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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

韓国大法院「徴用工裁判判決」の意義と日本の責務――3.1朝鮮独立運動東京集会

2020年03月10日 | 集会報告
2月28日(金)夜、今年も3.1朝鮮独立運動東京集会が文京区民センターで開催された。今年は101周年だったが異例だったのは、新型コロナウィルスのため、次々に集会やイベントが中止や延期に追い込まれるなかでの開催だったことだ。参加者が少数になるのではと懸念したが、案に相違し180人もの参加があり、例年の集会では出会わない人に何人もお目にかかれてよかった。

主催者あいさつのあと、吉澤文寿さんの韓国大法院判決に関する講演があった。わたくしは10年前の集会で一度植民地責任をテーマにした講演を聞いていたのと、昨年11月に「徴用工裁判と日韓請求権協定――韓国大法院判決を読み解く(山本晴太ほか 現代人文社 2019/9)を読んでいたのでだいたい理解できた。しかし40分弱の短時間の講演では、たとえば「救済なき権利」「政府の外交保護権」など、理解しにくい点もありそうだ。そういう方は、ぜひこの本や判決に関する参考書籍を読むとよいと思われる。
しかし大法院判決がもつ意義を解説し、日本(政府および日本人)がとるべき方向、すなわち「被害者中心アプローチ」を示す、内容が濃い講演だった。また吉澤さんが長く努力された日韓協定文書の開示運動の成果にも触れられているので、この講演を中心に紹介する。

東アジアの共有財産としての韓国大法院「徴用工裁判判決」
                 吉澤文寿さん(新潟国際情報大学教授)

韓国大法院「徴用工」判決の意味
2018年10月30日の韓国大法院の新日鉄住金への徴用工裁判判決が下されて1年あまりになる。11月には三菱重工業名古屋にも同様の判決があった。この判決のポイントは2つあった。
「日本政府の韓半島に対する不法な植民地支配」、すなわち植民地支配の不法性を事実認定したこと、そして「日本企業の反人権的な不法行為を前提とする強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権」を賠償支払いの根拠にしたことだ。後者は、未払金・恩給・貯金など財産権に関するものでなく慰謝料請求権であることが重要だ。
日本政府の責任回避
日本のなかには、「何度謝罪すればすむのか」という人がいる。しかし植民地支配が国際法で違法に行われたのかというと、政府は、一貫して日本は合法に韓国を植民地にしたと主張している。日本が朝鮮半島の人に加害行為をしたことが認定されないと、いつまでたっても被害者の主張は認められない。日本の姿勢は同情的に「道義的な責任を果たす」という言葉だけなので、被害者にとって大きな不満を残す結果を繰り返すことになってきた。東アジアの平和を考えるうえで、大法院判決はその基礎になる判断が示されたという要素がある。
2番目の個人請求権の認定について、日本は「救済なき権利」とし解決を韓国に丸投げしてきた。しかしそうではなく、ちゃんと話し合う場をつくる根拠になりうる。
3番目に慰謝料請求権は、日韓請求権協定で解決されていない。国家がもつ外交保護権も韓国政府には存続している。この問題で、日本政府と外交交渉などの場で協議する権利がある。ただ韓国政府が日本政府に対し、明確にこの権利を行使していないのは事実だ。
また本来、日本企業が被害者たちと話し合える場をつくることが重要なのに、日本政府が「国際法違反の状態を放置する韓国政府」と非難しているので、企業も追随している。

