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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

「領土ナショナリズム」をはねかえせ

2011年02月21日 | 集会報告
朝から夕方まで1日中雪が降り続いた2月11日建国記念の日、例年のように「2.11反『紀元節』行動」が千駄ヶ谷区民会館で開催された(参加100人)。
まず基調報告が発表された。昨年9月の「尖閣諸島」沖での中国漁船衝突を機に沸き上がった「領土ナショナリズム」の嵐、共和国の延坪島(ヨンビョンド)砲撃事件を利用した軍拡への「国民意識」づくり、新「防衛大綱」の閣議決定、沖縄の辺野古・高江の状況などの状勢分析を踏まえ、いまなお戦争責任・植民地支配責任に向き合わない日本と天皇制を批判し、今年も全国植樹祭、国体、海づくり大会の三大イベントに反対していく、というものだった。
引き続き太田昌国さんの講演が始まった。尖閣・竹島など個別の課題ではなく、全体のなかでの位置づけというスタンスで、領土ナショナリズムや「継続する植民地主義」をテーマにしたお話だった。

「領土ナショナリズム」をはねかえせ
          太田昌国さん(編集者、民族問題研究)

●意識のなかに潜む「継続する植民地主義」
植民地主義は、第二次大戦後、アジアやアフリカの国が独立を遂げため崩壊したという考えが長く続いた。しかし一方で「継続する植民地主義」という主張も生まれた。わたしもこの問題意識を共有する。どういうところで「継続している」のか、考えてみる。
昨年は、藤村新一の旧石器捏造事件が毎日新聞のスクープで暴露されて10年の年だった。藤村氏は、日本にはないとされていた前期旧石器を「神の手」により東北地方で次々に発掘したが、じつはそれは本人がひそかに埋めた縄文石器だったという事件である。この背景には、考古学者が自分が生きる地域で、より古く、より大きく栄えた文明があったことを競い合ったという事情があった。自国の歴史が、より古い世界にまれな発展段階を示していたという主張をすること自体が、自己中心的な歴史観を日常レベルで用意したといえる。
われわれの日常的な歴史意識を形作るものとして、進歩的文化人と呼ばれた3人の歴史学者の発言からいくつかの例を取り上げる。
井上清・京大教授(1913―2001)は「日本の歴史」(岩波新書)で、日本は島国なので歴史をさかのぼれる時点から現代までたどれるまれな国だと、単一民族国家論を展開した。そして「(現在)日本は世界で一流の文明国である」と述べた。なぜ自分の国を指して世界の国のなかで際立たせるような発言をしたのか理解できない。国家の文明を低度から高度の段階に分け、優劣をつけて比較する歴史観・文明観を断絶することは、植民地主義から脱却するうえでどうしても必要である。
江口朴郎・東大教授(1911―89)は、88年に「19世紀から20世紀初頭の転換期を、日本は明治憲法、教育勅語、そして日清日露の戦争で乗り切った。これは世界的にみて大したことであった」と語った。まるで司馬遼太郎の歴史観である。こうした考え方が、自分のなかに自分を蝕むものとして存在しないかとらえ直す必要がある。
高倉新一郎・北大教授(1902―90)は69年の「現代の差別と偏見」の「アイヌ」の項で、「ひとつの民族が消えていく。大問題だが、結局双方にとって幸せで、人類の理想的生き方であろう」と書いた。アイヌ民族にとってどれほどこの言葉に暴力性が含まれているか、著者には見えないものがあったのだろう。
後世の人からみた歴史の後知恵ということはあるにせよ、敵は外部ではなく、今なお私たちの考え方のなかに「継続する植民地主義」があるかもしれない例として、挙げた。
●近代日本帝国の領土拡大政策
日本の近代とアメリカ合衆国の太平洋進出の時代とは密接な関係がある。東部13州から始まったアメリカは、先住民族の殲滅、スペインからの土地購入、メキシコとの戦争などで西漸を続け1848年太平洋への出口を確保した。その5年後に東アジア艦隊のペリーは浦賀に上陸した。
明治維新により、日本は富国強兵など欧米列強にならう政策を準備し始めたが、その過程として版図の拡大を振り返る必要がある。まずである。維新の翌年の1869年、アイヌモシリを北海道と改称した。これが初の公式の「植民地」である。75年には帝政ロシアと千島樺太交換条約を締結して千島を獲得し、1905年には樺太の南半分を植民地にした。現在の北方4島問題はこの延長線上にある。
次にである。北海道の10年後の1879年琉球王国を併合し沖縄県とした。そのあと硫黄諸島、日清戦争のあと台湾・澎湖島を領土に編入した。年表をたどると日本帝国の意図がうかがえる。1898年米西戦争でアメリカが勝利してフィリピンを手に入れたので、台湾との国境は、スペインではなくアメリカと交渉することになった。1931年には沖ノ鳥島を手中にし、日米開戦前夜には海南島、そしてインドシナへ進出し、あの大東亜共栄圏の構想が具体化した。
は、1871年にハワイ王国と修好通商条約を結び、アメリカがハワイを強制併合した98年に南鳥島を編入した。最後に西は、日清戦争の翌年の1895年に釣魚列島(尖閣諸島)の領有宣言を行った。また同年、宮古、八重山を日本領とし、与那国島が現在の最西端となっている。1905年島根県が竹島(独島)の領有を宣言し、その5年後韓国併合を実行した。1904年に日韓議定書を強要し、独立性を奪ったうえで領有を宣言したという行為は振り返るに値する。
近代日本帝国のこの東西南北への領土拡大政策は、大東亜共栄圏という無謀な構想となり、大きな悲劇を生みだした。自民族だけでなくアジア太平洋の諸民族へ悲劇を強いることになった。近代日本の歴史から教訓を得るための振り返りとして考えていただきたい。
尖閣諸島の問題に言及する。二国間で境界紛争があるとき、19世紀後半の国民国家の枠のなかでやりとりしてももはや解決不能な時代である。別な水準で、国家主権をはずし共同利用・共同開発する知恵を双方の当事者が編み出す必要がある。そこから未来社会のイメージが生まれる。
●政治・軍事のことばで語らない
鹿野政直氏が『「鳥島」は入っているか――歴史意識の現在と歴史学』(岩波書店 1988)という本を書いている。第二次大戦後の日本の歴史学の中央偏重、東京中心史観を、内在的にとらえ直した書物だ。この考え方は島尾敏雄のヤポネシア論をヒントにしている。島尾は「日本は多数の島から成り立つ。たとえば奄美の地図を描くとき、徳之島の西の方の鳥島(硫黄鳥島)を落としても平気という気持ちをなくしたい」と書いた。はじっこなので落としてもよいという考えを是正したいという重要な視点だが、明治維新後の版図拡大図として鳥島をみると違う視点がみえてくる。ヤポネシア論から50年たったいま、あらためてこの大事な論点を振り返る必要がある。
昨年来、尖閣諸島や独島の問題を中心にわき起こった東アジアの情勢を考えるとなかなか解決のメドは立たない。政治や軍事のことばで語られる関係各国首脳のことばはあまりにも貧しい。しかし民間のテレビ・新聞に出ているどうしようもない評論家や、ネット上でいたずらに煽られるナショナリズムによって増幅に増幅を重ねている。
どのようなかたちで解決しうるのか。困難な問題であり、長い時間がかかるが、可能性は政治や軍事のことばでものごとを語らないところにある。それをどうやって徹底させることができるか、とことん試みるしかない。
映画・音楽・演劇・美術など人間が自己表現する文化芸術の分野では、国境を越えて共同で作品をつくることは当たり前のことになっている。わたしが関わる出版では、翻訳出版によりある国の文学や歴史読物が紹介される。その積み重ねが、政府指導者の人を惑わすナショナリズムの言動に集約されないような、一人ひとりの根拠を形作るのではないだろうか。私たちはそのようなところに希望を置いてたゆみない歩みを続けていくしか、この困難な時代を突破する方法はない。
唯一冷戦構造が残る東アジアで、愚かなことを言い続ける諸国政治家を追い詰め、別の世界をつくり上げる努力を続けていきたい。

