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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

杉並アニメミュージアムの「トキワ荘のヒーローたち」

2011年01月19日 | 博物館など
荻窪の杉並アニメミュージアムで企画展「トキワ荘のヒーローたち マンガにかけた青春」が開催されている(2月20日まで)。トキワ荘は、ご存じのとおり、豊島区南長崎にあった2階建て木造モルタルアパートで、2階10室のうち7室に、1953年から60年ごろまで手塚治虫、寺田ヒロオ、藤子不二雄(A,F)、石ノ森章太郎、赤塚不二夫らが次々に住んだ漫画家の梁山泊ともいう「聖地」である。
展示内容は2009年11月に豊島区立郷土資料館で開催されたのとほぼ同じだった。違うのは8ミリの上映で、池袋では藤子の「キヤツをネかすな」だけだったのが、杉並では石ノ森章太郎の「東京1/3周」もビデオで上映されていたことだ。また隣室のアニメシアターで『おそ松くん』(88)、『ドラえもん』(79)、『サイボーグ009』(2001)、『ブラック・ジャック』(04)などが連日上映されていた。
そして、池袋は会場全体が撮影禁止だったが、こちらは寺田ヒロオの四畳半の部屋(復元)だけは撮影可能だった。

ちゃぶ台には、寺田が党首の「新漫画党」の宴会で使われたチューダー(寶焼酎3対サイダー7の飲み物)の三ツ矢サイダーのビンやバヤリースのビン、とっくり、盃などが並んでいた。仕事机にはライトテーブルが上に乗っており、消しゴムカスを払う羽根ぼうき、黄色い電球のスタンドなどがあった。傍らには唯一の暖房器具・火鉢が置かれていた。
本棚には、坪田譲治全集、小川未明童話全集など童話の本のほか、太平記、義経記、長岡市史、川本町史などが収められていた。

トキワ荘のメンバー多くが動画に関心をもっていた。手塚はその後虫プロをつくることになるし、鈴木伸一はアニメ作家として活躍する。トキワ荘では新漫画党8ミリ審査会も開催されていたほどだ。みんな新しもの好きだったが、とりわけ石ノ森は8ミリが発売されたとき一番に飛びついた(丸山昭「トキワ荘実録」小学館文庫 p160)
石ノ森の「東京1/3周」は上野から始まり、東京駅、皇居、桜田門、建築中の東京タワー、羽田空港などが映し出される。東京タワーが1/3ほど立ち上がったところだったので撮影年代は1958年春ごろと推測される。58年春というと、石ノ森の美しい姉が急死したころだ。観光バスで見るような風景が多いが、エンディングは羽田の遊覧飛行の航空写真だ。隅田川、勝鬨橋、東京港などが写っていた。当時はいま以上に高額料金だっただろうが、石ノ森はぜひ飛行機に乗り、地上を見下ろしたかったのだろう。
アニメシアターで2001年版の『サイボーグ009』の第一話「誕生」をみた。大画面のせいもあり迫力があった。
藤子の「キヤツをネかすな」は締切に追われる漫画家と編集者の映画で、2人とも付けヒゲを付けているところがおかしい。オープニングは、パラマウント映画を真似て、富士山が噴火するカットを入れ、締切時間が迫る場面は模型のSLを走らせて象徴し、エンディングはアンパッピーエンドとハッピーエンドの2種類をつくるなど、結構手が込んでいた。またトキワ荘がなくなったいまとなっては、廊下や玄関を出て通りへ出る道などは貴重な映像である。