強制連行について、外村大東大教授が昨年10月日本記者クラブで解説した。朝鮮人は、炭坑、港湾荷役など労働環境が劣悪で日本人が忌避する職場に動員されることが多かった。「法令に基づいた徴用だったかどうかや強制だったかどうかが問題ではない。朝鮮の人達の自己決定権を奪って動員したという実態を認めて反省し、植民地主義を克服することが課題だ」と結んでいる(出石直氏のリポート)。徴用自体は1944年からでそれまでは募集や官斡旋だったが、一言でいえば、法的根拠なしに朝鮮人を動員できたことに植民地支配の暴力性があるということだ。
外務省はウェブサイトに強制連行被害者問題(日本政府がいう「旧朝鮮半島出身労働者問題」、メディアのいう「徴用工問題」)を掲載している。
「旧朝鮮半島出身労働者に関するファクトシート」は、日韓請求権協定で「請求権に関する問題が完全かつ最終的に解決され」「全ての請求権について,いかなる主張もすることができない」、それにもかかわらず下した大法院判決は、明らかに協定違反で戦後の国際秩序への重大な挑戦だとする。大法院判決が協定の解釈であるのに対し、外務省は協定2条の1と3を引用しているだけで、日本がこの協定をどう解釈するかについての議論がまったくない。ちゃんとした説明を聞かないと日本政府がなにを考えているかじつはわからない。しかしだれも質さない。
予備会談の1年近く前に決まっていた日本政府の方針
もうひとつ1961年5月10日の第5次日韓会談予備会談の小委員会の会合文書(北東アジア課作成)を掲載し、「日本側が個人保障を提案したのに韓国側が断った根拠」としている。それは読み方として正しくない。
第5次会談の61年5月という時期は韓国で4月革命が起こり李承晩から張勉へ政権が移行した少し後で日韓関係が好転するかと期待されていた時期だ。日本政府は個人請求権を持つ人に手渡したいといい、韓国も個人に手渡したいが、支払いは韓国政府の方で国内措置の問題として処理する、と答えた。
今年2月14日外務省が開示した北東アジア課極秘文書「対韓経済技術協力に関する予算措置について(1960年7月22日)はその1年近く前の文書だが、趣旨は次の内容だ。
 1 財産請求権は、交渉が困難かつ長期に及ぶ可能性が強いので一種の「棚上げ」とするのが適当である。
 2 日韓会談を早期に妥結するには、韓国側に、過去の償いということではなしに、韓国の将来の経済及び社会福祉に寄与する趣旨で経済協力及び援助を行う意義がある。
この文書は6枚とメモ2枚なのでそう大きなものではない。外務省の「日韓国交正常化交渉の記録」に収容されているのにその原文書がなく、日韓会談・全面公開を求める会の開示請求に対し「昨年(2019年)12月末にいったん「不存在」と回答した。こちらは92年8月のNHKスペシャルで取り上げられたので、ないはずがないと考えていた。それを今年2月14日に一転して「開示決定通知」を出し、入手したものだ。
原文に赤字で「こんな多額の無償援助は韓国の要求をすべて確定的に放棄させないと大蔵省や国会など日本側の支持をとうてい得られないであろう」と追記してある。
請求権の問題を、経済協力でやるならこうだ、ああだという話を先取りしている。
61年5月の予備会談小委員会の1年近くも前に、日本政府は、請求権は棚上げにし、完全に請求権を放棄するならその見返りとして経済協力というかたちで「つかみ金」的に1億ドル程度応じるというベースの方針を決めていたことを明確に示す文書である。
この文書は55年もたってやっと開示された。韓国では日韓会談関係文書は全面的に開示されている。請求権のことを考えるとき、まだまだ公開されていない日本の外交文書をきちんと公開し議論することが必要だ。
被害者不在の加害者中心アプローチから被害者中心アプローチへ
日韓協定締結までの日本側の対応は、被害者不在の加害者中心アプローチだった。植民地支配の不法性・加害性を認めず、「日本の支配が鉄道、港の建設など朝鮮人に恩恵を与えた」などと正当性を主張した。そこで韓国は植民地時代の法律関係を前提とする主張をすることになったため、貯金や未払金などの財産請求のみ行い慰謝料の請求を行わなかった。日本政府は資料開示の誠意を見せず、韓国側に(被害の)立証責任を負わせて日韓交渉が妥結した。
その後、韓国は2005年に日韓会談関係の文書を公開し、請求権協定で解決されない問題が残っていることが明らかになった。大法院は12年に徴用工被害者の損害賠償請求権を認めたので、18年判決はその追認で、いまに至る。
一方、日朝国交正常化交渉はいまも継続しているので、今後の日朝交渉にもこの大法院判決を対話の基礎にせざるをえない。
わたしたち日韓市民、そして南北朝鮮の市民が平和の展望を語ろうとすれば、やはり「被害者中心アプローチ」になる。そしてただ戦争がない平和にとどまらず、人権が認められ一人一人が人間としての尊厳が守られ生活できる東アジア世界をつくる積極的平和を築くうえで、この大法院判決はひとつの道しるべになるだろう。

