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す ず な り

なかなか辿りつけない辺鄙なブログへようこそ... メールはIDのplinkに続けて@willcom.comです

どんぶらこを英語では

2007-06-24 00:21:27 | 言葉と過去
どんぶらこに相当する英語は何だったかなと考えていると、マザーグースの歌(nursery rhymes)に三人の人がたらいに乗っている歌があったのを思い出しました。その歌では"rub-a-dub-dub"がそれです。

「どんぶらこ」と共通する子音はd,b,rの音です。rはちょっと違うかも知れませんが近いです。dやbという破裂音が水の当たる衝撃を表していそう。rはdやbより弱い衝撃。母音は発音するのに比較的力の要らない音ばかり。水の手ごたえのなさと関係ありそうに感じます。

「どんぶらこっこ すっこっこ」の「こ」は接尾語、「すっ」は接頭語の性格も持っており、擬音語擬態語というよりその言語のより文化的な部分ですから、英語と共通しなくて当然に思えます。

桃の流れる音

2007-06-14 06:18:24 | 言葉と過去
子どもの頃に聞いたか読んだ「桃太郎」のお話で、桃は何といって流れたでしょう。何年も前のいつだったかそういう話題が出て意外に意見が分かれました。

「どんぶらこ、どんぶらこ、でしょ。」
「違うよ、どんぶらこっこ、すっこっこ、だよ。」
「ええー、そんなの聞いたことなーい」

確かに「すっこっこ」は今時まず耳にしません。

私の父は桃太郎のお話をする時、「どんぶらがっさいぎっこっこ、どんぶらがっさいぎっこっこ」と言っていました。4分の4拍子で、最初の付点4分音符の「どん」に16分二つの「ぶら」以外は等間隔です。リズムはともかく「どんぶら」までは桃の流れるオーセンティックな音のようですが、そこから先が色々分かれるところ。「がっさい」というのはあまりここらでは思い当たらないけれど、おそらく「が」は格助詞、「っさい」の部分は標準語では「ね」や「さ」に相当する福岡の南方・柳川の間投助詞ではないかと思われますが確信できていません。「ぎっこっこ」は「すっこっこ」の変形だと考えるとすると「すっこっこ」が古いということになります。しかし「ぎっこっこ」は舟のイメージです。

私が小さい頃に読んだ童話の本は母のお下がりの昭和一桁のもので、きつとこれなら本物だらうと当時見てみたら、「どんぶらこつこ、すつこつこ」と書かれてゐました。

「どんぶら」は水に飛び込んだ瞬間の音で、「こっこ」は完全な球形であればきっと鳴らない、窪みに空気が入ってこその音に思えますがどうでしょう。しかしそうしょっちゅう鳴るわけでもなさそうです。波がよほど激しいのでないとどんぶらと何度も飛び込むはずもありませんが流れが激しいならどんぶらなんてかき消されることでしょう。

「どんぶらこっこ、すっこっこ」とは擬音語に由来する擬態語だったのでしょうか。あるいは朝鮮やシルクロード上に語源を探すべきか。思わぬ意味があるかも知れません。意外と南洋に起源を持つ言葉は多いらしいし。お話は海洋民族のにおいがしないわけでもなく。水上を流れてくる人というとモーセやえびす様も連想されますから起源を考えると何でもかんでも繋がってしまい、大変そうです。

夢の国

2007-05-26 02:36:03 | 言葉と過去
当時居た場所から考えるとそれは私が4歳か5歳の頃。ある夜父は「さあ、みんなで眠って夢の国に行こう」と言いました。その翌朝、みんなが目を覚ましてしばらくすると、私より1歳半下の妹が言いました。「おとうさん、まだ夢の国に行かんと?」


若い人には通じない

2007-04-22 10:43:54 | 言葉と過去
前年度は、若い学生さんに混じって受けた大学の授業中、私よりある程度年上の先生方が使われる表現を聞いて、それは私には通じるけどほかの学生さんみんなには通じませんよと何度か思いました。

