多面体F

集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

紙上討論とはどんな授業か 3

2008年01月01日 | Weblog
生徒にとっての紙上討論
生徒の意見がどのように深まっていったか、時系列でみてきた。紙上討論授業は、相互の意見交流のなかで生徒が自らの意見を確立する有効な方法であることが理解できる。
しかし、この授業方法は、はじめからすべての生徒に肯定的に受け入れられていたわけではない。
「恥ずかしい」「自分の考えが人に知られてしまう」「人が自分で考えて出した結論に反対意見を出すのはおかしい」「(作文は)めんどい」「紙上討論の代わりに授業をたくさんやってほしい」という感想をもつ生徒もいた。
それは紙上討論について、増田さんがあまり詳しい説明をしなかったことにもよる。紙上討論の本質が「自分の頭で考える」ことであったため、増田さんは、紙上討論の意味についても生徒自身に考えてもらおうとしたからである。
12月に配布した「ビデオ「沖縄米軍基地」の感想文を読んで考える3」「「富国強兵」「殖産興業」を考える?」では下記のような強烈な批判もみられる。
増田先生はひつこい。僕達じゃ何もできないんだから教科書の勉強をしたほうがいい。増田先生はなぜそんなに米軍基地にこだわるの?だったらアメリカとタイマンしたら?  (1組)
なぜそこまで紙上討論を行うのですか?目的は分かりましたが、自分の意見を貫き通せれば、それでいいのですか?この紙上討論に反対したり、実際、この紙上討論のせいで傷ついたりしている人もいるのではないですか?先生は、授業中、他人に迷惑をかけている人にはきちんと「減点」という形で注意を呼び掛けています。でも生徒一人一人の気持ちを考える思いやり、ということにたいしては、はっきり言って欠けていると思います。それに、この紙上討論に生徒の名前を載せることで、プライバシーの侵害になるのなら、生徒に、「このプリントを外部の人に見せるな」と言うより先に、先生がちゃんと考えて名前を伏せるべきなのではないですか?もっと生徒の気持ちを考えてください。  (2組)
増田先生は、自分の考えを押し付けているみたいだ。別に資料を生徒に見せて「学びあう!」ということはいいけど、増田先生の場合、この人が合ってるとか、一方的だと思う。  (1組)
人の意見にたいして、いちいち口出しするのはそれこそ「人間もどき」だと思う。その人は、自分で考えて出した結論なのだから、そのことに対して「賛成」はともかく、「反対」するのは、おかしいと思う。(4組)
1時間、1時間を無駄にしないでください。来年になると受験なのに、無駄にする時間を作らないでください。(1組)
これらの批判に対して増田さん自身が「あなたは『押し付け』られて自分の意見を変えますか(略)」「反対意見こそ人間社会を進歩させてきました」などとコメントを付けているだけでなく、2月の紙上討論では生徒から反論も出ている
紙上討論続けましょう!自分の意見を持つことは大切だと思うから・・・増田先生の言葉遣いがいやだな、と思う人もいるけど、確かに増田先生の言葉遣いはキツイ。けど、間違ったことは言ってないと思う。紙上討論は意味のないことじゃないと思う。(4組)
紙上討論をやってきて、今まで自分の意見もいろいろ変わったし、人の意見をたくさん聞いて、自分なりに反対や賛成などのいろいろな考えを持った。これまで考えられたことは、すごくいいことだと思う。今の自分の意見は、まだまとまらないけれど、戦争についての考え方が深まった。沖縄の現状は、ビデオなどでしか分からないから、本当には分からないけれど、自分なりにできることとして考える、(略)
紙上討論は、いろんな人の意見が知れて、私は自分のためにも他の人のためにもなっていると思う。  (4組)
1-2カ月おきに合計17回の紙上討論を続けた結果、はじめは否定的な感想をもっていた生徒が、翌年3月には肯定的感想を持つようになったことに注目したい(感想文を提出した52人のうち27%に上る)。
たとえば上記で「人の意見にたいして、いちいち口出しするのはおかしい」と反発していた生徒が3月には「でもわたしの意見が変わった。それは、増田先生は紙上討論を通じて、私達に一つの事(テーマ)について「いろいろな意見を出し合い、考えあうこと」を教えてくれているんだと気付いたから。私は「正しい事は正しい、間違っている事は間違っている」と堂々と生徒に教える事のできる増田先生の意志はすばらしいものだと思う。増田先生、紙上討論に反発してごめんなさい」(4組)と述べている。