金曜行動の市民の「声よ集まれ、歌となれ」の合唱
そのあと、韓国からのゲスト、チュ・ジェジュンさん(安倍糾弾市民行動政策委員長)の「2020年朝鮮半島情勢」の報告があった。2018年6月の米朝対話開始後の現在、膠着状態に陥っていること、金正恩朝鮮労働党委員長が2019年末の党中央委員会で自力更生で正面突破するため戦略兵器の開発を開始し、アメリカの出方次第で「上向調整」するとの方針を示したこと、文在寅大統領が昨年に比べると南北対話の当事者の姿勢を示し始め、市民もキャンドル革命以降南北の平和を築く自主的意識が広がりつつあること、そのためには安倍の改憲や軍国主義に反対する日本の市民と、韓国の保守勢力や保守的マスコミと闘うキャンドル市民の連帯が重要であることをアピールした。その他、ノレの会の「ノーアベソング」や金曜行動の市民の「声よ集まれ、歌となれ」の合唱が披露された。

『日の丸・君が代』ILO/ユネスコ勧告実施市民会議発足集会 この集会は人物写真が禁止だった
新型コロナによる日本列島パニックにより、29日夜に予定されていた新宿アルタ前のキャンドルアクションは中止、本来予定されていた韓国ゲスト、パク・ソグン安倍糾弾市民行動共同代表は医療関係者で、もし訪日すると帰国後2週間自宅待機になり支障があるため訪日できなくなった。米韓軍事演習が延期(残念ながら中止ではない)になったのはよかったが、3月のこの時期に多く予定されていた朝鮮関連のイベントが次々に中止となった。
枝川朝鮮学校での映画「アイたちの学校」、「第19回南北コリアと日本のともだち展」も延期になってしまい残念だった。ことに枝川は昨年10月の上映会が台風のせいで一度延期になり2度目なので、気の毒だ。
そんななか3月1日午後「『日の丸・君が代』ILO/ユネスコ勧告実施市民会議発足集会」が日比谷図書文化館で開催された。朴金優綺パクキム・ウギ 在日本朝鮮人人権協会)さんのファミリーヒストリーも含んだスピーチが印象に残った。父方の祖父母は1930年代に息子と島根に移り、母方は1940年代末に岡山の朝鮮学校1期生となり朝鮮語の読み書きを学んだ。朝鮮学校は48-49年に閉鎖されようとしたが64校が何とか存続してきた。それを2010年からの高校無償化のなかで朝鮮学校のみを政治的理由で適用でず、昨年10月からは幼稚園保育園の無償化からも外した。これは日本政府の差別的対応と言わざるをえない、というものだった。

オモニ会連絡会のアピール
また東京朝鮮高校生の裁判を支援する会は、昨年8月の最高裁の不当判決により裁判での救済は不可能になったが、2月23日の総会で「朝鮮学校「無償化」排除に反対する連絡会(略称・無償化連絡会)に改組して活動を続けるとのことだった。わたくしも、ショックと落胆状態が続いていたが、少し気を取り直した。
次々にイベントが中止になり、社会が暗く重苦しくなってくるこの雰囲気、いつか体験したような気がしていたが、ひとつ思い出した。89年秋の昭和天皇下血騒動のときだ。歌舞音曲「自粛」が数カ月続いた。
逆に考えると、天皇制と新型ウィルスには似ている点があるのかもしれない。社会と人の生活全体を回りから包み込むというか、人体の細胞に入り込み悪さをするというか・・・。
あのときは、民放の命はCMだったはずなのに、最後はCMすべて自粛というところにまで行ってしまい、これでも「主権在民」の憲法の社会なのかと思ったのだが・・・。

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