講演のあと、3・1集会実行委員会、「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会、沖縄緊急アクション、辺野古実、立川テント村の5団体からそれぞれの会の集会とアピールがあった。
12月21日ヘリパッドの建設予定地である沖縄の高江で沖縄防衛局の100人が杭打ちを始めた。23日には米軍のヘリがホバリング(空中停止)して反対住民のテントを吹き飛ばした。この間の情勢を沖縄タイムスや琉球新報は報道しているが、首都圏ではまったく伝えられていない。現地ではいまも24時間ストが続いている。

☆降りしきる雪のなか、原宿から渋谷へデモを行った。いつもと違い出発地点には右翼の姿はみえなかったが、明治通りに出るとやはり大きな日の丸を掲げたグループが現れた。竹下通りからは2人の暴漢が突入しようとし警官に押さえつけられていた。またデモ隊と逆のラフォーレ側の車道には街宣車が何台か並び「反天連、ぶっ殺せ!」などと絶叫していたが、その間に機動隊の車が列をなして壁をつくっているので、よく聞こえない。
また公安がカメラだけでなくビデオでしつこくデモを撮影していた。それに抗議し、しばらくデモが中断する事態も生じた。
雪にもかかわらず旧GAPの前には、20代の若い人が大勢繰り出していた。
「建国記念の日反対、天皇の記念日はいらないぞ!」「天皇制の戦争責任を追及しよう」「植民地支配の責任を取れ」「天皇制反対!」というデモのシュプレヒコールは届いたのだろうか。
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