3月1日は朝鮮独立運動の日で、今年は102周年になる。3月はじめとは思えぬほど暖かい夜、新宿駅西口小田急百貨店前で3・1新宿キャンドルアクションが開催され、150人の人が集まった(主催:「3・1朝鮮独立運動」日本ネットワーク(旧100周年キャンペーン)、協賛:戦争させない! 9条壊すな!総がかり行動実行委員会)。昨年の集会(20年2月28日)は、第一次緊急事態宣言の1か月少し前だったが、今年は第二次のさなかで、さらに2週間再延長されそうな時期だった。またコロナだけでなく、徴用工裁判に続く「慰安婦」裁判のソウル中央地裁判決で、昨年安倍は退陣したものの戦後最悪の日韓関係が続いている。そうした状況下ではよく集まったと思う。
菱山南帆子さん(憲法9条壊すな!実行委、総がかり行動)の司会で、野平晋作さん(ピースボート共同代表)の主催者あいさつのあと7人の方からスピーチがあった。
わたくしにとってとくに印象深かった2人のスピーチを紹介する。
●待ったなしの強制動員問題の解決
矢野秀樹さん(強制動員問題解決と過去清算のための共同行動)
今年は2001年8月南アフリカのダーバンで 国連主催で反人種主義世界会議が開催されダーバン宣言が出て20年の年に当たる。その宣言で、奴隷制度と奴隷取引は人道に対する罪であることを認定した。それとともに植民地主義はどこであれ、いつであれ非難され、繰り返されてはならないということを確認した。こういう宣言が出ることが予想されるとアメリカとイスラエルは会議の途中で出て行った。会議終了後、EUの代表(そのときはベルギー)は「こういう宣言は認められない」と述べた。それから20年経ち、昨年6月アフリカのコンゴが独立60年を迎えた。コンゴを植民地支配していたベルギーの国王がコンゴの大統領に「コンゴの人々に植民地支配を謝罪する」という書簡を送った。またフランスのマクロン大統領がいまや植民地主義は人道に反する罪だと明言した。遅々とした歩みだが、世界は脱植民地主義へ向けて一歩ずつ進んでいることが確認される。
翻って日本は、戦後50年の1995年8月村山談話を出し、過去の一時期、国策を誤り、植民地支配と侵略により多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた事実を認め謝罪した。98年来日した金大中大統領と小渕総理の間で日韓パートナーシップ宣言を交わし、日本の植民地支配を反省し謝罪を表明した。欧米の旧宗主国より早く植民地支配に反省の意を表明した。
それなのにいまこの国の現実はどうか。2018年韓国大法院(最高裁判所)は元徴用工の訴えを認め、被告の日本企業に賠償を命じた。これに対し日本政府とメディアは批判の大合唱だ。「1965年の時点で解決済み、国際法違反だ」と口をきわめて批判する。しかし1965年の時点で植民地支配について謝罪も反省もしていない。また朝鮮の人に「多大の損害と苦痛を与えた」事実すら認めていない。そういう過去があるのに解決ずみといってだれが納得するだろう。いまの日本はそういうことをいっている。それだけではない。「元徴用工というのはウソだ、彼等は出稼ぎに来ただけだ」という言説までまかり通っている。
わたしたちはこういうことを許してはいけない。強制動員の被害者は日本でも裁判を起こした。日本の裁判所は訴えを棄却したが、強制労働させたこと、被害者であることを認定した。彼らの権利を回復し、被害を救済しなければいけない。中国人の強制連行被害者は企業と和解した事例がある。それを踏まえ日本政府は当事者間の和解解決・和解協議を妨げてはならない。わたしはいま脱植民地主義の流れが世界を覆うなか、この問題を必ず解決できると思う。企業も決断を迫られている。一日も早く年老いた被害者を救済するためこの問題の解決に向け力を尽くしたい。
●朝鮮学校差別との闘いが日本の社会と教育をよくする
長谷川和男さん(朝鮮学校「無償化」排除に反対する連絡会共同代表)
過去の歴史にわたしたちはどう向き合うべきか。