今期は訓練的な科目があり、職員さんからの説明にスターウォーズが出てきて初めて新しすぎてついていけない例えだと思いました。映画なんてほとんど観ませんから。最初のだけ観ましたが一緒に行った妹が画面の動きで乗り物酔いしたことくらいしか憶えていません。この授業で私たちはジェダイの騎士を目指しているらしいです。○○のではない、感じるのだ。何するのではないのか、早速忘れました。その横にいらした先生は装置のことを4年前に「大リーグボール養成ギプス」と言ったら古いと言われたとおっしゃってましたが、20年前でさえあまり通じなかっただろうと思われます。私は「巨人の星」もほとんど観ていませんが、キーワードはある程度知っています。

前年度のある時。しんと神妙に静まり、安定感あるバリトンの声で聴覚器官の説明が響く教室で、私の頭の中ではウッドペッカーがけたたましく高笑いしていました。ああ、笑ってはいけない。こらえるんだ。みんなが静かな心でいるのはこれだけ大勢だと空気でわかります。なのに私ひとりこんなにも落着きがない。ここのみんなはウッドペッカーを知らないよね。

みんな知らないよね。それを何度思ったでしょう。先生方をアニメのキャラクターに例えてみてわれながらうまいなあと思っても、きっと学生さんには通じません。しかしアニメはよくリバイバルします。二人並ばれた様子がエレガントな鬼太郎とノーブルな鼠男だと思ったのですが(ほかに容姿端麗○○○○゛○゛○。大学はほれぼれするほど姿勢のいい先生が多いです)、最後に鬼太郎先生の髪が短かくなっていたのが残念でした。例えの最初のきっかけがなくなってしまうとほかのキャラクターまでぼやけてしまいます。

大学をお昼に出て午後は職場です。セットアップしたてのパソコン宛にテストメール送ってと言われて私が書いたメッセージは「本日は晴天なり」。古いなあと言われたくてしょうがなかったかったのですが、テストをやっている今度入った「パソコン少年」はお昼に「欠食児童」を自称するような高齢なので何とも思わなかったのでした。

名は体を表してほしいな

2007-03-24 20:54:21 | 言葉と過去
道を歩いていると、建物の壁に○○○ SQUARE という文字がありました。その前のスペースの名前らしく、イベントに使われるのでしょう。しかしスクエアといいながらその場所は三角形です。もし「あれっといわせたくてわざとそんな名前にしました、えへっ」とか言われたとしてもどこか許せない気分です。

FMラジオを聴いていると、よく「○○コーナー」という小さい区切りがあって特定のイベントをやっています。コーナーというからにはコンコースから外れた隅っこの角っこでやってほしいものですが、ラジオは何をやっても時間の直線的な流れなので、角も隅もなくすべてが本流。まっすぐ順番に流れてきてコーナーとは。テレビでいう「○○コーナー」は私には視覚的に移動した感じさえあればいいと思えるのは、やはり場所を表す言葉だからか。おっと撮影現場全体を俯瞰してはいけません。角っこでないのが見えてしまうと、夢が壊れるのに近いものがあります。

言葉は変化する生き物ではあるけれど、人間は時々それに対応したがりません。言葉を変化させるのは人間なのに。

みんなが気付かない間に

2007-03-10 10:05:01 | 言葉と過去
平日の昼間の天神の街で交わされる会話のほとんどは中国語。自転車に乗った人が多く、歩いていることもある、福岡に住んでいる様子の人々。また、旅行者。この数年は旅行者より居住者らしき人が非常に多い感じです。そんな時間に歩く日本人は一人だったり連れがいても話さなかったりするようです。

それにしても、福岡じゅうの中国人が平日の昼間に天神に集合するわけでもないでしょうにこの中国語らしき言葉を耳にする頻度は驚きです。路上で中国語はよく聴こえてくるけど日本語はあまり聴こえてきません。

