茫庵

万書きつらね

2012年01月22日 - 詩と技巧 6

2012年01月22日 16時38分04秒 | 詩学、詩論

2012年01月22日 - 詩と技巧 6

 前回は、詩にも絵画や音楽と同じく技巧があり、それは反復練習する事によって身につける事が出来る、という話でした。これは、技巧については詩才の有無に関わらず誰でもある程度習得する事が出来る事を意味します。実際、洋の東西を問わず、そのような目的で「これさえ読めばあなたにも詩が書ける」のような入門書が書かれ、広く読まれていた時代もあります。実際どんなものがあったのか、いずれどこかで紹介していきます。


詩の朗読

 さて、今回は詩の朗読について。実を言いますと、私にとってもまだ未知の分野です。

 台湾の(多分小学校の)教育関係のページに朗読法について解説しているものがありました。最近読んだドイツ詩学の本にも朗読法についての章がありました。此等を読むまで、私は朗読はつっかえずに、はっきり発声して読めれば良い程度に考えていたのですが、実はこれも詩の一部、どころか詩の魅力を引き出す重要な要素である事がわかってきました。


定型詩の朗読

 歴史的にみれば、もともと詩とは聴いて楽しむものでした。詩人は聴衆に聴かせて感動させるために、定型という器に美しく美味しい言葉の料理を盛った訳です。

 その完成された形式美を嫌い、「食い物なんてその辺に置いて自由に食べればいいじゃないか」といってレシピを廃し、食器を廃棄し、マナーを廃棄し、食材をそのあたりにぶっちゃけて手づかみで食べる、それどころか日常すら捨てて、人が食べる物かどうかもわからない物まで食べているのが現代詩の世界です。

 それはさておき、定型詩には、本来詩人が聴衆に何をどう訴えたいかという思いと計算が織り込まれています。定型には、発せられる言葉の順番も、アクセントや韵の配置も、内容に合わせて沢山の試行錯誤を経て現在伝えられている形に定まった訳で、おろそかにはできないものであるといえます。

 ドイツ語やフランス語の詩や漢詩の朗読CDを聴いていると、余り意味は分からないのですが、表情が豊かなのにびっくりします。一方、詩人の集まりに顔を出すと、時々朗読が入るのですが、テキストリーダーの声を聴いているみたいでまるで生命力を感じません。日本語の詩は音声で感動を与えるには不向きなのかもしれませんが、現代の詩の系譜をたどると明治の詩人たちが西洋詩情をとりいれる事を目指したのに端を発するとすると、朗読においても西洋言語の朗読に学ぶべき点が多いのではないかと考える様になり、本稿を書き始める事になった次第です。頭ごなしに「日本語はこれでいいんだ」で片付けるのはなく、先人たちの偉業を引き継ぐ者としての一考があっても良いのではないか、と思います。

 ここまで書いて今更ですが、本稿では非定型詩の朗読は対象外とします。乱暴に言えば、勝手にやってくれ、という思いです。

朗読法の要点

 実は、手元に朗読法についての資料があるのはドイツ語だけなのですが、イントネーション、音の長短、高低、アクセントの位置など事細かに決められている事が書かれています。そして、詩人はそれを全てふまえた上で自分の言葉を配置し、比類なき作品へと仕上げている事も合わせて説明されているのです。日本語の詩でそこまで計算されて作られているものが果たしてどれだけあるのか、また、あるべきなのかは、私には今すぐには判断出来ませんが、恐らく何も存在しないからこそ、日頃聴く詩の朗読では感動する事がないのだと思われます。また、かく云う私自身も朗読のされ方まで考慮した詩作は行なっていません。

 ドイツ語詩の朗読法から、日本語詩の朗読においても今後考慮すべき点を拾い出してみました。なお、以下は標準的な詩について、こう読んだら良いのではないか、と筆者が思った事であって、そういう朗読法が存在する訳ではありません。また、ドイツ語詩を聴いた感想も、筆者がそう感じたという事であって、ドイツ語詩がこうだ、という意味ではない事を予めお断りしておきます。

