続・エヌ氏の私設法学部社会学科

無理、矛盾、不条理、不公平、牽強付会、我田引水、頽廃、犯罪、戦争。
世間とは斯くも住み難き処なりや?

男の亡念下女の首を絞殺せし事

2018-08-05 | 諸国因果物語:青木鷺水
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 西六条に恵閑という一向宗の僧がいた。
 僧になりたての頃は、定まった妻もなく清僧を勤めていたが、その後、寺が恵閑の代になってから、下女を心に思うようになり、情を交わすようになった。
 また、その寺には、下男の五助という者もいた。
 若気のあまりか、五助もこの下女に心を寄せ、様々と言い寄ったが、女は、旦那に情をかけられていることを鼻にかけ、五助を散々に軽んじ、情のないことを言うばかりか、万事についても尊大に、我こそはと言わんばかりの態度であったので、さすがに五助も今は興もさめて、諸事についても憎しみばかりが勝るようになってしまった。

 ある時、この女が裏口に出て衣服を洗っているところへ、五助も用があって来た。
 この女は五助に、
「水を汲んでください」
と頼んだが、五助は常々この女を心よからず思っていたこともあり、
「急ぎの用があるので、自分で汲んでください」
と答えたので、女は少々腹を立てた気色で、かの洗濯をしていた灰汁を、手で掬って五助にひっかけた。
 さすがに五助は腹に据えかね、おのれ憎い仕業、真二つにしてくれんと思い、自分の部屋に戻ったが、女は旦那の子を孕んでいて、女に恨みはあるが、腹の子には何の科もないので、時分を待って如何様にもしてやろうと考え直して、胸をさすって軽はずみな行動は控えた。
 そうはいっても、胸につかえる憤りの念は止め難く、終にその明くる日の朝、五助は首を括って死んでしまった。しかし特段の書き置きもなく、何の理由があって死んだのか知る人もなければ、表向きは乱気のせいにして事は済んだ。

 さて、その後は女も恙なく、産月にもなるかと思う頃、ある夜、恵閑と居ならんで、二人で夜が更けるまで心よく話などしていた。それから寝所を整えて恵閑を寝させ、女も身繕いして、小用に立って縁の障子を開けて出ようとした時、突然、何か得体の知れないものが現れ、
「あれ、五助が怖い顔をして参りました」
と、逃げて入り、恵閑に抱き付いたのを、恵閑はとりあえず女を抱きすくめて、
「何と、訳のない事を言うか。怖い怖いと思えば、そんな物が見えたように思うのだ」
と宥めて寝かせた。
 それから程なく女は産気づいて、二三日のうちに何事もなく安産で女の子を産んだ。
 ところが、お七夜も過ぎた頃、夜になると
「恐ろしや、五助が参りまして、私の首を絞めまする。引きはなして下され」
と泣きわめく。

 恵閑も初めのうちは、お産で疲れているのだろうと思い、色々と気を遣ってみてはいたが、後には、昼間でも五助が現れて首を絞めてくると訴えるので、様々に弔いの祈祷をしたが、一向に五助が消えてしまうことはなく、終に十四夜目に、女は血を吐いて死んでしまった。
 これは、確か、元禄四年の事であったという。

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