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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

「日の丸君が代」強制反対、卒入学式前の2.6総決起集会

2011年02月15日 | 集会報告
卒入学式の季節を前に2月6日(日)午後、今年も都教委包囲首都圏ネットワークの総決起集会が飯田橋の東京しごとセンターで行われた(参加200人)。
3時間あまりで、じつに20人もの方がスピーチし、なかには40分の講演ありジョニーHさんの子どもの気持ちを歌った新曲発表ありと、聞く側にとってちょっと聞き足りなさの不満感が残るほど盛りだくさんの集会だった。会場はいっぱいとなり、200人の参加者の「日の丸君が代」反対の熱気は、屋外の街宣車の勢いを吹き飛ばすほどのものだった。

●連帯のあいさつ
まず各地域・各方面から「連帯のあいさつ」があった。横浜の18区中8区(生徒数では53%)で自由社教科書が採択された神奈川、和田中夜スペ訴訟を闘う杉並区、朝鮮学校緊急アピール、大阪で初の「日の君」処分が出た門真市、兵庫県阪神地区の方からのスピーチだったが、朝鮮学校授業料無償化を求める緊急集会について紹介する。
2月4日、高木文科大臣は朝鮮学校授業料の無償化手続きの審査手続きを再開しないことを発表した。昨年2月末、中井洽拉致問題担当相(当時)の横やり発言からこの問題が発生しすでに1年になる。この間日本人も含めた市民は、昨年3月、6月9月と大きな集会を開催し、参加者はどんどん膨らみ9月には1500人もの人が集まり三宅坂から東京駅までデモを行った。2月26日(土)に、代々木公園で2000人規模の大集会を開催する。

●学校現場から
校長が好き勝手なことを行っている義務制の状況、TAIMSというあたかも教員監視用のようなパソコンが導入された都立学校、生徒数が激増する特別支援学校の現実が、現場の教職員から報告された。
三鷹の中学では、校長が教員の自己申告書や出勤簿を偽造し、市教委から振り込まれたおカネを私用に流用したことが発覚し、校長は停職3か月、副校長は減給1か月1/10の処分を受けた。これも校長への権限の一極集中の弊害だという耳を疑うような報告があった。
都立高校定時制では昨年4月300人の追加募集を実施した。一般には不況の影響と説明されるがじつは違う。1990年代後半に始まった東京再集中と人口増加による中学3年生の在籍推計を都教委が読み違え、定時制の統廃合を強行し「都立高校改革推進計画」を修正しなかった結果にほかならないと、精細な分析が報告された。

●基調報告と講演
見城赳樹さんから基調報告があった。
99年の国旗国歌法制定、2000年の国立市の教員処分、03年の10.23通達から始まった都教委に対する反対運動は、04年教育基本法改悪反対と教員の大量処分で大きく盛り上がった。その後06年に教育基本法が改悪され全国連絡会が解散しこの流れはトーンダウンしたが、東京では抵抗運動が引き継がれた。
いま運動は後退しているがこの現実を見据える必要がある。社会的背景として、相対的に豊かな正規労働者と年収200万円以下の非正規労働者との「分断」がある。この分断政策を許さず、ひとつに団結することが重要だ。非正規労働者と手をつなぐ運動をつくりだし、本当の民主主義の社会をつくろう。そうすれば日本も変わるし世界も変わる。おおむねこのような趣旨だった。
元教員の佐々木賢さんの「教育と貧困」という講演では、日本だけでなくイタリア、フランス、アメリカなどでも進む若年層の失業の増大、所得格差の拡大がデータをもとに説明された(講演の詳しい報告はこちらで読める)。