わたしは1947年戦後2年目に生まれ、幼いころ三鷹の6畳一間の教員住宅に住んだ。当時の強い記憶がひとつある。教員住宅の前にアパートがあり、同い年のジョナ君という子がいた。その子は「ジョナ、ジョナ、朝鮮人」と回りの子どもみんなに冷やかされていた。私自身は心のなかで「ああ朝鮮人に生まれなくてよかった」と思った。幼稚園に上がる前の記憶だ。教員になり子どもに「差別はいけない、イジメはいけない」と教えるとき、その記憶がトゲのように心に突き刺さったことをはっきり覚えている。それから小学校の教員生活43年のあいだ朝鮮学校とどう付き合っていくか、わたし自身の教育の原点にそのことが脈々と生きていた。
2010年高校無償化から朝鮮学校だけが排除された。それを止めさせるべくいろんな闘いをしてきた。全国5か所で提訴した裁判闘争で、東京、大阪、愛知は残念ながら不当判決が下され、最高裁で確定した。残りは広島と福岡だ。その裁判闘争にも勝ちたい。さらに一昨年10月に始まった幼保無償化からも朝鮮幼稚園ははずされた。本当にこの国には人権がないのか。絶対許すことができない。コロナ禍で学生がたいへん困難な状況に陥った。朝鮮大学校の学生にだけ支援金は渡されない。こんな差別がいまの日本社会の現状だ。
わたしは心から伝えたい。森・東京オリパラ組織委員会会長の女性差別発言、これは大きく人権の問題として日本社会に広がっていっている。そのほかにもたくさんの人権の問題が問題になっているが、わたしたちはとりわけ朝鮮学校差別と徹頭徹尾闘うことが日本の社会と教育をよくすることだと思う。みなさん、共に闘おう!
キャンドルを振る参加者たち。1人2本持ちだったので合計300本だ
そのほか日本軍「慰安婦」問題について梁澄子さん(ヤン・チンジャ 日本軍「慰安婦」問題解決全国行動共同代表)、9.1関東大震災朝鮮人虐殺慰霊問題について宮川泰彦さん(日朝協会会長)、沖縄米軍基地問題について青木初子さん(沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック)が、それぞれの立場からアピールした。青木さんは「辺野古新基地問題で玉城知事が4月に埋立不承認の決定をするだろう。その翌日官邸前で集会を開き1週間青い布、青い服を着て不承認を支持しよう」と呼びかけた。小田川義和さん(戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会共同代表)は「菅政権はミサイルと空母を2021年度予算に入れ、憲法を実質改憲し、人権問題をないがしろにしている」と批判し、孫亨根さん(ソン・ヒョングン 6.15共同宣言実践日本地域委員会代表・韓統連議長)は「韓米合同軍事演習強行に強く反対する。朝鮮民族は3・1独立運動の精神を継承し、必ず自主独立を勝ち取る」とアピールした。
梁さんはスピーチのなかで「日本政府は『他国の裁判に従う必要はない。主権免除が国際法の常識だ』という。しかしその例外はあり、欧米では実績もあること。日本も国連裁判権免除条約に批准し、法律までつくっていること、アジア発の事例を実現しよう」と述べた。調べてみると、たしかにかつては絶対免除主義だったが、いまは制限免除主義に変わり、2009年に「外国等に対する我が国の民事裁判権に関する法律」が日本で施行されたことを知った。
孫さんのスピーチの途中からバス通りの向こうに集結したグループのヘイトスピーチがうるさかった。「北朝鮮、総連こそ虐殺者だ」「北朝鮮、総連の奴隷狩りを許すな」という大きなプラカードを手にしていた。幸か不幸か言葉の内容までは聞き取れなかったが、まさに騒音だった。今回はコロナ禍なので、スピーチに対する拍手や掛け声はなしで、両手にもったキャンドルを打ち振るサイレント集会だったが、ヘイトに対し、黄色いキャンドルの花がいっぱい咲き広がった。
集会の前に、なるぞうさんの「イムジン河」(歌詞は日本語)、エンディングに「朝露」(歌詞は朝鮮語)の歌唱がありみんなで歌った。「朝露」は朴正煕大統領政権下、1971年につくられた韓国民主化運動の学生たちの抵抗歌だ。わたくしは朝鮮語はわからないが、何度か3・1集会で、おそらくノレの会の合唱で聞いた覚えがあり、ハミングで歌った。
声をかける代わりに手に持ったキャンドルを振ったが、気温が高かったせいもあり、花見の夜のようないい気分になった。平和な夜だった。
