しばらく行ってないのにちゃんと覚えていたのです。
その後何回か(雨の日はあきらめるだろうと思ったのに、あのときはまいった、まいった。いつもたむろしているおじさんからも「大変やなあ」「帰らへんの?」と同情されるほど)放出公園に二人で出かけることになるのです。公園に着くとまず砂場へ。靴を脱いでしばらく砂遊び、それから、ブランコ、泥んこ遊び、ハトの追っかけ、お椀形のすべり台、電話ボックスへと次々あそびが広がります。とことん付き合い一緒に楽しむよう心がけますが、終わりが難しく、「おしま~い。」「帰ろう!」と何度働きかけても応じてくれません。でもふとしたタイミングで折り合いをつけることができるのです。
ブランコを押す時、「よいしょ、よいしょ。」とついつい鰍ッ声をかけていたら、ある時、Maくんの方から「ヨイショ、ヨイショ」と。
後ろから来た自転車を避けようとしたら「スイマセン」と。
ロッカーの上から飛び降りるとき「セーノーデー」と催促。
道で会う人にも「バイバイ」「サヨナラ」と挨拶。
相撲やゴムとび、自転車こぎなど大人やお兄ちゃんのしていることに関心を示し、憧れ、真似をする姿。
「アパンマン」「バイキンマン」「チーズ」と要求すると思ったら、自分でも「かお」を描くように。
マンションの方に行くのはダメとわかっていて、笑いながら大人の顔色をみたり、関係を確かめようする姿。
あそびも行動もどんどん変わっていくMaくんです。
コトバの広がりもみんなが認めるところです。
「Fu○○くん」と友だちの名前を言ったそうです。家に着いたら「オワッタ」とヘルパーさんに言ったそうです。とうれしい声が聞こえてきます。「コウエン」「イコウ」と誘ってくれたり、ヘルパーさんがお迎えに来られたら「カエロウ、カエロウ」と言ったり、日に日にコトバが増えてきました。
公園のブランコだけでは飽き足らず、あそびも行動範囲もどんどん広がっているMaくんですが、急に悲しそうな顔をしたり、服の袖口をかんだり、こだわりの強さをみせるとき、この揺れは内面が発達し、豊かになり、新しい挑戦が始まったからこそみせる姿かなとますますいとおしくなるのです。
ぽぽろはゆったりとした時間が流れ、貧しい(子どもにこんなことばを言わせるのは誰のせいだ!!)けれど、自分から何かしたいと思えるような仲間と空間が保障されています。また、大人と心を通い合わせたくなるような生活やあそびを模索することもできます。
私がぽぽろに行かないとき、事務所に来て捜していたとか、しょんぼりしていたとか、
今、産休中のKoさんにも「すごいですね。私たちがおはようと言っても知らん顔なのに自分から『オハヨウ』だって。」と羨ましがられたり、
ヤンアルのMaさんには「Maくんが中3になるまで来るんですか?」と言われたり、
出来るものならそうしてMaくんの成長・発達を見守っていたいけど、おんぶが出来なくなったり、先に走れなくなったら「おしま~い。」かなと思うこの頃です。