紙上討論は、「自分の頭」で考え、「他人の考え」を参考に、さらに自分の考えを深めることを何度か繰り返し、自分が体験してはじめて重要性に「気づく」授業方法であり、時間を要するからだ。
初めは反発していたが、3月には考えが変わった例をいくつか紹介する。
こんなことして何もためになってないんじゃないかな?って初めての時は思ったけど、今はビデオとかいろいろ見て本当の歴史を学んだし、紙上討論で、自分の考えるチカラっていうのが「身についた」んじゃないかな?と私は思う。みんなの意見は本当にばらばらで、それについて考えていったり、その意見に対しての新しい見方が発見できたり、私は、この紙上討論は、良かったと思う。  (1組)
紙上討論は、自分のが載るとすごく恥ずかしかったけど、みんなが、どういう意見を持っているかが知れていいんじゃないかと思った。  (2組)
私は一年間、紙上討論をやって、とても良かったと思う。でも最初はちょっと抵抗もあった。周りの人が反対していたから。『あ、これはやっちゃいけないモノなのか?なあ?』・・・と。けど紙上討論をしてみて、いろいろなことを学べた。先ずは、本当の歴史の授業をやったような気がした。本当=真実の歴史が分かってきたので、これからは、こんなことがないように未来の日本を変えなきゃ・・・と思った。それと紙上討論から、今まで、こんなことが学べる、とは思ってなかった事が学べた。それは「他人の意見」を知って、それから考える、ということ。今まで『この人、何考えてんの?』って感じの人や、一度も話したことのないヒト・・・そんな人達の意見は、すごく、ためになった。(略)
他人の意見を読んで『そうだよねぇ』って思ったり、『じゃあ、その問題を解決するには・・・』って考えたり、絶対に無駄になんてなってない!米軍基地問題、北方領土の問題、本当にあった昔の出来事・・・まだ一年間では消化し切れなかったこともあった。だから、これは、増田先生の授業を受けられなくなっても、自主的に知りたくなったし、知らなきゃいけないと思う。この一年の紙上討論で、脳みその線がふえた・・・ハズ!先生、ありがとうございました。  (4組)
紙上討論を始めてから、間もない頃、友達が嫌っている事が分かり、私自身も「紙上討論」について反発していた。だけど紙上討論を進めるにつれ、一つの問題を知るに当たって、自分の考えや、みんなの考えを聞いたりして、「良く考える」ということを学ぶ事ができた。今でも「紙上討論」を嫌がっている人もいるかもしれない。増田先生が「紙上討論」をする事を、いいふうに言わない親達もいる。どうして事実を知ることが、そんなにいけないの?実際、事実を知って傷ついたりしたことはあった。でも歴史上にも事実を知らされずに殺されていった人や、事実を教えなかったことで戦争になっていったこともあった。だからこそ、私達にも「事実を知る権利」があると思う。  (5組)
自分の意見を自分の頭で考え、意見・考えを学年の170人に伝え、お互いに批判し合いながら個人が考えた「以上」の新しい第三の意見が生まれ、思考が発展していく紙上討論は普通の教員-生徒の関係からは成立しにくい。ではどういう基礎的条件が必要なのだろうか。
まず生徒との深い信頼関係が必要である。
増田さんは「減点しないで、お姉さん!」と書いた生徒に「お兄さん、よく考えて!授業中、常識的な行動がとれない=授業を進めるのに迷惑なこと、をしておきながら、テストでは、そんなことをしたことのない子と「同等に」扱えなんて、そんなド厚かましい要求するなんて「恥知らず」なのではないだろうか?と考えてください。」との和気あいあいのコメントを付けている。足立十六中に赴任してわずか1年足らずで、生徒との信頼関係(ラポール)を作り上げていたことに注目すべきである
それだけではない。紙上討論が成立した背景には、増田さんの強い信念と教師という職務への使命感があった。
どんなに「いや」でも、向き合わなければいけない事実があること、逃げてはならない事実があること、ごまかしてはならない事実があること、を子供達に教えるのは、大人の大切な義務だと私は考えます。(略)「私達の社会」の歴史、現在の問題について、子供達の「知る権利」に答えるために私の仕事があるわけですから、私はまず「事実を知り、考えさせること」をさせていきます。
不正に対し、断固として「意見を貫きとおす」姿勢は、未来の主権者達の不正との戦いを励ますことになるでしょう。相手が子供であれ大人であれ、誰であれ「不正」への沈黙は「不正への共犯者」となるのですから。
紙上討論は、大人と子どもに差をつけない増田さんの裂帛の気合、凛とした姿勢が生み出したものにほかならない。