ところでトキワ荘の住人に森安なおやという人物がいた。最近「「トキワ荘」無頼派 漫画家・森安なおや伝(伊吹隼人著、社会評論社 2010.10)という本を読んだ。
1934年岡山市生まれ。高校在学中に田河水泡に認められ、53年上京して内弟子となる。秋には一人暮らしを始めるが、生活のため日動映画社(現在の東映アニメ)や牛乳販売店を転々とする。そのころ寺田ヒロオと知り合い54年7月新漫画党のメンバーとなる。鈴木伸一の部屋に同居するかたちで56年2月トキワ荘に転居する。家賃を滞納しこの年の暮れには転出するが、その後もトキワ荘にちょくちょく出入りしていたので、転出したと気づかない人も多かった。締切にしても生活習慣にしてもなんでもマイペースで、迷惑をかけられた人は多かった。それでもあまり憎まれないキャラクターだった。
その後、キャバレーのマネージャーやプレハブ建設の仕事に従事するが、漫画を捨てきることはできなかった。95年には岡山城築城400年イベントで「烏城物語」を出版した。その後、99年5月立川の都営アパートで病死しているのが発見された。わたくしは見ていないが1981年5月のNHK特集「わが青春の『トキワ荘』」の一方の主役であったらしい。
この本に「赤い自転車」(1956)の復刻(10話127p分)が収録されている。小学6年の姉みよこと2年の弟たっちゃん、そして母の3人の貧しい母子家庭の健気な姉弟を描いた物語だ。内容は、姉弟が母の得意先に仕立物を届ける場面から始まり、弟の交通事故、運動会、自転車を買うための貯金、落し物の大金と引ったくりによる横取り、弟の新聞配達と肺炎による緊急入院、病院でのクリスマスの自転車の練習と続く。警官、医者、落し物をした経営者、自転車屋の主人など大人の登場人物がすべて性善説のように「いい人」として描かれている。
いままでみたこともない漫画だった。一言でいえば「胸を打つ童話のような漫画」である。なつかしさを感じさせるが「ちびまる子ちゃん」のようなリアルさはない。寺田の部屋に、坪田譲治、小川未明、新美南吉などの童話が並んでいた理由がわかったような気がした。漫画がいまとは違う方向に進んでいたら、こういうオルタナティブな世界もあったのかもしれない。なお大きなコマはすべてローアングルの絵で、これは小津安二郎の映画の影響だそうだ。
「こけし地蔵さん」(57)のあらすじが本書78pで紹介されている。こどものない老夫婦のところで、地蔵の化身である雪という女の子が育てられるという竹取物語と鶴の恩返しをミックスしたような話である。会場には「少女さくら」(1960ころ)の貨車で移動する少女、「母滝、子滝」の足をケガした少女と馬子の母の絵がそれぞれ4pずつ展示されていた。

展示されていた富野由悠季の机
会場の杉並アニメミュージアムは区立のミュージアムだ。日本のアニメの歴史、監督・作画監督・美術監督の仕事とアニメ制作の流れ、デジタルアニメの現状、アフレコや効果音の体験ブースなどのコーナーがある。日本のアニメの歴史は、基本は東映アニメのギャラリーでみたのと当然ながら同じだが、1917年1月の「芋川椋三玄関番之巻」に始まり、「関東大震災以降の第二世代の作家たち」「戦争とアニメ」といった項目立てがされていて、より体系的だ。わたしのようにせいぜい「風の谷のナウシカ」(84)あたりまでしか知らず、「AKIRA」(88)や「GHOST IN THE SHELL」(95)のころからアニメの世界を知らない人にとって、ためになった。また2005年当時のアニメ監督・富野由悠季、アニメーター・後藤隆幸、背景作家・(ゆき)信三の机が展示されていた。
4階のライブラリーでは、漫画の単行本やアニメのDVDはもちろん、古川タク、大河原邦男らへのインタビューのDVD、高畑勲、宮崎駿らの著書も閲覧できる。
このミュージアムの館長は、オバQの小池さんのモデル、鈴木伸一だ。鈴木はトキワ荘で森安なおやと4か月間同室だった。森安が師匠・田河水泡から譲り受けた巨大な机を持ち込んだので、とても狭い空間だった。

住所:東京都杉並区上荻3-29-5 杉並会館3階
電話:03-3396-1510
開館日:火曜~土曜日
開館時間 10:00~18:00(入館は17:30まで)
入館料:無料
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