茫庵

万書きつらね

2014年04月06日 - ファウストな日々2

2014年04月06日 22時46分32秒 | 雑記、雑感

ファウストを読んでいます。
ドイツ語版の第一部を先日ついに読破しました。
いやあ、長かったです。

といっても内容を全部理解している訳ではなく、
ドイツ語の詩文としての韻律を感じるまで
一行ずつ口に出して朗誦するという事を
繰り返しています。
一応詩劇ですから、音としての味わいを
優先しているのです。

さて、第一部終盤でひとつ気付いたことがあります。
Walpurgisnachtの前、Domの場。
Gretchenの心の葛藤を描くシーンで彼女の心の
つぶやきに反応する形で悪霊と合唱が答えるのですが、
合唱のセリフ部分が脚韻を踏んだラテン語の詩に
なっていたのです。

ゲーテの時代、脚韻は珍しい物ではありませんが、
古代ラテン語詩は脚韻は踏まずに専ら音の長短や
声量の配置による詩行を構成したのでラテン語まで
脚韻を踏んで書く必要はない(当然古典にもその例
を見出す事はできない)訳です。しかし天才ゲーテは
敢えてそれをやってみせたところがすごいですね。

ところでこの部分、他言語ではどう訳されていたか、
ちょっと興味が湧いたので、ざっと調べてみました。


英語版(インターネットで3種類チェック)
 ドイツ語は英語に。脚韻つき。  x3
 ラテン語はラテン語(原文)のまま。  x3

中国語版(インターネットで4種類チェック)
 ドイツ語は現代中国語に。脚韻未調査。 x4
 ラテン語も現代中国語に。脚韻未調査。  x3
 ラテン語部分はラテン語(原文)と
  詩経風の四言詩を併記。 脚韻あり。 x1

日本語版(文庫本5種類とインターネットで2種類チェック)
 ドイツ語は日本語に。脚韻なし。 x7(すべて)
 ラテン語も日本語、但し文語体に。脚韻なし。 x7(すべて)
 ※文語体は1種類を除いて他はふりがながカタカナ表記。

中国語版の韵は一部を判断しただけですが、
全部ではないにしても規則的に脚韻を配置
しようとした意思は汲み取れました。

いつもの内容を繰り返しますが、

韵を踏んだから良いとか、ラテン語を併記したから良いと
言うつもりはありませんが、外国語の詩文を自国にもたら
すために、どのような詩学を用いているかという点に於い
て、日本語はしょぼすぎる事を改めて認識した次第です。

詩学=詩を読む為の学を作ってこなかった日本詩壇の
無責任と怠惰は、日本語、というより標準語の口語を
力も秩序もない、言語表現の芸術を創るには、いわば
出来損ないの言語のまま放置してきたのです。

「詩人」を自称する人たちの、言語に対する意識の低さ
と勉強不熱心さが、これからも日本語をますます駄目な
ものにしていく事は間違いありません。

そもそも現代日本語で詩なんか作れませんから、その使い手
としての「詩人」なんて存在しない訳です。
いつになったら気付くのか、というより認めるのか。

と思いつつ、私は私の試みを続ける事にします。



 ドイツ語は英語に。脚韻つき。  x3
 ラテン語はラテン語(原文)のまま。  x3