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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

白石草の「取材が明らかにした福島の〈現実〉」

2018年02月21日 | 集会報告
7回目の「3.11」が近づいてきた。福島原発事故を熱心に取材している白石草さん(はじめ ジャーナリスト、Our Planet-TV代表)の講演を阿佐ヶ谷市民講座で聞いた。
白石さんは1969年生まれ、早稲田大学を卒業しテレビ朝日系の制作会社、東京メトロポリタンテレビを経て2001年Our Planet-TVを設立、「東電テレビ会議 49時間の記録」で2014年の科学ジャーナリスト大賞を受賞した。
Our Planet-TVは9.11テロに対し報復・戦争という論調のメディアが多いなか、対話による解決を呼びかけて設立し、Standing together(みんなで声をあげ)Creating the future(一人ひとりが表現者となりよりよい未来をつくる)をミッション・ステートメントとするNPOで、インターネット放送制作配信とワークショップ開講を行っている。
白石さんの発言は、もう8年も前になるがフォーラム90の「原発を考え、死刑を考える」で少しお聞きしたことがある。
白石さんは映像ジャーナリストなので、講演もパワーポイントとビデオ動画など映像が中心だった。たとえば画像のなかには甲状腺ガンの手術動画やアイソトープ治療の厳格に管理された病室などもあった。文による講演の紹介は、かなりもどかしいことを予めお断りしておく。

3.11から7年目の福島の現状――福島原発事故の取材から考える

●福島県浜通りの現状
福島の浜通りは避難解除がどんどん進み様変りしているが、まず現状どうなっているのかお話する。
昨年春、(一部避難指示解除準備区域や居住制限区域が残るが)帰還困難区域を除き原則として避難解除され入れるようになった。JR常磐線も昨年、北は浪江、南は富岡が開業し、残る未開通は双葉、大野、夜ノ森の3駅となった。先日は「オリンピックの聖火リレーを福島で」「国道6号線を通ってほしい」という要望がいわきや双葉の地元から出された。6号線は常磐線より海側で福島第一原発の煙突が見え、帰還困難区域を通過している。そんな場所を2年後にノースリーブで駆け抜けられるようにし、政府は「世界で最も安全な原発」をアピールし、世界に原発を売り込もうとしている。
しかし富岡町役場の職員はだれ1人町に住まず、バスで2時間かけていわきや郡山から通勤している。議員で住んでいるのは1人だけ、町長も住んでおらず「町長の家を探せ」というプロジェクトがあるとの笑い話すらあるほどだ。元は人口1万人だったがいま住んでいるのは300人、うち100人は工事の作業員など新住民だ。300人のうち150人は駅前の復興住宅に住むが、元の家に住んでいる人は間隔が1キロほど離れたところに点々と住むので、夜は真っ暗ななか非常にこわい生活を送っている。
福島で最大のバス会社福島交通は、昨年まで6号線も常磐自動車道もバスを通過させていなかった。昨年1度だけ小高(おだか)中学の修学旅行をお願いされ常磐道を東京まで走らせた。
そんな場所に若いバックパッカーや鉄オタたちがホットパンツにノースリーブで遊びに来ている。
浪江や富岡は今年入学予定の子どもが、幼稚園から中学まで合わせて10-20人と聞いている。中学で3人以下なら普通は廃校だが、政府も町もどうしても存続させたいので、おそらく超小規模校として継続するだろう。
小高中学は37キロ北に避難していたが、昨春元の校舎に戻ってきた。Our Planet-TVは継続して取材を続けているが、1年生は10人、小学生は1クラス5人程度だ。「復興」のかけ声ばかりだが、実際に住んでいる人で65歳以下の人はきわめて少ないのが現状だ。
この3月でほぼすべての賠償が打ち切られようとしている。それどころか山形に避難している人たちを、厚労省の外郭団体が立退きと家賃支払いを求め裁判に訴えるという事態まで起こっている。
政府は、オリンピックを境に原発事故を克服した日本のすばらしさを世界に発信しようという戦略のようだ。