二十年前博多駅前に勤めていた頃は中国語で会話する人々はまず旅行者風で、たいてい十年前の雰囲気の服装だったので言葉を耳にする前からわかりました。当時旅行していたのは台湾の人々でしょうか。

今は服装や顔だけでは日本人かどうかなんてさっぱりわかりません。会話を聴かない限りは。黙っている中国人だっているはずです。見た目でわからず気付かないうちに大きな変化が起こっていそうです。

名付けは難しい

2007-02-10 16:48:28 | 言葉と過去
駅前のビルの入口に”WEST ****”と名前があるのに気付きました。家主さんはきっと西*さんなんだろうな。町で見かけるマンションやアパート、喫茶店の名前はしばしばいかにもオーナーの名前の直訳らしいのがあります。一つの漢字を英単語に置き換えて通常二つの英単語からなります。風物を表す普通名詞ならいいけれど日本の苗字は時にはそうもいきません。たまに、それはないでしょうと言いたくなるような名前が直訳されています。

通勤の道にあるマンションの名前は”***** Wealth”だったか、この辺は「富」の字がつく苗字が多いようです。*****は規模を表す単語。縁起のいい名前です。こういうふうに単語がつながって意味の納得できる点はいいのですが、意味自体は見る側も照れてしまいそう。

賃貸住宅の名付けをする立場の経験のない方は自分の事として想像してみてください。結構難しいのです。私はそんな名付けの現場を見たことがありますが、日本語らしい名前にしようと思ったっていまどきの建物のイメージに音の響きが合わないといけないし住人が好む名前がいいだろうし家主の思いも込めたいもの。そして賃貸住宅の名前だとわかる方がいいのです。

私がプログラマだった頃、賃貸管理システムのテスト用データに入れたのは例えば「名月庵」。壁土が落ちた部分の編んだ竹の隙間から月光がさしている渋いイメージです。それにしては電気上下水道完備でした。「雷鳴荘」というアパートの家主は桑原さん。ほかのシステムでもよくお世話になった入居者の泥田熱三さんは、操作説明中に取引先の女性にその意味をわかってもらえず、「泥田なんていやあね。もっとかっこよさそうな名前にしましょ」と、沢田研三さんになってしまいました。デモでデータを使うことになったのです。
 テストデータは表示される長さいっぱいに長い名前や全角半角混合(当時OSによっては危険)など思いつく限りのケースをでっちあげた以外は一覧表出力や計算、改ページのための件数が大事。一郎二郎三郎と順番に数を増やしたり桃太郎浦島太郎と知っている限りの太郎のつく名前を並べるのはその業種の人だったら思い当たることでしょう。そして人によってはそこらにいる社員、アイドル歌手や友人知人(今だったら個人情報はうかつに使えませんね)歴史上の人物を入れたり。漢字の変換も今のように楽じゃなかったしデータに入れる内容を考える暇はあまりないのです。通常デモに使えるものではありません。

福岡のザルツブルク

2007-01-20 16:52:48 | 言葉と過去
去年非常に多く耳にした地名のひとつがザルツブルク。福岡にもザルツブルクみたいな地名があります。塩原(しおばる)です。「ばる」は本来ブルクと同じような意味で語源も同じと思われます。日本の地名は多くの場合音に合わせて漢字があてられるものですから、「しお」部分は塩でない意味をもっていた可能性もあります。

乞うご期待だけにしておいて

2006-12-06 22:51:05 | 言葉と過去
昔は聞かなかった、でもこの数年確かテレビで何度か耳にした気になる日本語は「乞うご期待ください」です。さすがにNHKでは聴いた記憶がありません。

「乞うご期待」はおそらく漢文の読み下し風なので本来日本語らしくないのです。馴染めなくても無理もありません。インテリぶりっこした言い方ではないでしょうか。あ、本物のインテリだからつい出てしまった?物語の終わりのムードを盛り上げるためにきっぱり体言で言い切って迫力をつける効果があります。そうしてできた決まり文句だと思われます。違ってたらごめんなさい。

何を「乞う」かというと「ご期待」を。「ご期待ください」を乞うのは変だし、「乞うご期待」をお願いするのも変です。頭に「乞う」かおしまいに「ください」かのどちらかじゃないと変なのに、両方つけてしまうのは何故?

