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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

朝ドラ100作、そして新宿の居酒屋2店の思い出

2019年07月20日 | 博物館など
NHK放送博物館企画展示室で「朝ドラ100の物語――昭和・平成の朝を彩ったヒロインたち」をみた。1961年の第1作「娘と私」に始まり、今年4月放送開始の「なつぞら」でちょうど朝ドラは100作を数える。この展示は100作すべてのタイトルバック画像と数点の写真、絵葉書写真、ポスター、グラフNHKの表紙などで構成されている。なお、この企画展に限らず、博物館内の展示は残念ながらほぼ全部撮影禁止だった。

時期区分は、60-70年代は20年、80年代以降は10年ごとだった。そのブロックごとにテーマ曲付きのタイトルバック動画をみられる。ただし2作「あしたの風」、9作「信子とおばあちゃん」など4作はNHKにもタイトルバック映像が存在しないそうだ。あのNHKですら、と驚いた。また21作「おていちゃん(1978)以降は原則としてポスターも加わっているので、どうやらこのあたりから広報戦略として朝ドラのポスター制作が始まったようだ。大ヒット作の31作「おしん(83)は別格のようだ。日本だけでなく海外でも朝ドラの人気が高く「海を渡ったヒロインたち」というコーナーがつくられていた。「おしん」はシンガポールで視聴率80%を記録し、中国語、英語、スペイン語版がある。「おしん」以外にも85作「カーネーション(11)はポルトガル語版がありキューバで40%などを記録したことや「ごちそうさん」(英語版)、「とと姉ちゃん」(スペイン語版)などの海外版が出ていることは知らなかった。

なつぞら」だけは、写真・ポスター以外にアニメータ・刈谷仁美が表紙イラストを描いた8-14週(5月20日から7月6日放送分)のシナリオ7冊の展示があった。話には聞いていたが、たしかに美しくウキウキしてくる。

週刊テレビガイド(1962創刊)29冊が展示されていた。「おはなはん(66)以降、48作「ひらり(92)までの27年で、28号の表紙写真を飾っている。この時期が第一次黄金時代ともいえる。その後88作「あまちゃん(13)が22年ぶりに表紙となった。
その他「連続テレビ小説と語り」という動画があった。ナレーターはアナウンサーや俳優が主だが、76作「どんど晴れ(07)を木野花がやっていたとは知らなかった。青森出身だからか。89作「ごちそうさん(13)の大阪の焼き氷のような「思い出の料理」、74作「鳩子の海」の「日本よ日本」や88作「あまちゃん」(13)の「地元に帰ろう」のような「思い出の音楽」というトピックス動画も作成されていた。
タッチパネルで、タイトル+数分の動画を視聴できる「朝ドラ100映像アーカイブ」が設置されていた(スマホ、パソコンでもこのサイトの「作品一覧」から視聴できる)。
15作「水色の時」(75)から放映期間が年1本から原則として春秋2本へ切り替えになった。ただし31作「おしん」(83)、46作「君の名は(91)、52作「春よ、来い(94-95)は例外的に1年番組だった。
小学生のころ4作「うず潮(64)のテーマを聞き、中学生のころ6作「おはなはん(66)や7作「旅路(67)を見た覚えがあり、いまは毎朝みているので、時計代わりにずっと朝ドラをみているような気がしていたが、タイトルを通してながめてみるとそうではないことがわかった。まず学生のころは、朝はちょうど登校時間なので、テーマ音楽の初めのほうだけ、その他は夏休み・冬休みにたまにみる程度なので、ストーリーまではわからないことが多い。就職すると忙しくまったくみていなかったり、一時期は時計代わりにTBSの朝ドラをみていた時期もあった。わりにみるようになったのは9時半始業の会社に移り、地下鉄開通で通勤時間が短くなった54作「ひまわり(96)あたりからだ。放送開始が15分早まり8時始まりになった82作「ゲゲゲの女房(2010)あたりから、近年ということもありはっきり覚えている。この時期に「生活ほっとモーニング(1995―2010)が終了し有働由美子・井ノ原快彦の「あさイチ」が始まった。朝ドラ後のNHK版朝のワイドショーも人気番組となった。
結構、自分の生活パターンや生活リズムと同期していることがわかった。
また82作以前で印象の強い作品は限られていることがわかった。6作「おはなはん」、7作「旅路」以降では「肉弾(68)で映画デビューした大谷直子の9作「信子とおばあちゃん(69)、大学に入学したころ賄付き下宿で朝食を食べながらほぼ毎朝みていた12作「藍より青く」(72)、卒論などでバタバタしていたころ秋野暢子、中田喜子、三田和代のなかなか豪華なルームメイトたちが主人公だった16作「おはようさん(75)、つかこうへいの劇団で活躍した知念正文が福島地裁での司法修習の同僚を演じた54作「ひまわり(96)、飛騨高山が舞台だった66作「さくら(02)、父の事業失敗、主人公(本仮屋ユイカ)の不登校と珍しく暗いストーリーだった72作「ファイト(05)、徳島の雑誌社が舞台だった81作「ウェルかめ(09)などだ。前にも書いたが、一番好きなのは池田のパン屋の四姉妹の話の69作「てるてる家族(03)だ。ヒロインの四女・冬子(石原さとみ)がきれいなのはもちろんだが、わたくしはなぜか三女の秋子(上野樹里)がいちばん気になった。最終回のグランドフィナーレ「若いってすばらしい」のリレー歌唱は忘れられない。ほかは、みていたころはストーリーもわかっていたのだろうが、ストーリーだけでなくいまとなっては主演女優の記憶すらあやふやになっている。
印象に残っている作品は、個人的想い出とリンクしていることがわかった。

