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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

国際法の暴力と植民地主義

2011年02月08日 | 集会報告
雪が散らつくほどの曇り空の1月30日(日)、田町駅近くの港区勤労福祉会館で「国際法の暴力を超えて、植民地主義と人種差別を克服するために」というテーマの集会が開催された(主催:東アジア歴史・人権・平和宣言運動実行委員会)。
はじめに東アジア歴史・人権・平和宣言運動について説明があった。2001年9月南アフリカのダーバンで開催された世界会議で各国政府がダーバン宣言を採択した。この宣言は「植民地支配下で行われた奴隷制は『人道に対する罪』であると初めて国連レベルで認めたものだ。ただしアメリカとイスラエルは採択に加わらなかった。この運動はダーバン宣言の東アジア版をつくろうというものである。現在宣言のたたき台はできておりこれから韓国その他東アジア諸国・諸地域に検討してもらう段階にきている。4月3日に記念講演1つ、3つのシンポジウムから構成される大規模な集会を行う。そして9月に発表大会を開催する計画だそうだ。
この日は3人のパネリストから講演があった。司会は俵義文さんが務めた。

1 国際法の暴力はどこからくるのか  前田朗さん(東京造形大学)
19世紀後半から20世紀初頭にかけ、西欧列強が世界を分割し植民地を正当化する論理は国際法だった。国際法は支配された方からみると、まさに暴力だった。東アジアにおける日本植民地主義を問うには、世界全体の植民地主義のなかで位置づける必要がある。
国際法の暴力性を問ううえで昨年出版された1冊の本が大いに参考になるので紹介したい。阿部浩己「国際法の暴力を超えて(岩波書店 2010年9月)である。
著者は「国際社会のあり方を規定してきた国際法.その価値中立的な装いの下には,先進諸国が主導する国際秩序を正当化し,そこからはみ出すものを排除する暴力性(欧米中心主義)が隠されている.排除されてきた「他者」(女性,「南」,民衆……)の視点から国際法を読み直し,真に自由な社会の構築を模索する」と述べている。
1648年のウェストファリア条約以降、国際法が成立したが、それは近代国家だけのあいだの取り決めに過ぎず、国家を形成しない諸人民の権利はいっさい認めるものではなかった。ただし著者は、国際法を単純に否定するわけではない。この国際法をいかに組み換え乗り越えるか。ひとつの手掛かりは国際人権法である。伝統的な国際法には個人は存在しなかった。世界人権宣言ではじめて個人が登場したが、それは抽象的な市民、すなわち白人、男性、国籍をもつ健常者という人間像を中心に据えている。これに対し、運動の理屈を織り込み、女性、「南」といった「他者の視点」を取り入れて国際法を組み替えようという構想である。
次に帝国主義法と近代法の関係を考える。尖閣諸島など領土問題で国際法批判が持ち出されることがある。しかし領土問題を論ずること自体、じつは帝国主義の土俵の上にいることを自覚すべきだ。先住民の視点から国際法を問い直すわかりやすい例として北方領土を挙げる。
日本では無主地先占論が知られている。所有者のいない島については最初に占有した者の支配権が認められるというものだ。日本政府は、尖閣諸島(釣魚島)、竹島(独島)、北方領土(南クリル)の領有は、あたかも国際法で是認されているかのようにこの論理をふりかざす。しかしどの国際法のどこに書かれているか知る人は少ない。これは「発見の法理」の一部を構成する概念だ。
「発見の法理」の詳細な批判的研究書「先住民の土地を発見する――イギリス植民地における発見の法理」(オクスフォード大学出版 2010年)には、「最初の発見」「現実の占有と所有の継続」「先取権」など10の主要な論理が紹介されている。「最初の発見」とは他国に先駆けて発見した西欧国家がその土地の所有権と主権を取得するもので、「現実の占有と所有の継続」は基地建設や兵士の派遣による占有だ。その7番目に「無主地」がある。他に居住者がいない土地についても同様に発見の法理が適用されるというもので、西欧人はこの言葉をゆるやかに解釈し、実際には先住民族が居住していても、人間として認めないので無主地と称した。アイヌモシリ(北海道)、クリル(千島)、サハリン(樺太)にはアイヌ民族等が先住していたのにその存在を無視して、日本とロシアが勝手に国境線を引いた歴史を想起すべきだ。
19世紀後半の帝国主義法を批判するときに、それだけではなく1648年のウェストファリア体制以降350年の植民地近代の国際法全体、すなわち資本主義的近代そのものを見据えることが重要である。

