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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

紙上討論「ノ・ムヒョン大統領への手紙」3

2009年01月20日 | Weblog
賛成・反対に分類しにくい中間の意見
旧2C●ノ・ムヒョン大統領へ。私は最近まで「なぜ韓国の人々は、こんなに長い時が過ぎても、昔のことを忘れようとしないのだろうか?」とか「なぜ、いまだに反日感情がなくならないのだろうか?」と思っていたのですが、いろいろと歴史を習っていくうちに、昔、日本がどれだけ残酷なことを韓国の人たちにしてきたのかを、少しずつ知り、あんなことをしてきたのならば、韓国の人々が、まだ昔のことを引きずってきているのもしかたないのかな」と思うようになりました。
ですが、そろそろ和解してほしいです。韓国の人々の心の傷は深いかもしれませんが、現代の日本人が、そういう傷を与えたわけではありませんから、現代の日本人に反日感情を抱き、恨んだりしてもしかたがないと思います。もちろん、今を生きている私たちも、過去のことについて、しっかり考えていきますが、少しでも早く、韓国と日本が「仲の良い国」になれるように願っているので、許してくださると嬉しいのですが・・・最後に、少し、上の内容と変わってしまいますが、「法的なことだけでは解決」させられないものだとしても、日本の「謝罪のしかた」について、いちいち、ドイツと比べるのは、やめてほしいと思います。
旧2C●ノ・ムヒョン大統領へ。まず、初めに謝らなければならないことがあります。僕は小さい頃、たとえ近隣であろうとも、絶対に日本人以外の外国の人と話したくありませんでした。でも、歴史を勉強して、僕の心は大きく変わりました。「戦争」「侵略」「虐殺」などを知り、これからは日本以外の人や国と協力をしていかなければいけない、と思うようになりました。僕の学校の近くには、いろいろな国の人がいて、その中には僕が友達になった人もいます。僕が戦争の話をすると「昔に起ってしまったことは、もう、しかたがない。それよりも、これから戦争をなくすために、世界中が力を合わせるべきなんだ。昔のことをいつまでも根に持ってないで仲良くなれればね・・・」と言われました。僕は「僕と君は、こんなに仲がいいじゃないか。それに僕も戦争のことについては、そう思ってるよ。これからは世界中が協力をするべきだよね」と言いました。
最後に一つ言わせてください。たとえ住んでる国が違っていても、地位が違っていても、現代は「戦争をしてはいけない」という人が多数を示すでしょう。このような世界に生まれた僕ですから、少しでも、世界のためになれるように頑張ります。


2008年12月、多田謡子反権力人権賞受賞発表会にて
紙上討論を1年続けた結果、賛成にせよ反対にせよ、自分の体験や学習を踏まえて自分なりの意見を考え、しっかり表現できるようになったことがよくわかる。

3年になり前期は公民的分野の「憲法」を学習するので、4・5月は「基本的人権」学習が中心になった。
「平等権」学習では、指紋押捺拒否問題で活躍された女性ピアニストのチェ・ソンエさん著の岩波ブックレットの一部を資料とし、「チェ・ソンエさんへの手紙」として意見感想を書かせた。
「自由権」学習としては、「靖国神社問題」「教科書検定問題(三省堂の高校世界史Bの筆頭執筆者である専修大学教授の西川正雄氏が朝日新聞に、文部省の検定により、いかに書き換えを迫られたかを投稿された記事を使用)」「日の丸・君が代の強制問題」を「思想・信条の自由」の学習として考えさせた。
上記の意見は、3年生6月末に公民的分野・憲法で行った「3年生紙上討論1」というプリントで配布され、さらに活発に以下のような意見が交換されている。
3B●旧2Cの「そろそろ和解してほしいです。(略)現代の日本人に反日感情を抱き、恨んだりしてもしかたがない。仲良くしたい」の人へ。そうだね。真の歴史をちゃんと教えて怒りを手に入れるのではなく、仲良くなるべきだよね。いつまでも昔のことを根に持ってたら、進歩がないし。「反日感情」とか、いい加減聞き飽きたし、ウザイし・・・なので、仲良くなってほしい。
3A●旧2年C組の方へ。「(略)すべてを清算することが、両国にとって経済的に一番いいのではないでしょうか?」とありますが、その考えは間違っていると思います。確かに経済的には「清算」する方がいいと思いますが、韓国にとっては、大切な「心」の問題だから、そう簡単に「清算」することはできないんじゃないでしょうか。それに、あなたは「両国のために」と書いていますが、私には「自国=日本」のことしか、考えているようには見えません。もっと、本当に「両国」のことを考えてください。
3A●旧2Bの人に! まず、一言。本当にあなたは日本が過去、中国や韓国にどんなことをしたか知っているんですか? 知っていたら「水に流して・・・」なんてありえないでしょ?
あなたは「『南京大虐殺』や『第二次大戦で日本軍がしたこと』を知ってショック」とか書いているけど、口で言う(紙上討論だから「紙に書く」かもしれないけど)ことなんか、実際にやるより10000倍は楽なんですよ。たとえば、あなたが「他人1000人の命を助けるか」「自分一人の命を助けるか」と迫られたら「自分の命」を選びますよ、口では「1000人の命を助けます」とか言ったって。TVドラマ(映画も)「海猿」ってのがあるでしょ?
「源」って人、自分のパートナーを船において逃げたでしょ? 自分が死にそうになったら、そーなるんですよ、現実は。つまり「ショックを受けた」なんて、あなたは言うけど、授業で知るまで何も知らないでいたのに、こんな少しのこと知っただけで「水に流して・・・」とか言えないっしょ?
何の罪もないのに殺された人は「水に流して・・・」で、許してくれるか?
3A●みんなの意見を読んだけど、みんな日本と中国・韓国が「本当に和解してほしい」みたい・・・でも、普通のケンカみたいに、「どっちかがガマンすればいい」ってもんでもないし・・・やっぱり、私は全世界が全世界とも和解してほしい。だって、同じ人間なんだし・・・でも「和解」「和解」って言うけど、具体的にどーゆーことをすれば「和解」できるんだろ?
日本が謝ればいいの? そこんとこ、よく分からないから教えてほしい! やっぱり、これは政治問題で、私たち凡人には何にもできないの? (「?」ばっかでごめんなさい)
3C●旧2Cの人の「法的なことだけでは解決させられないとしても『日本の謝罪のしかた』について、いちいちドイツと比べるのはやめてほしい」という意見に賛成です。自分が他人と比べられるのはイヤダし、それが「国」となると、あんまりいい気はしません。たとえ、自分がほめられるような比べられ方でも、イヤダと思います。
3A●旧2年C組の方へ。「過去は全部水に流して」と簡単におっしゃいますが、そうすると、日本はいまの「無責任な国」のままで、終わってしまう気がしません?
私も「過去は水に流し」お互いに良い関係を築いていければ一番いいと思いますが、そのためには、まず、きちんと謝罪すべきだと思います。「日本はいつまでたっても自国の罪を認められないダメな国」などと思われてしまうこと、それこそが私には、とても屈辱的であると感じられるからです。
あなたの主張の中にある「経済支援をするかわりに、もう過去のことは言わない」・・・てことですが、これって、武力で押さえつけていた昔よりも、もっと卑怯な感じがするのですが・・・「お金で黙らせているのでは?」と思えてなりません。これでは日本は「悪者」のままだと思います。ですので、やはり、謝罪はしっかりすべきだと、私は思います。