「乞う」・対象の順の言い方は今の時代使いません。それどころか「乞う」自体珍しい言葉になってしまっています。しかし「乞うご期待」としてだけはよく使います。そうして「こう」は意味を失ったただの音、特定の言い方の時に決まってつけられる飾りになってしまったのでしょうか。「乞うご期待ください」と実際に口にした人にどんなつもりで言ったのかを聞かないとわかりません。そしてこれを言う立場の人はそこらには滅多にいないのです。

ヤマネコ便

2006-09-25 22:08:11 | 言葉と過去
「こんにちは」
「こんにちは」
「何階ですか」
「あっ、5階を。ありがとうございます」
 エレベータの中で宅急便の若い配達員さんと二人きりになりました。
 チャンス。今日こそ。思いきって聞いてみよう。
「あの~。ヤマネコさんていわれたりしませんか?」
「そおおなんですよおおお。よくいわれるんです」
期待通り、しかしなんというあっけないひとつの楽しみの終わり。

ネイティブスピーカーとはいえない

2006-09-09 19:06:56 | 言葉と過去
 福岡の方言で呼びかけの場合最後に「用心して行きんしゃいや」のように「や」をつけるのが自然と書きましたが、私はこれを自分で使ったことがありません。博多ではないけれどやはり福岡市内で育った母もです。
 父方では人に呼びかける場合「や」で終わる言い方がありますが、呼びかける対象に自分が含まれる場合、つまり一緒にやろうよという意味のある呼びかけでは「え」で終わっていました。例えば、「行こうよ」という意味で「行こうえ」。博多でもこれと同じかどうかはわかりせん。
 パソコン通信で博多弁ではどう言うかみんなで書いていたことがありますが、私のは高齢者の言い方だと書かれました。確かに自分の使わない言葉。私は高齢者の言葉が本物と思っていましたから。祖父母の世代の方言があり、父母の世代のも、自分の世代しか使わない言い方もあり、もっと若い人たちのもあります。世代毎に薄まっていきます。使わない私の責任もあります。そもそも話し言葉以上に声に出さない独り言がかなり標準語的です。せっかくある方言を正確に伝えたいと思う一方で特に好きでもないという事実があります。

博多で気をつける

2006-09-04 23:44:23 | 言葉と過去
 地下鉄改札口で、いかにも録音の再生の、やや不明瞭な「気いつけんしゃい」という声が響いていました。県警の「しゃべる立看板」がひったくり注意を呼びかけているのです。
 この違和感は何だろうかというと、ただ標準語を博多弁に直訳しただけだから、昔の博多弁と違うのです。しかし今の博多弁ではあります。地元の人でさえ標準語に近い言い方をするところをわざわざ博多らしくしましたというふうな。

 気をつけるという言い方は、マスメディアが普及してそれなりな時期を経て影響が行き渡った今はどこでも通じるけれど、昔はあまり聞かなかったように思います。「気いつける」よりは「用心する」の方が普通でした。しかし用心するという言い方は単独ではあまり聞いた憶えがありません。私の記憶では大抵ほかの動作にくっつけて言われていました。「用心して○○する」というふうにです。単に「用心する」というのは昔の言葉としてはあまりに抽象的です。本来はもっと具体的にものを言っていたと思えます。また、呼びかけの言葉としては、最後に「や」がつくのが自然ですが、これは私の育った地域に特有なのかも知れません。博多でもきっと同じだろうと思っていますが、違うかも。しゃべる立看板の状況でちばん相応しいと私が思うセリフは「用心して行きんしゃいや」です。アクセントにも注意のこと。