夜の新宿・歌舞伎町(利佳はこの通りの左側にあった)
100作「なつぞら」で主人公・なつ(広瀬すず)が下宿している「風車」という新宿のおでん屋がある。店主は岸川亜矢美(山口智子)で、戦後一度再建したが廃業したムーラン・ルージュの踊り子という設定だ。ちなみに山口智子は41作「純ちゃんの応援歌(88)のヒロインだ。またなつの母は54作「ひまわり(96)のヒロインだ。過去のヒロインが数十年後に母親役で出てくることは朝ドラでは多い。
さて個人的想い出ということで、新宿の居酒屋で個人的印象が強い店が2つある。
20代後半のころ、東京厚生年金会館近くの「せっせっせ」という店にしばしば通っていた。店主は芹田槇子さんという方で、東京放送劇団出身の方だった。「なつぞら」でなつの兄・咲太郎は声優プロダクションを設立する。テアトル・エコーの設立(法人化)が1957年、青二プロ設立は少し遅れ69年だが、放送劇団と近い業種だ。お母さんと2人でやっていたので、料理のメインは手作りお惣菜で、ボトルとしてサントリーのホワイトを置いているのが特色だった。もっともわたしはもっぱら日本酒を飲んでいたのだが。カウンター中心だったが、2階に宴会ができるテーブル席があったように思う。
有名な方では、椎名麟三氏(1911―73)が初期のころ来ていたそうで、年に一度くらいやっていた店のパーティで、椎名さんを偲ぶ短編の朗読を聞いた覚えがある。わたくしは出会ったことはないが、安田祥子・由紀さおり姉妹が来ていたそうだ。わたくしが会った方では神戸出身のイラストレーター・灘本唯人さん(1926―2016)がいる。一度「奥飛騨慕情」をアカペラで歌うのを聞いたことがある。
わたくしの実家が京都のはずれだというと「加藤順漬物店の柴漬けが好きだ」といわれた記憶や、地方転勤が決まったとき客とともに「万歳」で送りだしてもらった記憶がある。
この店はわたくしが転勤しているあいだに、店主が病死し消滅してしまった。

もう一軒、40代になってから行きはじめた店で歌舞伎町「利佳」がある。ママさんは1921年くらいの生まれだったと思うので当時70代だった。新橋の洋食店の娘というから「ごちそうさん」のめ以子(杏)のような育ちだったのだろうか。戦後51年ごろ新宿のバー「どれすでん」に勤務し、その後「プロイセン」を経て中村屋裏手の「ととや」に移った。ここは織田作之助夫人が初代ママで、青野季吉や高見順が客の文壇酒場だったようだ。
その後1959年に自分の店「利佳」をもった。この店は地上の店だったが、80年にビルの3階に移転した。
吉田精一さんをはじめ東京教育大学国文科の方、新庄嘉章さんなど早稲田の仏文科の方、文学者の筋からサイデンステッカーさん、朝ドラにも出てきた紀伊國屋書店の田辺茂一さん、文春の池島信平さん、狂言の野村万作さん、能の観世栄夫さんなど多彩な人々が客として来店した。朝ドラでは田辺さんと並び「藤正組」元親分が客として登場するが、そういう人は知らない。ただ「新宿利佳の20年」の座談会を読み返していて駅近くに尾津組マーケットがあり、親分が「人物」だったとある。
わたくしが通っていたころも国語学・国文法の先生、英文の先生たちもいたが、やはり普通のサラリーマンが多かった。ただ年輩の女性が1人でやっているので、夜遅く客のいない時間に知らない人が入るとこわいからという理由で「会員制」の札を店内の目立つところに貼っていた。
安藤ママが引退し、2000年に跡を継いだのが荒木かずほさんだった。この人は都立高校を出て劇団の養成所に入り、店のママになったころも女優と二足の草鞋を履いていた。
しかし、飲食の店の経営は難しく2008年閉店した。家賃も高いなか、いまから考えると長くがんばられたと思う。2006年に路上演劇でコントをやることになった。わたくしは黒マスクに黒マントの悪役だったが、店が始まる前の時間に2回ほど発声など指導していただいたことがある。
歌唱や日舞は必修科目だと言っていた。

利佳のカウンターと荒木ママ(2008年ごろ)
「なつぞら」の居酒屋に始まり、酒場で出会った人の思い出にふけり始めるとキリがない。アルコールが入っていなくてもこれだけ楽しめる。「酔生夢死」とはまさにこんな状態のことかもしれない。当時はタバコをつまみに酒を飲んでいたようなところがある。人生も煙のようなものだ。「なつぞら」には歌手「煙カスミ」という役名で戸田恵子が出てくる。チコちゃんに「ボーッと生きてんじゃないよ!」と怒鳴られそうだ。しかし「老人力」とはこういうものかもしれない(と、強弁しておく)。
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