続・エヌ氏の私設法学部社会学科

無理、矛盾、不条理、不公平、牽強付会、我田引水、頽廃、犯罪、戦争。
世間とは斯くも住み難き処なりや?

狸の子を取て報ひし事

2018-12-10 | 諸国因果物語:青木鷺水
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 加州金沢に、弥九郎という獣捕りの名人がいて、見かけた獣を残さず捕って市に運び、三貫五貫の銭を得て自分の稼業としていたので、この男が出かける時は、獣たちは安心して出遊ぶことができないなどと言われた。
 ある時、用事があって越前の国福井へ行く時、月津より轟へ行く間に勅使という所があり、その辺には道竹という隠れなき古狸が住んでいて、ややもすれば人を誑かし化かして、難儀をさせていた。
 弥九郎が通りかかった折も、道竹の子供二三疋が、この勅使の川辺に出て遊んでいたのを、弥九郎は遠くから見付け、
「これはよい稼ぎになる。捕まえて、道中の酒代にしてやろう」
と思い、傍らの茨畔に這い隠れ、二疋は難なく捕えたが、一疋は取逃してしまった。
 弥九郎は、
「口惜しい事だ。今まで何度も獣を捕ったが、ついぞ仕損じた事などなかったのに。おのれ是非に捕えてくれん」
と、かの二疋を囮として、逃した狸を待っている所へ、五十ばかりかと見える禅僧が、杖をつきながらこの所を通りかかり、弥九郎が隠れている所へ近寄り、
「弥九郎、弥九郎」
と呼ぶ。
 弥九郎は胸騒ぎがして、
「何者ぞ」
と言って立ち上がると、禅僧は、
「我は人間ではない。其方も聞き及んでいると思うが、ここに年久しく住んで、多くの人を欺き誑かしてきたた道竹である。我は千年を経ているから神通力は意のままで、火に入ったり水に隠れたり、雲となって霞と化すのも自在となった。だから、弥九郎という狩りの名人が手を尽くしても、我はまた変化して、終に其方の手にかかることはなかった。しかし今、其方の前に現れたのは、大切な願い事があるからだ。我の願いを叶えてくれたなら、その代わりに、其方の身一代が、栄耀を極め歓楽に誇る方法を、教え申そう」
と言う。

