続・エヌ氏の私設法学部社会学科

無理、矛盾、不条理、不公平、牽強付会、我田引水、頽廃、犯罪、戦争。
世間とは斯くも住み難き処なりや?

人の妻嫉妬により生きながら鬼になりし事

2018-08-19 | 諸国因果物語:青木鷺水
ご訪問ありがとうございます→にほんブログ村 科学ブログ 人文・社会科学へ←ポチっと押してください

 大坂春慶町五丁目に古手屋久兵衛という者がいた。
 久兵衛には、長年連れ添った女房がいる上に、外にも女を作って通うことがあった。この女は絎屋の何某とかいって、奉公先で腰元から妾となり、懐胎して子供を産み、その後、金百両を添えて暇を出された女であった。
 久兵衛は元より色好みで、この女に心を懸け、いつからとなく取り入って夫婦の語らいをなしていた。そこで、本妻を離別して、この女を呼び迎え、今迄貯めた財産の上に、なお、この百両を合わせたらよかろうと思い立った。都合の良いことに、女房は、父母もなく、親類もみな死に失せて、誰からも便りがない身であった。僅かに母方の従兄弟が一人、どこかに住んでいたようだが、特に音信があるわけでもなかった。
 女房は、年頃の馴染みであり、器量も人並みに勝れていたので、離れ難く残念ではあったが、百両に魂を奪われ、久兵衛は別れを画策して、金目の物は女の方に運び隠した上で、仕事がうまくいかないかのように装い、徐々に商いを窄め、一日一日と自分が貧乏になっていくように見せかけた。
 そして久兵衛は、
「人の物を買ったり売ったりして商売をしてきたが、間もなく来るお盆時期の支払いで、何とか十貫を返したものの、もはや私の運もこれまでのようだ。誠に今までは、一銭も無駄な銭を遣わず、物見遊山や栄耀事などもしたことがなかったのに、ふとした仕入れで損をして、それからはやる事なす事、すべて左前になってしまった。前生の業とはいえ、このままではお前も、私と一緒に乞食になるより外はあるまい。縁あって一緒になった我々だが、一旦ここで夫婦の仲を離れて、共に奉公の身となり、給金の少しも稼いでから、また一緒になって再起を図ろうではないか」
と、実しやかに話を持ちかけた。
 女房は、涙を流しながらも、さしあたっての貧乏には言うべき詞もない。離れ難い仲を泣く泣く別れて、奉公の口を探したところ、幸いにも、とある魚屋に仕事があり、三年の請状を作って腰元奉公に勤め出た。
 一方、久兵衛は、思い通りに事が運んだので、嬉しくてならない。女房が去って五日も過ぎぬうちに、かの女を後妻に呼び迎え、今までの元銀に妻の百両を足し合わせて、商売の手を広げ、思うままに過ごしていた。
 元の女房は、長年連れ添って飽き飽かぬ仲を、貧乏ゆえに別れたのだから、久兵衛も男奉公に出ているものと信じて疑わず、朝夕の寝覚めに人知れず涙を零し、久兵衛のことを露忘れる隙なく、どんな所でどんな勤めをしているのか、しつけぬ宮仕えで苦労しているのではないかと、心もとない月日を送っていた。そして、給金の内から少しずつでも溜めて、何とかして、もう一度夫婦になりたいとの一心で、腰元奉公に精を出していた。
 そんな働きぶりだから、主人も殊のほか喜び、この女がいてくれなければ困ると、いろいろと気を配って召し使っていた。
 ある時、主人の妻が道頓堀の芝居見物へ出かけようと、宵から身仕度をして、この腰元を召し連れて駕籠で出かけたが、たまたま、かつて腰元が久兵衛と住んでいた辺りを通りかかった。
 腰元は、もちろん久兵衛のことを忘れずにいたが、今更、何の面目があってこの辺に顔を出せるのかと、恥ずかしくも悲しくもありながら、宮仕えの身では奥方に付いて行くより他ない。それでも、せめて、昔の家に今はどんな人が住んでいるのか、ちらりとでも見てみたいと思い、物陰からさし覗いてみた。
 そうしたら、何と久兵衛が、何事もなかったかのような顔で、箒を片手に上機嫌で門を掃きに出て来た。そこでお互いに顔を見合わせてしまい、はっとした顔つきで、久兵衛は家の中へ逃げ込んでいった。
 腰元は気が動転してしまい、どうして久兵衛がここに居るのか、まさか元の自分の家へ奉公に出たわけでもあるまいにと思い、そこに突っ立ったまま見ていると、二十ばかりの女が内より出て、
「ねえ、あなた。今のは前の御内儀様でしょう。ちょっと見送ってあげましょうよ」
と言う。
 それを聞いて、腰元は胸にこみ上げてくるものを抑えきれず、「卑劣な男め。私はまんまと騙されて、心にもない離別をさせられた」と思い、その後は、幾度も涙をこぼして、恨み言が湧き上がり、奉公も手に付かず、どうやって帰ったのかさえ覚えていない。そして着物も着替えず、すぐに二階へ上がって打ち伏した。
 明くる日になっても腰元が起きてこないので、旦那も同僚も心配して下から呼んだが、答えはない。あまり心配なので、下女を上げて様子を見せたら、恐ろしや、腰元は生きながら角が生え、口は耳まで引き裂け、眼より血の涙を流し、その体は四畳敷き一杯にまで大きくなって、呻きながら伏せっていた。

 この姿には誰もが驚いたが、旦那は、常々腰元がよく奉公してくれていたので、あまりの不憫さに、この女に加持祈祷を施そうと、普明寺から請けた御札などを持たせた。
 そして、久兵衛を呼び寄せ、この有様を語ったところ、その後は久兵衛の家にも恐ろしい事が度々起こるようになり、久兵衛は女の嫉妬に恐れて、急いで後の妻を送り帰し、再び、この女房を呼び迎えて、今に有りという。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。