2 東アジアで植民地主義を超える――「文明」と「野蛮」の構図が問題
         徐 勝
(ソ・スン)さん(立命館大学)
●人権は普遍的か
人権は普遍的なものだろうか? 普遍的であるならなぜ奴隷制があったのか、封建的身分制度があったのか説明がつかない。そもそも人権は、公権力を統御し、公権力の暴力から防御するため考案されたフィクションである。フランス人権宣言で明らかにされたように、人権は人一般の生来の普遍的権利として主張された。はじめは国民国家の内なる差別に対し、次に国家集団間の差別に対し、さらに国家の壁を越えた人一般の普遍的権利として、権利の実現が拡大し主張されてきた。
●文明と野蛮 
西欧世界で形成された近代法は、外に向かっては文明と野蛮という世界観を前提に、暴力としての国際法として立ち現れたので、非普遍的・特殊なものだった。アヘン戦争以降東アジアに本格的に現れた西欧列強は文明の使命を看板に「野蛮」を支配侵略し、不平等条約を押し付けることを当然とした。野蛮や未開に人権は認められず、侵略支配することが義務と認識された。
文明が支配・侵略・搾取を踏み台にして繁栄するなら、そのような文明はもともと本質的に野蛮といわざるをえない。グァンタナモやアブグレイブの暴虐をみれば明白なように、文明の名で支配と侵略、人権侵害が今日でも正当化されている。
●沖縄と朝鮮
沖縄の知念ウシは「ウシがゆく(沖縄タイムス社 2010年)で「沖縄は、琉球処分、あるいは薩摩の支配のころから日本の植民地だといわざるをえない。沖縄は薩摩やヤマトの人から頑迷、固陋、不潔で『野蛮』と位置付けられてきた。だが日本人のようになるのは筋違いだ。『野蛮』を徹底しよう」と主張する。
日本は、明治以降、本質的に野蛮な文明を模倣したどり着こうと必死に努力した。日清・日露の戦争を経て朝鮮半島を犠牲にし「資格証明書」を西欧諸国の前に提出し、帝国主義国家の末席に加えられた。韓国併合の翌1911年、条約改正により一人前のメンバーシップを得た。その結果どうなったか。1945年敗戦を迎え310万人の死者を出す無惨な結果となった。軍人の死亡の7割近くは餓死で、アジアの人もいっしょに餓死させた。
●東アジアと日本
東アジアに対する債務を日本は返済していない。近代以降の債務を決済してはじめて日本の未来は開けてくる。日本なくして東アジアはなく、東アジアなくして日本はない、というのがわたしの持論だ。
人が人を支配し差別するには、一方が優れ一方が劣っているという論理が必要だ。「植民地にすることは自分たちの使命で当然だ。自分たちはよいことをしている」という文明と野蛮の構造がなければ存在しない。差別、朝鮮人差別という日常的な差別の根底には、「優れたものと劣ったもの」という概念が実際の暴力に支えられてきた歴史があったから、今日存在するのだ。
わたくしは、東アジアの諸国諸民族が協力していくときの基準として、また普遍的人権を普遍的なものとするとき依拠する文章として、そして運動のための武器として、東アジア歴史・人権・平和宣言を実現させたい。

3 東アジアにおける沖縄の位置をめぐって
         矢野秀喜
さん(東アジア歴史・人権・平和宣言運動実行委員会事務局)
●沖縄を「日米同盟」深化のキー・ストーンに
昨年12月17日菅内閣は新防衛大綱を閣議決定した。これは中国を敵視し、これまでの北方重視から南西重視・島嶼防衛への転換、冷戦型の基盤的防衛力から機動力重視の動的防衛力への転換を図るものだ。キー・ストーンは沖縄であり、再び沖縄は軍事拠点となる。政権が変わっても何も変わらなかった。
知念ウシさんは「普天間基地は沖縄にはいらない。押し付けたのは日本だから本土が引き取れ」と主張する。2006年に沖縄を訪問したドゥドゥ・ディエン国連人権委員会特別報告者は、日本に対し米軍基地集中や文化的差別について沖縄差別の是正を勧告した。
●日本にとっての沖縄
大田昌秀・元県知事は「こんな沖縄に誰がした(同時代社 2011年11月)で、こうした構図のはじまりを琉球処分から説き起こしている。琉球国は薩摩藩と清に両属していたが1879年明治政府は武力をもって沖縄県を設置した。日本は清との交渉で、八重山と宮古を清に割譲する提案を行ったが清が拒否した。沖縄が日本に帰属すると考えていたならそんな提案はしないはずだ。45年2月の近衛上奏文は、敗戦必至なので和平の呼びかけを提案したが、天皇は拒絶しその1か月後に沖縄戦が始まった。沖縄は本土防衛の捨て石として使われたのである。終戦後の47年天皇はアメリカに沖縄の長期租借をもちかけた。沖縄は、天皇制維持のため交渉材料として使われた。72年の本土復帰後も米軍専用施設の75%が沖縄に集中している。
●沖縄のなかで起きている変化
いま沖縄でいくつかの変化が起きつつある。昨年11月の県知事選で保革ともに、普天間代替基地の県内移設に反対を主張し、県民の98%が賛成した。それまでは保守は、経済振興と引き換えに基地の受け入れを是認してきた。
また昨年5月末、鳩山政権(当時)が日米合意を交わしたことをきっかけに、琉球独立の動きが台頭している。6月23日の慰霊の日には「琉球自治共和国連邦独立宣言」が発表された。
●東アジアのなかでの沖縄の位置
15世紀の尚真王は琉球王国のいっさいの武器を廃止し、平和維持の手段として日本、中国、東南アジア諸国との交易を選択した。交易はほぼすべて国営だった。琉球は非武と交易で栄えた。琉球処分で王国が消滅した後、沖縄は日本、ついでアメリカに支配された。
いまの差別に対処する決定権は沖縄にある。1960年の国連決議「植民地独立付与宣言」の付帯決議で、独立国をつくることも、(日本との)連邦を目指すこともできるとされた。本土の人間がああしろ、こうしろとは言えない。
われわれは基地の押し付けと新基地建設反対を行ったうえで、沖縄の人がどうするか見守るしかない。こうした問題も、東アジア歴史・人権・平和宣言をつくるなかで議論していきたい。

3人の講演のあと質疑応答があった。なぜ日本のNGOは東アジアではなくフィリピン、インドネシアなど南へ広がるのか、朝鮮学校支援をしていてめげる気持ちも起こるがどうすればよいか、社会主義国が国際法に与えた影響、沖縄独立論についてなど、さまざまな視点から議論が起こった。

☆徐勝さんは今年3月で定年を迎えるので、最終講義を1月に終えたところだそうだ。2月には沖縄を訪問し知念ウシさんと対談を行い、沖縄タイムスに3回連続の記事が出るとのことだった。ちょうど週刊読書人1月28日号で、鎌田慧氏の「ウシがゆく」の書評を読んだところだったので興味深い。
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