 今の時代の言葉を分解して部分をひとつずつ入れ替えてもそれらしくなりません。その状況でどういう気持ちなのかを考えてそれを表す言葉を探すべきです。

 メディアに影響されて標準語に近くなり、義務教育も影響して抽象的な言葉を日常に使うようになってしまった今、普通に使われている言葉は博多弁とまではいかないような気がします。今は語尾だけに博多弁の名残がある程度です。博多弁特有の言い回しが忘れられようとしています。

バイオレメディエーション

2006-08-12 12:09:26 | 言葉と過去
 職場に私宛の新聞社主催のイベント「ビジネス2006」の案内が届いていました。招待券の所属欄に書いた場所に送られて来るのです。そんなイベントとは殆ど関係ない職場ではあります。主に工業系のイベントですが、大昔ほんのちょっとだけの間プログラマだった頃に職場の支社長に勧められて以来面白くなり、機会がある度にこのようなイベントに行っています。

 今回よく目にする、私にとって気になるキーワードは「バイオレメディエーション」。昔から研究されていたのが最近じゅうぶん事業になりうるようになりそういう呼び名になったわけだなあとしみじみ思いました。キーワードは発展の為の武器です。有難みありそうでしかも記憶しやすい専門用語風の単語はメディアもよく取り上げるし多くの人が関わってくるはず。

 開催は9月ですが夏休み取得期間中なのでその頃に休みを取って無料セミナーを受ける予定。母がやっていたことの関連分野がイベントに多いので勧めたところ、母もセミナーを申し込みました。科学について非常勤講師をしている妹にも法事の時に案内を見せたら、遠くて来れないけどテキストを私の分も買っておいてねと頼んでいました。

 私が受けるセミナーはパソコンの新しいシステムやネット関係の話で、現状を考えると少しは詳しくなった方が良かろうと思えるもの。しかし魅力を感じるのはやはりバイオ関係です。ちっとも関係ない私よりはその分野の人が優先的に受けるべきでしょうから前もって申込みはしません。でも当日にキャンセル待ちします。

 案内にはバイオレメディエーションのほかにファイトレメディエーション、ファンガルレメディエーションなど書かれています。タイトルにあるファンガルって何だろうと本文を見ると菌類の名前が挙げてありました。そういえばイタリア料理で茸をフンギと書いてあるのをよく目にします。ファンガルはファイト(植物)に含まれないのかなあとちらっと思ったのは、茸が八百屋さんや野菜売り場にあるのを日常に目にするからでしょう。

 昔の時代のキーワードであったバイオテクノロジーという言葉は見かけません。それは遺伝子組替えや細胞融合など、生き物の性質を操作するイメージがあるからでしょうか。バイオレメディエーションは基本的にありのままを使うというイメージです。どちらにしてもテクノロジーだと思えますし、昔は今でいうレメディエーションがバイテクとして報道されていました。しかし既にマイナスの印象のついてしまった名前を今は使えないのでしょうね。
 考えてみると、昔の強引なムードのあるテクノロジーよりは共存する優しさが大事な時代にレメディエーションの方がぴったり来るし、何よりも新時代のキーワードには目を引く新しさか、新しく思えるくらい馴染みのない古さがいいのです。

チンする

2006-07-21 01:11:05 | 言葉と過去
 私が子供の頃にあった電子レンジは運転が終わる時にチンと鳴っていました。寿命が来てその次に来たのはチンの代わりにピー、ピー、ピーと鳴ります。世間で「チンする」と言えば電子レンジにかけることを言いますが、チンと鳴らなくなってかなり経ってもそのままです。長年変だなと思っていました。多くの若い人はチンと鳴る時代を知らなくて、「チン」が終了の意味で鳴っていた音だとは考えていないかもしれません。
 最近テレビを見ていると、「三分間チンします」と言っていました。これを聞くと、三分間チンと鳴り続けるような印象です。しかし言っている人は音が鳴ることは考えていなくて、ただ電子レンジで加熱するという意味しか考えていないのでしょう。
 さて、今私のもとにある電子レンジはどう鳴いていたか、思い出せません。