焼津名物 “炎の弾丸男!!”    【富士山通信 Vol.2】

“百見は一体(体験)に如かず”を信条とし、持続可能な人類、世の中を目指し、人間性の向上と楽しい人生を目指すパワフルな鮪屋

でもしか先生

2007年02月21日 | ひとりごと!

毎度  焼津名物 炎の弾丸男!!でござる。

 本日来社していた年配の社長さん(我社のシルバーさんと同級生の73歳)と行政、経済、教育などのいろんな話題で話していた。

昨今の荒廃した教育現場の話題になったときに、
 「おれらが就職する頃に先生になった奴は“でもしか先生”っていったでぇーなーぁ。それよりも前の年代の高等師範なんか出た先生はきっちりしてたけぇーが“でもしか先生”見たいなあんなてぇーらが校長までやったりしたんだから教育がよくなる訳がねぇ。」という発言があった中で、我輩の知らない“でもしか先生”という単語が出てきた。

 早速チェック!

でもしか先生とは「先生にでもなるか」といった形で教職に就いた先生や、「先生にしかなれなさそうな先生」を嘲うときに使った言葉。
1970年代後半にもっとも普及した言葉である。

現代では意味を聞いてもピンとこない言葉かも知れないが、当時は教師が不足しており、志願すれば教師になれるといわれるほど、教職に就きやすかった時代背景があったからこそ普及した言葉である。
ただし、でもしか先生は元々そういう意味で使われていたわけでなく、学校の用務員がデモばかりしている先生をみて「先生はデモしかしないんですねえ」と言ったのを辞書編集者の見坊豪紀が『デモしか先生』といったのが始まりで「デモしかしない先生」を意味していた。

後に時代背景から先述の意味で使われるようになったわけだが、団塊世代の教師が一斉に退職する時期をむかえ、東京都の小学校教師の採用倍率が1倍台になる日がくるとも言われている現代(2005年11月現在)、再びでもしか先生という言葉が使われるようになる。

とのこと、本日話していた社長は1970年台の頻繁に使われた時代よりも、もっともっと前の世代。
どうやら30年周期ぐらいで“でもしか”は出没するようだ。

1970年代後半にもっとも使われたということで今定年を控え、教育現場の校長や教頭、教育委員会などの上層部にその“でもしか先生”が多いと思われる。

ひょっとして昨今の教育現場の荒廃はこんなところにもあったのかぁも。

 “でもしか先生”など志の無いやつを教師にしてはならぬ!
  “カモシカ先生”(カモシカのような脚の美しい先生)だったら大いに結構!!

では・・・

コメント (2)
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