多面体F

集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

コロナ禍と雨で「風」が吹かなかったれいわの都議選

2021年07月20日 | 日記

もうだいぶ古くなったが7月4日(日)投開票の東京都議選について書く。
今回は自分が住む地域では都議選はあまり盛り上がらず、足立でれいわから末武あすなろさんが立候補することを知り、何度か応援にいった。

わたしはれいわ新選組のファンというわけではないのだが、末武さんには2年前の統一地方選のとき、ある選挙事務所で2回ほど出会ったことがあり、本人が立候補されるのなら、一度応援に行こうと思っていた程度である。
なお足立区のことはほとんど知らず、50年以上前知人に会いにいったのと、30年ほど前仕事で一度訪問したくらいで土地勘はまったくない。人口69万1000人、23区で5位の大きな区だ。れいわは、東京東部で比較的所得が低い人が多く底上げが必要で、かつ昨年の都知事選の得票率が高かったので、候補を立てる選挙区に選んだという。

バタバタしているあいだに告示日が近づき、告示日直前最後のポスティングと告示日の公選ポスター貼りに行った。
すると予想に反し、人が足りているようで、ポスティングの残りは埼玉との県境の一つしかなく(そもそもチラシの残部がほとんどなかった)都営アパートのポスティングを40分程度で終え、事務所に戻ると、この日やる仕事はもうないし、翌日のポスター裏張りなどの仕事もすでに終えている、とのことだったのであきらめて帰宅した。
足立は、長く住んだ練馬と雰囲気が少し似ていた。集合住宅と戸建てが混在しており、ちらほら大きな団地がある。たまに大きな屋敷があると、どうやら古くからの農家のようだった。瓦屋根は練馬の農家より立派だった。畑も含め緑も多かった。交通は駅からのバス便が多いようだった。おそらく自民の底力が強い地域なのだろう。

立候補者は11人だったので、5候補のポスターはまだ貼られていない
告示日のポスター貼りも2地区しか残りがなかった。ポスター貼りは昼前に早々に終わった。いつもは自転車で数地区回っているが徒歩で回るのは6年ぶりだった。かつてに比べると、公選ポスターは学校や公園など公有地周辺が多いことを学習したので、手順よく回れた。
午後少し証紙貼りとチラシ折りを手伝った。作業している回りの人をみると、都内だけでなく、千葉や神奈川、遠くは兵庫や広島から応援に来ている人もいた。関東近辺のれいわファンが世田谷、杉並、足立の都議選に大勢集結している様子で、これでは人が余るわけである。

それだけでは一度も末武さん本人の街宣を聴くことができないので、選挙期間中に2度聴きにいった。
1度目は投票日の4日前夕刻の西新井駅前、山本太郎代表とペアの街宣だった。山本氏は、コロナ禍で暮らしが大変になった都民に緊急事態宣言1回当たり1人10万円の給付、事業者への損失補償支払い、オリンピック中止の政策をアピールした。末武さんも同じ政策のアピールに加え「はじめてのチャレンジ」の訴えをした。
山本さん8対末武さん2くらいの時間の配分だったので、末武さんはその程度のことしか話せないようだった。知っている人がいて腕章をお借りし、街宣カー周辺でのチラシ撒きも行えた。いつものように街頭チラシ受取りの反応は悪い。小雨が降り始めたというタイミングの悪さもあった。街宣を熱心に見、拍手していたのは、比較的高齢の働く女性と高校生くらいの女性グループだった。

最終日は綾瀬駅東口と西口の2回の街宣をラストまでみた。この会場には山本代表は現れず、参議院の舩後靖彦さんが車イスで登場し応援演説をした。舩後さんはALSで発声できないので、スタッフの女性が代読した。内容はもちろん本人が作成したもので、末武さんが都議として適任というもので立派なものだった。ただ街宣としては残念ながら足を止めて聞き入る人はすくなかった。
末武さんは、車上でなく平場に降り、パーソナルヒストリーからの体験に基づくスピーチをした。