閉まっていた文京区民センターの部屋
ところで2日前の2月27日(土)夜、文京区民センターで屋内集会をやる予定になっていたので、会場に向かった。すると3階の会場のドアが閉まっていて、スタッフが一人立っていた。新型コロナの影響で集会は中止、代わりにレイバーネットで動画配信をすることになったとのことだった。ほんの1週間前にフロアこそ違うがこの会場での集会に参加したばかりだったので、そんなことになるとは夢にも思わなかった。あわてて帰宅し、途中からだったが、2人の方の講演を聞いた。
とくに外村大・東大大学院総合文化研究科教授の「3.1運動を記念する意義と方法――歴史喪失に抗して」という講演は、現在の日本人の朝鮮人への差別感情の源泉を説明する内容で、なるほどと納得できたので、その部分のみ少し紹介する。
歴史の手法とは、ある程度の時間の範囲を設定し、ものごとが起こったことを時系列に並べ、因果関係を考えたり整理することだが、考えてみればだれでも普通にやっている。
ところが1980年代以降、若い世代の歴史意識が変化した。過去と現在を切り離し、「いま」と「むかし」という区分だけになり。「いま」でなければみんな「むかし」になる。これは深刻な問題だ。歴史をバラバラの情報、並列的な情報として摂取することになる。
インターネット検索し、ピンポイントで一次資料を切りとる。たとえば朝鮮人で日本軍に志願した人がいるとか、日本の皇軍や植民地支配に感謝しているとか 一次資料のそこだけ読んで、都合よく解釈する。いわば長い物語のなかの数ページだけ取り出し、脈絡なくそこだけ読んで歴史を解釈したつもりになるようなものだ。歴史修正主義の人がやっている方法だ。
もうひとつ朝鮮人に対する日本人の見方で問題がある。日本が先進的で朝鮮に影響を与えたという思い込みだ。1919年3月当時の日本の新聞報道を見ると、よくわからない宗教団体(天道教)の迷信を振りかざす連中が扇動し、よくわからない民衆が乗っかっているという見方で報道されている。相手はわけのわからない話をする人で独自の判断力を持つ主体、対等な存在とはみなさない。これは植民地支配の前提となる認識である。
問題は、こうした態度が現代日本で完全になくなっているかどうかだ。非常に深刻だと思うのは、韓国人は反日教育を受けていて本当の歴史を知らない、逆に日本人は本当の歴史を知っているという主張とか、韓国の司法はおかしい、韓国人たちは国際法をわかっていないとか、異常なことをやる人たちだとか、ほとんどの人は疑わずしゃべってしまう。
被害者の声や、遺族が何を望んでいるか、どんな経験をしたのか、まず聞いてみる、耳を傾け対話する、そういう態度を取ろうとする人があまりにも少ない。植民地時代とどれほど変わったのか考える必要がある。
「若い世代の歴史意識」は、1996年に鹿野政直・早大文学部教授が指摘したそうだが、小林よしのりの「新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論」の雑誌掲載が始まったのが95年9月(単行本化は98年)であったことを考え合わせるとなるほどと思う。
高野孟(インサイダー編集長、ザ・ジャーナル主幹)さんの講演「東アジア共同体の可能性」から2点だけ紹介する。
1989年のブッシュとゴルバチョフのマルタ会談でやっと冷戦が終わったと思ったのに、ブッシュ父の「米国は『唯一超大国』になった」という錯覚を、ブッシュ息子は単独行動主義、トランプも米国第一主義と同じ考え方の外交政策を行ない、バイデンも部分的多国間主義なので、路線としては変わらない。軍事同盟の考えを取り、どれも同じ米国覇権時代へのノスタルジアだ。
北東アジアは「冷戦後遺症の吹き溜まり」になっている。しかし「6カ国協議」は休会のままだが枠組みは残っている。ぜひ国連憲章で説かれた多国間主義の原則に則り、憲法9条をもつ日本が率先して北東アジアの状況を作り変えていく、新しい方向にもっていくことが必要な時期だ、と締めくくった。
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