増田さんは、1年の紙上討論の最後に「先生から生徒達へ」という一文を掲載し、次の文で締めくくっている。
「一年間のあなた達との精神的格闘(「教育は精神の格闘技だ!」?)は、疲れましたけど、とても楽しかったです!」
1年間紙上討論を続け3月に生徒が提出した「紙上討論の感想」で、下記のような肯定的な感想が90%に及び(感想提出者数52 うち47が肯定的感想)、かつ、ほぼどのクラスでも同様の結果が見られた。

写真は2007年12月16日の集会より
98年3月提出の「紙上討論の感想」より
●一年間紙上討論をすることによって、自分と違った意見を知ることができ、また考える力を身につけることができたと思う。だから紙上討論は大切だと思う。 (1組)
●一年間の紙上討論はしてよかったと思う。知らないでいたことが、分かってきたから。それに、そういうことに興味を持つようになることは、良いことだと思う。知らないより、人間、知っていたほうが誰でもいいと思うから。知ったからといって損はしないし、傷ついたとしても、また同じ過ちをしないと思う。「真実は隠すものではなく公表するものである」から。紙上討論は続けて欲しい! (2組)
●一年間、紙上討論をして、たくさんのことを知ることができた。考える事が、私達中学生にもできることの一つだと思うけど、知らなかったら、考えることも何もできなかったから・・・また、たくさんの人の意見を読んだことによって、自分の中で、たくさん考えることができた。考える事が、すべての行動の始まりだと思うから、日本の社会の現実を知った上で、自分の意見を持つということができたので、私は自分のためになったと思う。反対する人がいるけど、先生、頑張って!!  (4組)
●私は一年間、紙上討論を続けて、身近で『民主主義』を学べたように思う。誰かが「私達、中学生が意見を書いても意味がない」と書いていた。確かに、そうかもしれない。でも、私は、そうは思わない。だって、これから日本を動かしていくのは、私達なのだから・・・だからこそ、中学生の今から「事実を知る」そして「考える」、これが、これからの日本の平和、そして世界の平和につながっていくのではないかと、私は思う。  (5組)

典型的な感想は下記のようなものである。 「自分と違った意見を知ることができた」「(みんなの意見について)考えていったり、その意見に対しての新しい見方が発見できた」「他の人の考えが分かったし。そして、どんどん考えが深まった」
「人の意見をたくさん聞いて、自分なりに反対や賛成などのいろいろな考えを持った」
「考えあうということは大切だと思った」「考える力を身につけることができた」「考える事が、私達中学生にもできることの一つだ」「考える事が、すべての行動の始まりだと思う」
「現実の問題や、過去の問題を深く考えることができたのはよかった。深く物事を考えることの大切さと必要さを忘れないようにしようと思う」
すなわち、自分と違った意見を多く聞き、自分なりに考える訓練をし、さらにみんなの意見を聞いた結果自分の考えを深めることができたと言っているのである。
次回は紙上討論授業の意義について考える。

                 前に戻る  つづく
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 反天皇制は「改憲」状況にど... | トップ | 紙上討論とはどんな授業か 4 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Weblog」カテゴリの最新記事