こんにちは。サンパウロは晴天ですが夜中には雨が降っていました。
リオ州では500人以上亡くなるという大惨事になりました。
まぁ斜面に家を建てるケースが多いので水害には弱いですね。
リマでのショートステイを終えて、アレキパに飛びました。
アレキパはリマから南に約1030km。
標高は約2300mで、ペルー第2の都市です。
町の中心部は歴史地区として世界遺産に登録されています。
白い火山岩を使った街並みがきれいです。
この町には見ておく場所が2つあります。
1つはサンタ・カタリナ修道院です。上の写真はその外部です。
1579年に建てられ、1970年まで実に400年もの間閉ざされた世界でしたが、現在は一般公開されています。
もう一つは聖地博物館にある少女のミイラ、フワニータです。
到着時間が遅くなったため、この日は聖地博物館だけ訪問しました。
サンタ・カタリナ修道院はまた後日です。
聖地博物館は町の中心アルマス広場のすぐ近くにあります。
入場料を払うと、最初にビデオで概略の説明があり、そのあとガイドに付いて館内を回ることになります。
さて、そもそもフワニータとは?
今から15年ほど前の1995年9月に標高6310mのアントパ山山頂付近で発見された少女のミイラです。
約500年ほど前にアントパ山周辺の山々が噴火し、火山灰により作物が枯れ果ててしまったようです。
当時はインカ帝国の時代であり、インカの人々は噴火を神の怒りと考えこれを沈めるために子供を生贄として捧げていたようです。
フワニータもそのうちの1人なのですが、副葬品の素晴らしさから高貴な身分の子供であり、生贄の中でも最上級だったと考えられています。
当時の都はクスコです。
国中から生贄候補が集められ、その中で最も高貴で美しい少女が選ばれたと考えられています。
選ばれた少女は、神官らとともに約700kmの道を歩き、アントパ山に向かいました。
生贄になるアントパ山の山頂は万年雪に覆われ、氷点下の世界です。
そこで生贄の儀式が行われ、少女はチチャというとうもろこしから作ったお酒を飲まされた跡に鈍器で殴られ絶命し、埋葬されました。
その後約500年山中に埋められていましたが、ふとしたきっかけで山の一部が崩れ、数十メートル落下した所を探検隊に発見されました。
寒い山中にあったため、保存状態がよく副葬品などもきれいなまま発見されました。
フワニータはペルーへの日本移民百周年イベントの際に日本でも展示されたことがあるようです。
今はこの聖地博物館の中で冷凍保存されています。
アルマス広場にある聖堂です。
スペインがペルーに侵略したときに、街づくりの基本として中心に広場を作りました。
それらはアルマス(武器)広場と名付けられ、広場には必ず教会が建てられました。
まぁ武力と宗教の両輪で侵略していったわけですね。
アレキパの夕日です。
続きます。