●甲状腺がん193人のいま
1986年のチェルノブイリ原発事故の際、ソ連(当時)は初期に健康被害調査を大規模に行った。一方、日本は1000人のみでしかも途中で打ち切ったので事故初期の被曝データがまったくわからず問題が大きい。2011年11月から事故当時18歳以下の38万人全員に県民健康調査を開始し、いま3巡目が終わり4巡目に入ろうとしている。その結果、193人の甲状腺がんの患者がみつかった。ただいったん経過観察になった人が後で悪性腫瘍と診断されてもその数は集計データに含まれないので、さらに人数が多いと推測される。
環境疫学の専門家である津田敏秀教授(岡山大学)は2015年に福島県中通りの甲状腺がん発生率は50倍、全体でも30倍と多発している。2巡目でも12倍の発生比率となっていることを科学雑誌に発表した。国際環境疫学会から2016年1月日本政府に、県外の被爆者にも検査し評価すべきとの勧告もあった。
しかし県の検討委員会は2016年3月「たしかに多発しているが、福島はチェルノブイリより低線量で、事故当時5歳以下の患者がいない。事故から4年でこんなに多発するのは事故由来ではない。検査しすぎたための過剰診断だ。だから検査は中止すべきだ」との見解を発表した。それから2年、国際がん研究機構(IARC)のプロジェクトに環境省が資金提供し、今春「原発事故のあと、甲状腺がんの検査はしないほうがよい」と提言する見通しになっている。
すると見つかったがんは、一生手術する必要のないがんということになる。これに対し、125人の手術を執刀した鈴木眞一教授(福島県立医大)は「過剰診断ではない。ガイドラインをしっかり守っている」と主張する。鈴木教授は日本甲状腺学会のガイドライン委員長だが、125例のうち、リンパ節転移している患者が97例(77%)、肺転移しているのが3例、甲状腺外に浸潤しているのが49例(39%)ときわめて重症化していたことを学会発表した。手術後再発している深刻な人もいる。また、1巡目ではみつからず2巡目でがんがみつかった69人のうち9割はA判定だった子どもだ。わすか2年で平均1㎝、最大3.5㎝と急速に成長している。
これを同じ程度のスクリーニングにより、福島・郡山・いわきの3市とチェルノブイリのゴメリ、モギリョフ、クリンシー、キエフなど5都市の甲状腺がん発生率を比較すると、ゴメリを除き、福島県の3市のほうが高い率になっていた。
がんと診断された子はどうなるのか、ブラックボックス状態なのだが、取材を重ね次のようなことがわかった。軽度の場合、半摘手術を行う。半摘の子が大半だが、再発すれば全摘しアプレーション治療を行う。その後、肺に転移したときはアプレーションのレベルを上げたアイソトープ治療とホルモン療法を行う。アプレーションとは、ヨウ素が甲状腺細胞に集積する性質を利用し、放射性ヨウ素を含むカプセルを服用し、ガン化した甲状腺細胞を内部被ばくさせて殺す治療のことだ。治療の前2、3週間ヨード制限食を食べ、体内のヨウ素を下げそこに放射性ヨウ素が入るので、甲状腺細胞が全部集まり死ぬ。人体そのものが高い線量になっているので、妊婦や幼児に近寄らない、水洗トイレを使用するなど管理も厳格だ。たいていは日帰り治療ですむが、肺転移すると2日間入院治療が必要になる。
特殊な施設なので都内にも6病院、東北・関東で19病院しか病室がなかった。福島では昨年、国内最大9床の病棟をふくしま国際科学医療センターの4階に新設した。取材に行ったが、遮蔽効果が非常に高いコンクリ壁を使用し、窓ガラスにも鉛が入り、鼻紙などを捨てるゴミ箱も鉛製になっている。
最近入院した女の子の話を聞いた。テレビは見られるが、人には会えずスマホも持ち込めない。何とかお願いして色鉛筆とノートを持ちこんだが、退室するときは全部捨てるという条件だった。その子は放射性ヨウ素を呑んで非常に体調が悪化し何度も吐いた。しかし吐しゃ物は線量が高いので看護師もだれも助けてくれない。一人で耐えたが、つらくて絵も描けなかった。彼女は、この治療は二度と受けたくないといっているそうだ。
この話も気になるが、もうひとつ昨年の検査で事故当時4歳だったガン患者がみつかった。いったん経過観察に分類されてその後がんになったうちの一人だったが、NPO法人・3.11甲状腺がん子ども基金の給付への応募でみつかった。これも衝撃だった。

