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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

節分祭の新富座こども歌舞伎

2018年02月12日 | 観劇など
中央区には、いまも歌舞伎座、明治座、新橋演舞場、博品館などの劇場があるが、江戸時代には中村座(京橋から人形町へ)、市村座(人形町)があり、守田座も銀座六丁目(木挽町)からスタートした。これらは歌舞伎の江戸三座と称された。1873(明治8)年、守田座が浅草(現在の浅草6丁目)から新富町(現在の新富町2丁目6 京橋税務署の敷地)に移転し、名前を新富座と改めた。新富座では九代目團十郎、五代目菊五郎、初代左團次の三名優が芸を競い、新富座は歌舞伎の殿堂となったが、関東大震災(1923)で新富座は消失した。
こうした歴史を踏まえ、いまから11年前の2007年春「新富座こども歌舞伎」が発足した。現在、中央区在住の小学生ならだれでも入れるし、そのOB・OGたちは太鼓、鼓、笛などを受け持っている。また三味線や長唄は近所のおじさん、おばさんが協力しているそうだ。こうしたこども歌舞伎は、石川県小松市、愛知県新城市、滋賀県長浜市、三重県東員町、台東区浅草など各地に現存するようだ。

2月4日(日)午後、八丁堀(湊一丁目)の鐵砲洲稲荷神社で、節分祭公演があった。本来は2月4日が立春、一日前の節分に行うそうだ。

(き)の音、笛・太鼓の音楽、「東西、東西」のかけ声、「本日は、かくもにぎにぎしくご来場賜りまして恐悦至極に存じ奉りまする」の口上から始まる。これを緋毛氈のうえにちょこんと正座した9歳の少女が述べるので、かわいらしい。
今年も中央区湊の鉄砲洲稲荷神社の神楽殿で節分祭奉納公演が演じられた。この日の演し物は、「寿式三番叟」「三人吉三巴白浪 大川端庚申塚の場」「白浪五人男 稲瀬川勢揃の場」の3つだった。
寿式三番叟」は五穀豊穣を祈る日本舞踊のような感じだった。扇や鈴を持ち、金色に黒の横じまが入り赤い日の丸が付いた烏帽子をかぶり、ずいぶん派手な衣装だった。演じたのは、小学3年2人、4年1人の女子3人。

次に河竹黙阿弥の「三人吉三巴白浪 大川端庚申塚の場」。お嬢吉三、お坊吉三、和尚吉三は3人とも泥棒だ。まずお嬢吉三が夜の女・おとせに道を聞いて百両を奪い取る。それをみたお坊吉三がお嬢を強請り、切り合いになりかかったところ、今日は節分だからと仲裁に入ったのが和尚吉三、結局3人は義兄弟の義を結び、百両は行ったり来たりした末、和尚に渡り、幕となる。
「月も朧に白魚の篝(かがり)も霞む春の空、つめてえ風もほろ酔いに心持よくうかうかと、浮かれ鳥のただ一羽塒(ねぐら)へ帰る川端で、棹の雫か濡れ手で泡、思いがけなく手に入る百両・・・」(お嬢吉三)といった名セリフが登場する。
演じたのは、おとせ、お嬢、お坊は小学5-6年の女の子3人、和尚と金貸し太郎右ヱ門が5年と3年の男の子だった。一番年長のグループだけあり、演技も踊りもしっかりしていた。「新富座!」「○○ちゃん!」などの大向うもちゃんと飛んだ。ただし、おひねりはなく、代わりに終演後カンパを集めた。

最後は黙阿弥の「白浪五人男 稲瀬川勢揃の場
これも5人の盗賊の話で、お上の捕り手に追われ、もうつかまると覚悟を決め、「志ら浪」のそろいの番傘を手に、一人ひとり名乗りを上げる。まさに見せ場である。
「問われて名乗るも おこがましいが 産まれは遠州 浜松在 十四の年から 親に放れ 身の生業(なりわい)も 白浪の・・・」(日本駄右衛門)、日本駄右衛門のモデルは石川五右衛門だ。
「さて其の次は 江の島の 岩本院の 児(ちご)上がり 平生(ふだん)着慣れし 振袖から 髷(まげ)も島田に 由比ヶ浜」(弁天小僧菊之助)、
「続いて次に 控えしは 月の武蔵の 江戸育ち 幼児(がき)の頃から 手癖が悪く 抜参りから ぐれ出して・・・」(忠信利平)、義経千本桜に登場する狐がモデル。
「又その次に 連なるは 以前は武家の 中小姓(ちゅうごしょう) 故主(こしゅう)のために 切取りも 鈍き刃(やいば)の 腰越や 砥上ヶ原(とがみがわら)に 身の錆を 磨ぎ直しても 抜き兼ねる・・・」(赤星十三郎 美少年辻斬強盗・白井権八がモデル)。
「さてどんじりに 控えしは 潮風荒き 小ゆるぎの 磯馴(そなれ)の松の 曲りなり 人となったる 浜育ち・・・」(南郷力丸

役者は、5人の盗賊を小学校3-4年の男の子2人、2-4年の女の子3人、捕り手が小学1-2年の男の子4人、女の子2人、なかでも赤星十三郎役の2年生の女の子が小さくて、声もかわいらしく、セリフをしゃべるごとに拍手がわいた。まさに役得だった。
全部合わせて1時間20分ほどの演し物だった。

最後に役者全員揃ってごあいさつ
節分で寒い季節でしかも屋外だが、前半は暑いくらいに日が照っていた。
野外公演なので、ふつうは黒御簾(みす)の中で演奏される下座音楽を生で聴けた。三味線の一団と笛・太鼓・鼓の部隊は少し離れたところにいる。笛・太鼓のほうは指揮者がいるようだった。なお地元の大澤(かつら)、金井大道具松竹衣装などのプロ集団も協力している。

鐵砲洲稲荷神社は、平安時代初期の841年創建と伝えられるが、このあたりは埋立地だったため何度か海側に移動し、江戸初期の1624年この地に建てられた。鉄砲洲という砂州に湊があり、全国から米・塩・酒・薪・炭が運ばれた。そこで船乗りの信仰を集めた。鉄砲洲と言う名は、種子島に伝わった鉄砲に似ていたとも、徳川家が入府の際、大筒の試射場であったからともいわれると、神社のウェブサイトにあった。氏子は湊、入船、明石町、新富、新川(一部)、銀座東などいわゆる京橋一帯にわたる。

泰明小学校校庭での元禄花見踊
10月末から11月初めに商店街や町会の連合である全銀座会主催の「AUTUMN GINZA」というイベントが銀座で開催される(かつての大銀座まつり)。そこに新富座こども歌舞伎も出演している。昨年は11月3日(祝)午後、銀座の泰明小学校校庭で、舞踊長唄「元禄花見踊」と歌舞伎「菅原伝授手習鑑吉田社頭車引の場」の公演を行った。わたくしは他の予定があり、口上と「元禄花見踊」の初めのほうだけみた。

大きなイベントとしては、5月5日の子どもの日に鐵砲洲稲荷神社の例大祭に出演する。
今年はその他、3月に浅草こども歌舞伎まつりにも出演する予定になっているそうだ。

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