他の生徒の意見をしっかり読み、自分の考えをさらに深めていることがみてとれる。これらの意見は「3年生、紙上討論2」として9月の授業で行うことを生徒たちに予告されてており、増田教諭は既に夏休み中に印刷を終えていた。しかし、この紙上討論プリントは、生徒たちの手に渡ることはなく、生徒が書いた意見は、生徒たち自身の目に触れることはなかったのである。
すなわち、増田教諭が8月末に戒告処分を受け9月1日から研修センターに送られたため、この紙上討論は幻となり、ここで中断した。戒告の理由は「3年生紙上討論1」にある2つの文言(扶桑社批判と古賀発言批判)が「不適切」だというものだった。
古賀俊昭都議(自民・日野選出)が大江近・都教委指導部義務教育心身障害教育指導課長、総務部総務課長、人事部職員課長を呼びつけこの教材プリントを示し、『問題があると思うので調査するよう』命じたことがきっかけであると2008年9月8日の免職取消訴訟で大江氏本人が証言した。都教委は千代田区教委に調査を命じまたたくまに隔離研修処分が決定した。
この授業が継続していれば、足立第十六中学の紙上討論のように「第三の意見」が出るなど、さらに九段中学生の考えが深まっていったことが予測される。

なお、2回にわたる「ノ・ムヒョン大統領の演説」への紙上討論で、増田教諭が差し挟んだコメントは下記2つだけであった。
旧2B「(韓国は)1965年の国交正常化の時に『経済支援をするかわりに、もう、過去のことは言わない』という条件で支援をした」に対し
「それは事実であり、ノ・ムヒョン大統領の3・1演説の中の『法的、政治的関係の進展』という言葉は、そのことを指すと思う。ノ大統領は、さらにその先を日本に問い掛けているのではないか? 『法的、政治的進展だけでは両国の未来を保障することはできないでしょう。』と。『もしそうであるならば、やるべきことをすべてやったとは言うことはできません。それ以上の実質的な和解と協力の努力が必要であります』」とノ・ムヒョン大統領演説の解説をし、5つの国の対応を5人の人物にたとえて、問題の本質を説明したコメント
3A「日本がきちんと謝罪しないのも悪い」という意見に
実は、日本政府は何度か「謝る」ことはしているとして、1995年の村山談話、05年4月小泉純一郎首相ジャカルタでの戦後60年演説を紹介したコメント。
さらにノ・ムヒョン大統領の演説から派生した意見に対するコメントまで範囲を広げても、下記2つが加わるだけである。
旧2C韓国が小泉首相の靖国参拝をやめろと言うのは内政干渉だという意見に対し、
野中広務・元自民党官房長官の発言、中国外交部の記者会見の報道、中国駐日大使の記者会見での発言、裁判所ごとに異なる靖国訴訟判決に関する沖縄タイムスの報道の紹介、靖国参拝への市民の評価を報じる神戸新聞の記事を紹介し、首相の靖国参拝は外交問題だけでなく、憲法20条(信教の自由)に関わる問題であるというコメント。
3A「私は増田先生に教わってから、ずっと『日本は悪い国だ』と思っていました」という意見に対し
「私は、これまでの30数年間『日本は悪い国だ』と生徒たちに教えたことはない。日本が悪かった(=他国への侵略戦争、植民地支配をした)のは数万年の日本の歴史のなかで文禄・慶長の役の1592~1597年の5年と1884年~1945年8月の61年だけだ」という説明
したがって「特定の歴史認識を一方的に生徒に押し付けるもの」とはいえないのである。これは、ブログでは省略したが足立第十六中学の場合も同様だった。

1年あまり7回の紙上討論により、生徒は何を得たのだろうか。次回は、生徒の感想から紙上討論授業の意義を考える。

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