ブラジルって??

ブラジルに赴任することになったサラリーマンによるお気楽ブログ

パタゴニア旅行17(おまけ)

2010-01-29 00:08:23 | 旅行などなど

こんにちは。サンパウロは曇りです。

パタゴニア旅行の最後に思わぬ落とし穴が待っていました。
ブエノスアイレス空港からサンパウロに戻る時のことです。

Eチケットには15:00発となっていたので、2時間前の13:00に空港到着、チェックインカウンターに並びました。
カウンターは混んでおり、1時間かかってようやく順番が回ってきました。
ところがなんとEチケットの時刻が間違っており、その飛行機は14:00発ということでちょうど出発するところだと言われました。
次の便は23:00ということで、振替をしてもらい仕方が無いので空港で待つことにしました。
手荷物チェックインは18:00かららしく、仕方が無いので荷物を持ったまま待合ロビーで待ち続けました。

18時になり荷物を預けてやれやれと夕食をとり、更に待ち続けてようやく搭乗時間となりました。
搭乗口を通って飛行機に乗り込もうとしたところで係員が飛んできて、なんとオーバーブッキングでこの飛行機には乗れないと言われました。
次の飛行機は翌朝10時ということです。
航空会社でホテルとタクシーを手配され、その日またブエノスアイレス市内に戻されました。
しかも荷物はサンパウロに行ってしまったので着替えもありません。

翌日空港に行くと、今度は機体の到着遅れで4時間の遅延です。
出国審査も再度通る羽目になりました。
航空会社の対応も最悪でイライラしっぱなしでしたが、ようやく飛行機に乗れ無事サンパウロに帰ってきました。

通常なら2時間半ほどで帰ってくるところを1日以上かかりました。
日本より遠いくらいです(笑)。
まぁアルゼンチンは隣の国ですが、ブラジルとはそれほどかけ離れた国という事でしょう(笑)。

パタゴニア旅行16(ブエノスアイレス2)

2010-01-28 02:14:55 | 旅行などなど

こんにちは、サンパウロは晴天です。

続いては市内中心部に移動です。

大統領府(カサ・ロサーダ)です。しかしなぜ大統領府がカサ・ロサーダ(ピンクの家)なのか理解しがたいですが・・・。
アメリカのカサ・ブランカ(ホワイトハウス)に対抗してるのでしょうか??


市内中心部のフロリダ通りの様子です。
日本で言えば銀座通りのようなもんです。

観光客で賑わうショッピング街といった趣です。
革製品を扱っている店が多く、かなり安いです。


夜になってアルゼンチンタンゴショーを観に行きました。
ホテルに予約を依頼したらラ・ベンターナというタンゲリアを予約してありました。
ホテルに迎えの車が来てタンゲリアまで連れて行ってくれます。


タンゴショーは1時間半くらい。先にタンゴを観てから食事でした。


ワインを飲みながら華麗なステップと音楽に酔いしれます。


ポーズが決まるとかっこいいですね。


パタゴニア旅行15(ブエノスアイレス)

2010-01-27 05:15:35 | 旅行などなど

こんにちは。サンパウロは猛烈な豪雨が去った後です。

その日の夜の便で一路ブエノスアイレスへ飛びました。
ウシュアイアからは3000km北上です。
翌日は市内散策です。


ブエノスアイレスの高級住宅地。

道幅が狭くひっそりしていますが・・・。
そうです。ここは亡くなった方の住宅地、つまり墓地です。
ブエノスアイレスにあるレコレータ墓地は超高級墓地です。
ここには13人の歴代大統領が眠るほか、有名人の墓も多いようです。
一つ一つのお墓がまるで家のようです。

ここはミュージカルにもなった元大統領夫人エビータの墓です。
私生児から女優になり大統領夫人にまでなったものの33歳の若さで急逝しました。
美人薄命の名の通り、ドラマチックな人生を送ったエビータの墓には多くの花が飾られていました。

続いてはボカ地区を訪れました。

カミニートという小路です。


芸術家が多く住んでいる地域のようで、路上で絵や作品を売っています。
このあたりはタンゴ発祥の地とも言われ、路上やレストランで昼間から華麗なタンゴを踊る踊り手が沢山いました。


ボカ地区にはもう一つ有名なものがあります。
サッカーのボカ・ジュニアースです。
アルゼンチンのみならず南米屈指の強豪チームです。
南米代表としてトヨタカップにも出場したことがあるのでご存知の方も多いと思います。


付近の建物も青と黄色のチームカラーになっています。





グラウンドのすぐ側まで客席になっており、しかも壁のようにそり立つスタンドはよりピッチをより近くに感じられることでしょう。
(続きます)

パタゴニア旅行14(ティエラ・デル・フエゴ国立公園)

2010-01-22 23:19:16 | 旅行などなど

こんにちは。サンパウロは雨です。

世界の果て号を降りてからはマイクロバスでの移動です。
すでに国立公園内です。所々にキャンプをする人たちが見受けられました。
この時期ならではのようです。それでもかなり外は寒いのですが。

バスを降りて散策です。

キッタリアというきのこです。
先住民が食料にしたようです。触るとマシュマロのようにふわふわしています。


小さな池があり、木がたくさん枯れていました。


写真右側のせき止められた部分はビーバーによるダムだそうです。
ビーバーはダムを作って小川をせき止めて暮らすのです。


この公園も海抜はそれほど高くないのですが、高山植物のような草木が目に付きます。


ラパタイヤ湾です。この先はビーグル水道、そしてチリ領になります。


ラパタイヤ湾の入口には国道3号線の終点があります。
このあたりは未舗装です。
ブエノスアイレスまで3079Kmです。


小さな船着場。
見えている小屋は郵便局です。
世界の果てから手紙を出すことが出来る他、パスポートに記念のスタンプを押してくれます。

今までのパイネやロス・グラシアレスに比べると見るものは少ないのですが、それだけに自然の宝庫という感じの国立公園です。

パタゴニア旅行13(世界の果て号)

2010-01-21 05:20:45 | 旅行などなど

こんにちは。サンパウロは晴天です。

翌日はフエゴ国立公園に行きました。
フエゴ国立公園まではバス等で行けますが、1日ツアーを申し込むとセットされているのが世界の果て号という観光列車です。


駅の様子。市街からは10km程離れた場所が始発です。


まぁ南米最南端を走るわけですから世界の果てではありますが。


なんだかおもちゃのような汽車です。


もともとはこの汽車、昨日訪れた刑務所の囚人によって敷設されました。
冬の寒さの厳しいウシュアイアでは当時は薪を燃やした暖房に頼っており、山林を伐採するために囚人を使って鉄道を敷き、開墾を行わせたようです。


木の墓場といわれる地帯です。
囚人達によって伐採された木の切り株だけが無数に残っています。
切り株を見るとどの季節に切られた物かわかるようです。
すなわち冬は雪が積もるので、切り株の高さが高いという具合です。

刑務所は1910年から1947年の37年間使われていたようです。
伐採作業はかなり過酷な労働だったようですが、囚人達は刑務所にいるよりは伐採に行くほうを好んだようです。
そのため伐採には模範囚だけが行くことができたようです。


当時の全長は25km、今は7kmだけが再現され運行されているようです。
途中の見晴台で20分程度停車します。
全行程50分間の世界の果て号です。