新潟県生まれ、秋田の劇団わらび座の研究生となり役者になった。北千住のシアター1010(センジュ)の舞台公演にも出演した。劇団暮らしを10年して退団。2016年に20歳の女性が沖縄の米軍(軍属)に殺された事件に衝撃を受け、県民大会にも参加し、こうした運動に参加するきっかけになった話、上京して家賃が高いことに気づいたこと、下を向いて歩いている大人やスマホばかりみている大人が多い一方、子どもが無邪気に遊んでいる様子をみて、「子どもは希望であり、未来だ」と思っていること、「子どもたちだけはいつまでも笑顔でいられるそういう社会をわたしたち大人がつくっていく必要がある」ことなど、実体験からなので説得力があった。
また研究生を卒業した初舞台で宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」でジョバンニを演じ、「どこまでも行ける切符」を持つが、それは「あなたの1票」と同じ大切なものという話はなかなか印象深かった。
20時ちょうどの街宣最後の言葉は「あなたの1票が決めます。ぜひあなたが選んでください。あなたが決めてください。末武あすなろです。ありがとうございました」だった。
そのあと集まった応援団の一人ひとりを回って感謝してくれた。本人もずいぶん疲れているはずなのに、ここまで感謝してくれる候補者は、わたしは初めてだった。かつて川田龍平の最初の参議院選(07年)のとき候補者と支援者の敷居が低かったことに驚いたが、それ以上だった。

結果は定数6で9番目、当選ラインまで1万8500票足りなかった。投票日の4日は朝から終日雨で足立区の投票率は41%、4年前よりほぼ10%低かった。もともとコロナのため、街宣場所の事前告知もできず、山本代表の応援演説の場所時間すらサプライズの選挙だった。2019年7月の参議院選で、街宣や最終日の新宿駅西口の「熱狂」(いまの時代で考えると「密」そのもの)がれいわの武器だったので、最大の武器を失ったようなものだった。
なお杉並も定数6で9番目、世田谷も定数8で12番目と票数はふるわなかった。
おそらく近々おこなわれる衆議院選もコロナ禍の選挙になるので、戦術を見直さざるをえないだろう
全都の当選者数でみると、自公・都民ファ・維新で88、立民・共産は34、改選前比で自民+8,都民ファ-15,立民+7、共産+1。共産・公明は現状維持、都民ファが減った分、自民・立民が増えたということになる。都民ファに投票した人すべてが衆議院選で自公に投票するとは思えないが、いかんせん88対34はダブルスコア以上の差だ。今回は天候のせいで史上2番目の低投票率だったが、固定票でこれだけの差がはじめから存在すると大きい。
れいわとは直接関係ないが、今回の選挙は悪天候で史上2番目の低投票率ということのほか、期日前投票がさらに増えたという問題がある。期日前投票率は10%ほどだが、投票者だけでみれば30%に及ぶ。23区で30.2%、全都で30.1%、足立区は31.9%だった。つまり投票者の3人に1人は期日前に投票しているので、投票1日前とか2日前の電話入れはあまり意味がないということになる。本当に投票したかどうかわからないが「もう期日前で投票しました」と答える人もいるし、そもそもかけられる方からすれば選挙の電話は「迷惑電話」そのものなので、嫌われることになりかねない。
普通電話入れは、公衆電話帳ベースで行うが、いまは携帯利用者が増えていることも考えるとますます効果が薄くなる。これも公職選挙法が時代と乖離しているひとつの現象だ。

勝どき橋を通過するオリパラ反対デモ

☆れいわの政策にも「2020東京オリパラ中止」があった。新型コロナ感染者の急拡大を受け、オリ開催1週間未満となったいまですら「中止」を求める声がますます強まりつつある。
開催1週間前の7月16日夜、築地の旧・市場前から晴海トリトンの組織委員会前を経て選手村前に向かうデモの人数は120人(主催者発表)を数えた。
そもそも今回の第5波が始まったのは、6月21日緊急事態宣言を新型コロナウイルス感染症まん延防止等重点措置に緩和したころからだった。当時すでに、毎夕発表される東京の換算者数は増え始めていた。なぜこのタイミングに、と訝った人は多かった。
案の定、感染者数のカーブは急上昇し、6月21日236人だったのが、6月末には714人。7月12日に4回目の緊急事態宣言へ対策を強めたこの月曜は502人だったが、14日に1149人と連日1000人を越えるレベルになった。しかもバブル方式の選手村内部からも新規感染者が発見され、今後おそらくクラスター源のひとつとなるだろう。その際、デルタ株以上に強力な新型変異株が現れないとも限らない。
選手村と外部の人流はゼロではないので、晴海や勝どきの住人に感染すればこれは「災害」である。一方で、選手村の宿泊者そのものが、横浜港のクルーズ船乗客同様の被害に遭うかもしれない。そんなことになれば、オリンピック開始後であっても「中止」せざるをえないし、急ぎ帰国する外国人が東京発の新型コロナを地元で感染させる源ともなりかねない。「新型コロナに打ち勝った証」どころでなく「新型コロナに打ち砕かれた五輪」として永久に記憶されることになるだろう。

●アンダーラインの語句にはリンクを貼ってあります。


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