1.リズム
 何を読んでいるか、より先に、リズムが感じられる読み方。
 詩の朗読で最も大事なポイントはリズムにあるといえます。
 ドイツ語の定型詩の朗読を聴いて、真っ先に感じるのがこの「リズム」です。
 ドイツ語では長短や高低より強弱が際立って感じられますが、
 日本語定型なら七五調、八六調など、音数のまとまりによる基本の調子を元に、
 思わず最後まで聴き入ってしまう流れを持たせる事が必要です。
 最後まで、というのは、まだ先があるぞ、という予感を伴いながら聴かせるという事です。
 それは、音の区切りと意味の区切りと読みの区切りが一致する、という事でもあります。
 不要な息継ぎや誤った抑揚は、これを乱すので聴き辛いばかりでなく、聴衆の感心を離れさせます。
 非定型詩であっても、部分部分ではこうしたリズムを持たせる事は可能です。
 逆に、全くそうしたものが感じられない詩は駄作だと私は思いますが、結構沢山見かけます。
 一方、一定のリズムが長く続くと単調になって飽きられてしまうので、
 途中でリズムを変える事は、新鮮な変化をもたらすものとして、
 一定の効果を上げられる、とされています。
 定型でも、微妙にリズムを変えたり、リフレインを入れたりして変化を持たせる例があります。


2.アクセント
 リズムを成り立たせる重要な要素のひとつがアクセントです。
 ドイツ語の強弱は、強調したい単語を引き立たせますし、
 定型ではアクセントの個数も位置も決まっていますが、
 日本語では同じ方法はつかえません。
 日本語では強調したい語の区切りをどこに置くか、に置き換わります。
 つまり、1のリズムで触れた、七五調のような基本調子が決まった時点で、
 区切りもいきおいそれに合わせて決定される、と考えて良いと思います。
 当然、区切りと区切りの間でひとつの意味を持つ様な語の配置になります。

3.イントネーション
 2の、なめらかに繋ぐ部分には自然な日本語のイントネーションが割り当てられます。
 詩だからといって、特別イントネーションを変える必要はないと思います。
 基本は標準語のイントネーションを踏襲します。
 方言詩は方言のイントネーションを踏襲します。

4.情緒
 喜怒哀楽をはっきり分かる様に。といっても、不明な場合もありますが、
 感情的に中立な場合は主張したい部分を読む時に盛り上がる様に、
 盛り上がるとは、その前後に間を入れて、部分を際立たせ、
 主張したい内容を大きめの声でゆっくり明瞭に読むことです。
 西洋の言語には、感情移入するときに
 母音に複数の抑揚をつけて伸ばす言い方がありますが、日本語にはありません。
 このため、西洋風の抑揚をつけて読むと、一定の効果が上がる場合があります。
 詩人がどんな詩情で作品を書いたかに思いを馳せながらでなければ盛り込むのは困難ですが、
 逆に、読み手がどんな詩情を込めながら読んでいるか、という事であっても構わないと思います。
 例えば、深刻な内容の詩でも茶化しながら読めば、滑稽詩のように響く事でしょう。


 ドイツ語の朗読法を読んでいて一番印象に残ったのは、朗読の楽譜のような記号体系があって、それに従って読めば、一応「らしく」聞こえる様な読み方が出来る様になっている、という点です。強弱、アクセント、高低、休符、息継ぎまで細かく設定されています。詩文とその記号が併記されていれば、一応は詩の朗読者になった様な気になって、読み進める事ができます。日本語の詩の朗読解説の文書で、そういうものを私は見た事がありません。

 何でもかんでも西洋の真似が良いとは限りませんが、現代の日本の詩は、明治時代に西洋の詩を模倣して取り入れた歴史があるのですから、いちど見なおしてみるのも意味深いのではないかと思います。