ブラジルって??

ブラジルに赴任することになったサラリーマンによるお気楽ブログ

再びペルーへ⑥(コルカ渓谷)

2011-01-31 20:57:58 | 旅行などなど

こんにちは。サンパウロは晴天です。

翌日はコルカ渓谷の奥のほうに車で入っていきました。

見渡す限りの段々畑です。




山肌に穴が開いており、周りに石が積んであります。
これはこのあたりの古代の墓です。
有力者がなくなると、岩に穴を開け埋葬したようです。
ここまで運び上げるのは大変だったと思いますが。


渓谷の一番奥、コンドルの谷付近です。


谷底まで1,000m以上。
足がすくみます。


野生のコンドルを見ようと1時間ほど粘りましたが、残念ながらコンドルは現れず。


そこからアレキパに戻る途中、再度アンデス越えです。
やはり雪になりました。


標高4,900m付近。
今度はしっかり起きていました。


4,000m付近まで来ると、青空に戻りました。
山の天気は変わりやすい。

しかし、4,900mはさすがに辛い。
車だからいいものの、歩き回るのはたぶん無理ですね(笑)。

再びペルーへ⑤(アンデス越え)

2011-01-28 01:32:13 | 旅行などなど

こんにちは。サンパウロは晴天です。

この日はアレキパからコルカ渓谷に向かいました。
コルカ渓谷までは、車で4~5時間ほどです。
実はこのルート、アレキパに着いてから聞かされたのですがアンデス越えになるため、最高地点は標高4,900mになるとか。
前回のペルー、そして昨年のウユニ塩湖で4,000mまでは経験がありますが、そこから先は未体験ゾーンです。


高山病対策には水分をこまめに多めに取ることが重要です。
というわけで、まずはインカコーラを買って出発。


火山灰で出来た山を切り開いて道路が作られています。


谷の底だけ水が流れているため、畑を開いています。


ビクーニャが多く住む地帯に差し掛かりました。
ビクーニャの毛から出来たセーターやマフラー類は最高級品です。
固体数も少なく、1頭から採れる量も少ないので貴重品です。


4,000mを越えると景色が変わります。
植物は苔のようなものだけになります。
このあたりから天候が悪くなり始めます。


4,500m付近から雨→みぞれ雪になりました。
真夏でも4,500mまで来ると時々雪になるようです。
そんな中ピンクフラミンゴを発見。


峠越えの4,900m付近は・・・寝てました。
酸素が薄くなると、余計眠くなるのかもしれません。
峠を越えて下っていくと、チバイの町に到着です。
この町は標高3,000m程度に位置します。


今日の宿は川沿いにありました。


宿には露天風呂がありました。天然温泉です。


ブラジルでも行ったことの無い温泉にペルーで行くことが出来ました。
もちろん水着着用。
温泉の脇にはバーもあり、飲みながら入ることも出来ます。
源泉は80℃ほどでしたが、湯加減も眺めも最高でした。

続きます。

再びペルーへ④(アレキパ市内)

2011-01-22 01:32:00 | 旅行などなど

こんにちは。サンパウロは雷です。
窓の外に落雷が沢山見えています。

翌朝早起きしてアレキパ市内を散策しました。



市内には白い建物が多いです。
白い火山岩が多く採れるようです。
町全体が白で統一されてるような感じなので、きれいです。


遠くにアンデスの山が見えます。


ホテルは広場に面しています。


レストランからの眺めです。


朝食後に近くのメルカド(市場)に行きました。


市場のジューススタンドです。
ジュース1杯で150円くらいです。
ちなみに1杯はミキサー1杯なので、コップに3杯以上ありますけど。

続きます

再びペルーへ③(アレキパとフワニータ)

2011-01-18 20:34:26 | 旅行などなど

こんにちは。サンパウロは晴天ですが夜中には雨が降っていました。
リオ州では500人以上亡くなるという大惨事になりました。
まぁ斜面に家を建てるケースが多いので水害には弱いですね。

リマでのショートステイを終えて、アレキパに飛びました。
アレキパはリマから南に約1030km。
標高は約2300mで、ペルー第2の都市です。

町の中心部は歴史地区として世界遺産に登録されています。
白い火山岩を使った街並みがきれいです。


この町には見ておく場所が2つあります。
1つはサンタ・カタリナ修道院です。上の写真はその外部です。
1579年に建てられ、1970年まで実に400年もの間閉ざされた世界でしたが、現在は一般公開されています。
もう一つは聖地博物館にある少女のミイラ、フワニータです。
到着時間が遅くなったため、この日は聖地博物館だけ訪問しました。
サンタ・カタリナ修道院はまた後日です。

聖地博物館は町の中心アルマス広場のすぐ近くにあります。
入場料を払うと、最初にビデオで概略の説明があり、そのあとガイドに付いて館内を回ることになります。
さて、そもそもフワニータとは?
今から15年ほど前の1995年9月に標高6310mのアントパ山山頂付近で発見された少女のミイラです。
約500年ほど前にアントパ山周辺の山々が噴火し、火山灰により作物が枯れ果ててしまったようです。
当時はインカ帝国の時代であり、インカの人々は噴火を神の怒りと考えこれを沈めるために子供を生贄として捧げていたようです。
フワニータもそのうちの1人なのですが、副葬品の素晴らしさから高貴な身分の子供であり、生贄の中でも最上級だったと考えられています。
当時の都はクスコです。
国中から生贄候補が集められ、その中で最も高貴で美しい少女が選ばれたと考えられています。
選ばれた少女は、神官らとともに約700kmの道を歩き、アントパ山に向かいました。
生贄になるアントパ山の山頂は万年雪に覆われ、氷点下の世界です。
そこで生贄の儀式が行われ、少女はチチャというとうもろこしから作ったお酒を飲まされた跡に鈍器で殴られ絶命し、埋葬されました。

その後約500年山中に埋められていましたが、ふとしたきっかけで山の一部が崩れ、数十メートル落下した所を探検隊に発見されました。
寒い山中にあったため、保存状態がよく副葬品などもきれいなまま発見されました。


フワニータはペルーへの日本移民百周年イベントの際に日本でも展示されたことがあるようです。
今はこの聖地博物館の中で冷凍保存されています。


アルマス広場にある聖堂です。
スペインがペルーに侵略したときに、街づくりの基本として中心に広場を作りました。
それらはアルマス(武器)広場と名付けられ、広場には必ず教会が建てられました。
まぁ武力と宗教の両輪で侵略していったわけですね。


アレキパの夕日です。

続きます。

サンパウロの大雨

2011-01-12 03:25:55 | 日常生活

こんにちは。サンパウロは雨の予感。

今年に入ってからサンパウロでは雨の日が続いており、特に今週に入ってから一部で強い雨が降っています。
土砂崩れなどで50人近くの死者が出ており、場所によっては浸水被害も甚大なようです。
日本でもニュースで伝えられているようなので、ちょっと現地メディアの写真を拝借して様子をお伝えします。


トラックの走っている所は道路です。
その右側は川です。


このあたりも普段よく通る道路です。


この付近も空港に行く際に通りますね。

現在は道路は復旧しているようですが、また大雨が降れば元通りです。