●福島だけの問題ではない
事故直後の2011年3月20日に常総生協(茨城県守谷市)が呼びかけ、福島、茨城、千葉、宮城のお母さん9人の母乳の放射性ヨウ素を計測した。すると福島はゼロで柏で36ベクレル、守谷で31ベクレルと高い数値が検出された。あのとき何が起きていたかじつのところわからないが、米国防省のヨウ素による被曝量推計(3月11日~5月1日)では赤坂や横田(東京)も、小山(栃木)、百里(茨城)の半分程度とかなり高い。
2013年にチェノブイリから600キロ離れたドネツクの炭鉱夫の方(57歳)を取材した。事故当時4歳だった息子が13歳で甲状腺がんを発症し、まさかこんな離れたところでと思った。4度手術しいったんは寛解した。しかし20年近くたった30歳で再発し、31歳で亡くなった。甲状腺がんとはそういう病気なのだ。20年、30年たって再発し、死に至ることもある。この話を取材したとき、お父さんは苦しそうだった。
チェノブイリでは、遠く離れた低線量のところでも発症している。東京にも甲状腺がん子ども基金が給付している子どもが5人いる。少しでも子どもの首が腫れていたり調子が悪そうだと思ったら、早く病院に連れて行き、早期診断してもらったほうがよい。一度国が汚染状況重点調査区域と定めた線量が高めのところは、茨城、千葉、埼玉、岩手、栃木などに及び人口700万人になる。700万というとチェノブイリで被曝者手帳をもつ人の数と同じだ。福島を他人事とせず、息長く、そしてもっと若い人の体調にもまなざしを払うようにしていきたい。

まったく知らない話が多かった。子どもの甲状腺がんがみつかった話は知っていたが、こんなに悲惨なことになっているとは想像もしていなかった。また浪江や富岡という地名は6年ほど前にはよく聞いたが、避難解除されてもこういう状況だったことも知らなかった。
このあと質疑応答に移ったが、御用学者がなぜ生まれるか、ちっとも報道されないジャーナリズムはいったいどうなっているのか、マスコミや政府に期待できないのなら自治体職員が立つしかないのではないか、など活発な意見交換があった。
参考になることでは、活字媒体では岩波書店の「科学」が、この分野では他の追随を許さないそうだ。執筆者も科学者、ジャーナリストなどこれまでの枠組みにとらわれず起用している。たしかにバックナンバーの目次だけみても「社会のリスクと企業利益――原発事故と軍事誘導から考える」(2017.3)、「検証なき原子力政策」(2017.4)、「被曝影響と甲状腺がん」(2017.7)、「プルトニウムと再処理――日米の40年」(2018.1)といった特集が並んでいる。

阿佐ヶ谷市民講座は原則として毎月第3木曜の夕方、南阿佐ヶ谷の劇団展望で開催される。呼びかけ人は白井佳夫さん、斎藤貴男さんなど10人で、2016年から青井未帆さん、門奈直樹さんが加わった。
わたくしが阿佐ヶ谷市民講座を聞きにきたのは、2014年の青井未帆さん以来なので4年ぶりだ。はじめて来たのは2008年で保坂展人氏、新藤宗幸教授、若松孝二監督、菅孝行氏などいろんな方のお話を聞いた。地下鉄南阿佐ヶ谷のすぐ近く、JR阿佐ヶ谷からは10分くらいの青梅街道に近いところで、門も建物も一見古い民家のようではじめて来たときは驚いた。
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