 弥九郎がこれを聞いて、
「何なりとも言うがよい。叶え申そう」
と請け合ったら、道竹は涙をはらはらと流し、
「我は長年、人を怪しめ、人に敬われ恐れられることはあっても、人と言葉を交わすことなどなかったが、弥九郎なればこそ、我も子供のために人の姿をして現れ、頼み申す。真に、生ある者として子を思わない者はいないが、さっき其方に捕まったのは、我が子の中でも、殊に末子であった。我も子供たちを常に戒めて、猥に遊ぶ事なかれと制してはきたが、幼い心に早って、この難に遭ってしまった。親の身としては見捨てても置き難く、我の心を察して、子供の命を助けてもらえないだろうか」
と、涙にむせぶ。
 弥九郎が、
「話は分かった。で、その代わりには、何を以って我に一生の歓楽を与えるというのだ。それによっては、二疋の子は助けて返そう」
といえば、道竹は、
「されば、一生の歓楽というものは、本来、過去の行いによって現在の幸不幸が決まるのであるから、昔から徳を積み続けていればこそ、今、富貴の身となれるものである。我は数千歳を経て神通無碍とはなったが、過去の因果に背いてまで、今の貧を福とすることはできない。ただ、幻化虚妄の奇特を以って、仮の歓楽を得る術には通じている。だから其方も、今しばらくは大いなる福を受けたとしても、それは人を惑わし魂を奪って富貴を貪る故に、未来は必ず悪道に堕ちて苦を受ける運命となる。我は過去の業によって畜生の命を得た身であるから、もし将来、人である其方が悪道に堕ちたとしても、そこまでは我としても知らぬことである。そのような幻術を我はいくらでも知っているから、其方に命を乞うて子を助け、その代わりに、一生の栄華を誇らせるのも、そうした術の一つを使うに過ぎない」
と説明した。
 弥九郎は、未来が恐くないわけではないが、当分の歓楽という言葉に心が動き、
「では、その術を使って、我に栄華を授けよ」
と頼んだ。
 道竹は、弥九郎を連れて熊坂の城跡へ登り、様々の儀式や勤めを行ったが、それは一つとして、人間の世で聞いたことのないものであった。そして、
「さて、術はかけられた。これで万宝は心のままである。このことは、決して他人に話してはならぬぞ」
と言って、別れていった。
 弥九郎は何が何だか分からなかったが、この山から下りて歩いていると、行き交う人々が弥九郎を振り返っては口々に、
「さても美しい女郎ではないか。およそこの近国に、あれほどの女は見たことがない」
と囁くので、さては、自分は女になってしまったのかと不安になり、溜池にさしかかった時、水鏡に映してみると、よくも化けたもので、我ながら器量よく美しい女になったものだと感心していると、さらに大勢の人が振り返り見るので、面白がって福井の町を行き来してみた。
 すると一人の年配の婦人が、弥九郎の袖を引いて、
「私は、加州大聖寺より一里ばかりの、山代の湯本では人に知られた、増野と申す者です。私は長年そこに住み、大勢の湯治客を泊め、按摩の仕事をして客達の機嫌を取ったり、身分ある奥方や御姫様などの、体や腰の痛むところを揉んでは金銀を頂いて、今、六十近くになるまで何の不足もなく暮らして来ました。しかし夫は十年前に世を去り、親類も従兄弟ぐらいしかいませんが、私の家業は地元では有名になり、貴人や高位の方に召されることを専らとしていますので、才のない者に家業を譲るのは本意ではありません。そこで、湯本の薬師堂で、このことを祈りましたところ、福井まて迎えに行けと、人相や衣服まで細かいお告げがありました。それが、あなたと露ばかりも違わないのです。あなたこそ、我が家の跡取りです。さあ、こちらへ」
と誘ってきた。
 弥九郎は気恥ずかしいようにも感じたが、これこそ道竹の計らいに違いないと思うに任せて、婦人の申し出を快く請け合い、共に山代へ向かった。
 着いて見ると、聞いていたよりもはるかに家は大きく、湯治の男女が絶えない中に、大勢の使用人が出入りして賑わしく、女中も忙しく宿札を掛けたりしていた。
 例の婦人は、弥九郎を引き連れ、
「私の娘になりました」
と皆に披露した。弥九郎は可笑しくて仕方なかったが、それは奥歯にかみ殺して、されるがままにしていると、平河の御方という名を付けられ、小袖を着せられて、店への御目見えとなった。
 客と覚しき御方を見れば、年の程は二十二三と見える、気高く美しい女であった。賤しい身分の弥九郎は、このような貴人の姫君など見たこともなく、しかも、この世に2人とはおるまいと思えるほどの美しさで、思わず見とれてしまい、何とかこの姫君に取り入って自分の好意を伝え、同情でもしてもらえたらとの気持ちが募った。
 そして夜にもなれば、傍らを離れず、湯治の上がり場までも立ち入って、湯衣を参らせる序に、腰をしっかりと抱き寄せれば、姫君が、
「これは、どうしたことでしょう」
と言ったのをきっかけに、弥九郎は涙を流し、
「本当は、私は女ではありません。弥九郎と申す狩人です。さる子細があって女の姿になり、この宿の主になって、富貴栄耀は思いのままの身となりました。しかし、富んでも貧しくても道に迷う心は同じで、貴女の姿を見初めてからは、露忘れる間さえありません」
などと掻き口説いた。
 思いもよらぬことに姫君も当惑したが、弥九郎を突き放すでもなく、
「そのお心ざしは、無下にはしがたいと思いますが、男心に迷っていては湯治の効き目がないなどと、湯の効能にも書かれています。湯治が済むまで暫く待っていただき、また来年の迎え湯には、必ず」
と言って慰めた。
 これに弥九郎は顔色を変え、
「そうか。私を賤しい身と思って、適当にあしらっておき、もう逢わないつもりだろう。私の心を無にしたならば、その報いを見せてやろう」
と言って、腰を抱いた手を突き離せば、姫君は俄に病気が重くなって五体が苦しく、うまく物を言うこともできなくなってしまった。驚いた姫君は、自分を憂き身と観念したのか、弥九郎の言うがまま枕を交わし、その日から弥九郎は姫君の元へ通うようになった。
 同じ時、その湯治に泊まっていた別の客で、団佑という侍が、もちろんそのような事情は夢にも知らず、この平河(弥九郎)に思いを寄せ、明け暮れ心を尽し隙を窺って、夢でも情けに与りたいと願っていた。
 そしてある朝まだ仄暗い頃に、団佑は、平河の御方が姫君の閨から忍びやかに出て帰って行くのを、とある片隅に引きずり込んだ。
 平河は、
「変な男がいる」
と大声を立てたが、団佑は、ずっと思い煩っていたこの女のために、もしも命を奪われるようことになっても構わないとばかりに、ひたすら抱きしめて、平河の懐に手を差しいれてみたら、胸板には毛が生え、骨もごつごつとしている。
 団佑は恐ろしくなって、
「おのれ曲者め。逃がさん」
と言って抑えつけていると、人々も出合い、飛び掛かって平河を捕え吟味すると、弥九郎の化けの皮は剥がされ、終に死罪となった。
 と思ったら、弥九郎は夢が覚め、勅使の川原に佇んだままであった。
 これには弥九郎も思い直すところがあったのか、その日限りで猟師を辞めてしまった。

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