●予防訴訟控訴審判決の報告
1月28日の控訴審判決について、原告団から「注目」の報告があった。
この訴訟は、国歌斉唱とピアノ伴奏の義務がないこと(公的義務不存在確認訴訟)、不起立不斉唱、伴奏しないことを理由に処分してはならないこと(差止訴訟)、そして国賠訴訟の3つから成る。判決で前2項目は却下すなわち門前払い、国賠訴訟は棄却というものだった。内容は、06年の一審難波判決を意識し、大きなポイントををひとつずつつぶしていくことが特徴だった。
まず予防訴訟という訴訟形式が妥当がどうかがひとつの争点で、進行協議でも大きな問題になっていた。
一審難波判決以降、10.23通達は校長に対し発出したもので、教員に発出したものではない、だから教員が差止を求めることはできないと都教委の主張を支持する判決が続いた。ところが今回の高裁都築判決は、通達は一体のものであり、さらに教員への処分性もあることを認めた。そこまではよいのだが、その先に落とし穴があった。処分性があるから取消訴訟の提訴が可能である、したがって予防訴訟は訴えの利益がないという理屈である。判決は、形式は妥当であり合法だが、訴えの利益がないとして却下した。だまし討ち判決である。
却下すなわち門前払いなので、次は損害賠償の判断に移ればよいのに、この判決は奇妙なことに「本案の判断」という項目を置いている。そのなかで、これまでにないことを述べている。国旗国歌法成立前に、日の丸君が代は慣習法として確立していたというのだ。たんなる慣習ではなく法的に有効な慣習法だという。そして旭川学テ判決の一部を引用するが、学テ判決では「学習指導要領は大綱的な遵守基準として有効」としていたのを「法的拘束力を有する」とする。慣習法として以前から確立していたので、10.23通達による起立斉唱の義務を法的に有効だとした。すなわち一審難波判決の「日の丸君が代は国民の間で宗教的、政治的にみて価値中立的なものと認められるまでには至っていない」という部分の完全否定である。
国賠訴訟の思想信条の自由(憲法19条)については最高裁ピアノ判決の結論の部分を採用し、さらに重要なことは教育委員会は教育現場に介入できるとしている。この点は07年解雇訴訟・佐村判決以降と同じだ。
またこれまでの判決にないこととして信教の自由(憲法20条)に関し、日の丸君が代は国家神道と密接不可分ではない、したがってキリスト教の教義に反するとはいえないと述べている。判決は宗教教義にまで言及し、判断している。

●裁判闘争・被処分者から
義務制の「日の君訴訟」の状況、昨年5月業績評価裁判で一審勝訴しいま控訴審を闘う世田谷の小学校の大嶽昇一さんの報告、最高裁で闘う板橋高校・藤田さん、今年も不起立を貫く決意の都立高校教員、府中君が代処分の中島暁さん、八王子の夜間中学の近藤順一さんから発言があった。
最後に、君が代不起立で停職3か月処分を受けた渡辺厚子さん(北特別支援学校)と根津公子さん(あきる野学園)のスピーチがあった。
渡辺さんの発言の一部を紹介する。

3月23日がわたしの最後の卒業式になるが、しっかり座っていきたい。これまでの教員生活で何を残せたのかと思うが、状況はますます厳しくなっているので、自分が闘い続ける姿をみてもらうことしか残せるものはない。都教委はおそらくわたしに処分を出すだろうが、がんばりたい。
わたしは、生徒のための不起立と思われることは好きではない。反転すれば戦前の皇国教師の姿が目に浮かんでしまう。韓国にずっと関わり闘ってきたわたしの人生、子どもたちと誠実に向き合った教員としての人生、さまざまな自分の人生のなかで、わたしがわたしであり続けたい、自分の人生を手放さないというつもりで、これまで不起立を行ってきた。
日本の加害責任を問うため日の丸君が代には屈服できない。しかしほかの旗・歌でもわたしはやはり服従しない。たとえ組合の旗であっても、強制や同調を強いる旗・歌には屈服できない。一人ひとりが自立し一人ひとりで闘う、自立と連帯の戦いで状況を変えていきたい
勝つまで闘う、闘い続けていきたい

最後に、集会決議と行動提起を採択し、「団結がんばろう」で集会を締めくくった。決議は、「日の君」強制反対、新勤評・主観制など「新自由主義教育」に抵抗する運動を広げようというもので、行動提起は、(1)予防訴訟逆転判決の不当性・反動性を暴露してい
こう、(2)現場でのレジスタンス運動を発展させていこう、(3)卒業式でのビラまきを成功させよう、の三本柱である。

☆教育裁判は厳しい局面が続いている。2月10日(木)に行われた増田都子さんの分限免職取消訴訟の控訴審判決も残念な結果に終わった。判決は、「ノ・ムヒョン大統領への手紙」事件への戒告処分、懲罰的な長期研修、古賀都議の処分への介入、他の事例と比較して重すぎる分限免職処分のいずれの面も都教委と千代田区教委の主張を全面的に採用するものだった。要するに教員は、教育委員会の言うとおりにやれ、やらなければ長期隔離研修でも分限免職でもなんでも好きなようにやってよいということを裁判所が認定するひどい判決である。
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